可愛くない雪だるま
扉を、ゆっくりと押し開けた。
そこにいたのは、雪だるまのような“何か”。
高さは俺の胸ほど。
白く凍りついた二つの球体が、不自然に積み重なっている。
「……なんで、そこにいる」
さっきここを通ったとき、こんなものはなかったはずだ。
動いていない。ただそこに、佇んでいる。
「……反応なし。無害の可能性が高いです」
ピップの声は淡々としていた。
俺も、そう思った。思おうとした。
「……なんだよ、これ」
力が少し抜ける。頭に浮かんだのは「可愛い雪だるまじゃないか」という馬鹿げた言葉だった。
だが、それはすぐに消えた。
――まず石の目が、気になった。
普通、雪だるまの目ってのは前を向いている。
だがこいつの目は違う。少しだけ、こっちを向いている気がした。
まるで最初から――俺が来るのを、待っていたように。
それに胴体の表面は厚く氷みたいな何かの層で、中心から黒く腐った木の幹が透けて見えた。枝が肋骨のように胴体に折り畳まれ、短く垂れている。
これは可愛くない。
その瞬間。
枝が、伸びた。音もなく。
胴体に折り畳まれていた枝が、まるで生き物のようにぐねりと伸びる。一瞬で、俺との距離を埋めた。
反応できなかった。
直撃は、奇跡的に避けた。風圧だけで、体が浮いた気がした。
「……避けたのは偶然ですか?」
「運と実力の区別がつかない男なんだ、俺は」
心臓が、まだうるさい。
伸びた枝が、ぎぎ、と音を立てながら胴体へ折り畳まれていく。次を、待っている。
雪だるまが、一歩踏み出した。床が鈍く軋む。重い。
「くそっ……やるしかねぇ」
銃口に指をかける。
「銃の扱いが素人です。暴発する可能性があります」
「ゲームじゃ百発百中だったんだ」
「……参考になりません。それに――」
発砲した。乾いた銃声が小屋に響く。
弾は雪だるまの胴体に命中した。しかし――止まらない。着弾した場所から、弾がぽとりと落ちた。
「……マジかよ」
「硬い凍結層があるため、
通常の銃弾によるダメージは期待できません」
「そういうのは、早く言ってくれピップ」
「言いかけていました」
残り、二発。
踏み込んでくる。速くはない。だが、確実に距離を詰めてくる。
また、枝が伸びた。
今度は見えた。
だが、予想より遥かに速い。
横へ転がる。
重い風切り音が耳元を裂き、風圧だけで頬の皮膚が焼けるように切り裂かれた。
熱い痛みが一瞬遅れて走り、
鉄の味が口の中に広がる。
「っ……! 最悪だ、血まで凍ってねえのかよ……」
「じゃあどうする。あの凍結層を溶かすには火が要る。火なんてどこにある」
「……そもそも火は必要ですか?」
「は?」
「熱源であれば、私にレンジ機能があります」
「……お前、性格悪いな」
「聞かれませんでしたので」
俺はナイフを引き抜き、ピップへ向けて放り投げた。
「早く温めろ。限界までな」
「了解。ただし――」
「ただし?」
「火傷しても知りません」
「今は気にしてられない」
雪だるまが、また踏み出す。時間がない。
ピップの光が、ナイフに集中する。じわじわと、刃が赤く染まっていく。
「……加熱完了。ただし、この極寒のため熱の持続時間は10秒ほど」
「十分だ」
俺はナイフを掴んだ。
熱い。指が焼けるように痛む。今にも手を離したい。
歯を食いしばり、地面を蹴った。雪だるまへ、真っ直ぐ踏み込む。
枝が伸びる。見えた。
なんとか体を捻り、すり抜ける。
熱したナイフを、凍結層へ押しつけた。
じゅ、と音がした。白い層が、ぱきぱきと音を立てて剥がれていく。
「……凍結層、損傷を確認。中心核が露出しつつあります」
しかし凍結層が少しずつ再生していく。
「させるかよ!」
ナイフから手を離し、銃口を剥がれかけた凍結層へ押しつける。
二発目――撃つ。
発砲音が小さな小屋に鳴り響く。
凍結層が弾け飛び、黒く腐った木でできた心臓が露わになった。
「中心核、露出しました。次の一発で――」
そのとき。
もう一本の枝が、小屋の壁を直撃した。
轟音。
壁が崩れ落ち、雪と木片が爆発的に舞う。
衝撃波で吹き飛ばされ、外の雪の中に叩きつけられた。
肺から空気が一気に抜ける。
体が、冷たい雪に埋もれる。視界が白く滲み、指一本動かせない。
痛みと寒さが、骨の髄まで染み込んでくる。
「……生存確率、更新します」
ピップの声が、遠くから聞こえる。
「0.008%」
寒い。
痛い。
体が、動かない。
それでも、口だけは動いた。
「上等じゃないか……」
残り一発。
銃口を、ゆっくりと雪だるまへ向ける。
凍結層の剥がれた中心、黒く腐った木の幹が、わずかに覗いていた。
「俺を0.008%にした奴が、どんな顔して倒れるか――見せてもらおうか」
雪だるまの枝が、再びぎぎ、と音を立てながら伸び始めた。
石の目が、俺を捉えたまま離さない。
まるでこの世界が嘲笑うように、冷たい風が吹き抜けた。
「……笑うなよ、本当に」




