【大幅改訂版】第70話:キミのための戦い(阿部康平サイド)⑧
銀髪の鬼が咆哮を上げた。
その身体からは皮膚が剥がれ、波の飛沫のように舞っている。
そして僕は、影山さんの心に巣食う陰が取り払われた事を知った。
助かったんだ――
「ヘッド! 鬼の身体が崩れていきますよ!?」
「やっと俺たちの攻撃が効いてきたんだ!!」
銀髪の鬼に群がっていた有象無象が、口々に騒ぎ立てる。
「うるせぇ!! 喚いてねえで、さっさとトドメを刺しちまえよ!」
木刀でリュウジの鎌と鍔迫り合いをしていたリーダー格の男が、余裕のない声で叫んだ。
「阿部くん……あたしは、もう大丈夫――」
小さな声がして、僕は影山さんへと視線を戻す。
僕の両手に窮屈そうに挟まれながら、影山さんは真っ赤な顔で上目遣いに僕を見上げていた。
僕は、さっきのアレを思い出す。
「あ、その、さっきはごめん……いきなり、えっと……」
「ううん……平気……」
「あああ……はじめては、もっと、ちゃんとしたシチュエーションの方がよかったよね……」
「いいの……なんか、変なかんじ……」
影山さんは細い指を唇に当てる。
「あの……あたし、臭くなかったか? 歯磨き、してないから……」
「ううん! ぜんぜん! 生きてる、って匂いがしたよ!!」
僕は首をブンブンと振る。
「なんだよそれ……」
影山さんはくすぐったそうに笑った。
懐かしいような、それでいて新鮮なような、不思議な気持ちが込み上げる。
「さて……」僕の両手を優しく解いて、影山さんは立ち上がった。「ちょっと、周りが騒がしすぎる……黙らせねえとな……」
男に羽交締めにされたままの百々さんを見る。
「おばあちゃん! 今助けるから、鬼の封印を解いてくれ!」
「いいのか……?」
百々さんの問いに、影山さんは頷く。
「もうすっかり、目が覚めたよ……。鬼が崩れ去る前に、やらなきゃならねえ事があるだろ」
百々さんもまた頷いた。なにやら呪文を唱えると、鬼の身体に貼られていた半紙が炎と共に消滅する。
硬い鎖が、引きちぎられた。
「まだ動くか!!」
威勢の良い掛け声と共に木刀を振り下ろした男が、鬼の人差し指一本で宙を舞い、海へと落ちた。
「てめえら……よくも好き勝手やってくれたな……」
そこには、あの影山さんがいた。
悪霊に悪態を吐き、陰を陰でぶちのめす、最強の陰キャ――
影山蕪太郎が、不遜な態度で腕を組んでいた。
今やその力は、期限付きではあるけれど――
「あたしとした事が……少女漫画みたいな、ウブな姿を晒しちまったな……心底、気持ちわりぃ……」
両手で自分の頬をパンパン叩く。
「遊びは終わりだ……。かかってこいや、オカルト珍走団……!」
海に飛ばされた仲間を呆然と眺めていた男達だったけど、影山さんの挑発に正気を取り戻し、束になって銀髪の鬼へと飛びかかる。
そしてそのまま、海へと消えていく。
「おい! お前らどうした!? 始末したのか!?」
リュウジの一閃を寸手のところでかわしたリーダーは、周囲を見渡して「は?」と呟いた。
十何人いた仲間が、気付けば海の上で飛沫をあげていたら、そりゃ唖然とするだろう。
「残るは、テメェ一人だぜ……?」
男に歩み寄る影山さん。
拳銃を取り出して発砲するけど、弾丸は筋骨隆々の腕に阻まれて、明後日の方向に跳ねる。
「よくもニコリに……銃口を向けやがったな……」
「あ、あ、あ、あ……」
「消えろ」
振り上げた拳が、男の胴体を跳ね上げる。
まるで羽根突きの羽根みたいに、派手な衣装をはためかせながら、男は水平線の彼方へと飛んでいった。
* * *
影山さんの――そして僕たちの戦いが、終わった。
全てを見届けた夜の海は、ただひっそりと、鼓動のような波の音を奏で続けいている。
猛威を振るった銀髪の鬼は、小さな破片となって崩れていく。空に舞い上がっていく光の粒が、星の光と重なり合う。
「久しいな……」
百々さんがお義父さんの隣に立ち、白み始めた空を見上げながら語りかけている。
「百々、道子、さん……」
お義父さんは気まずそうに俯いている。
「小僧は、どうだった?」
「小僧……?」
「あそこにへたり込んでる、ガキの事だよ……」
百々さんは顎で僕を指し示した。
「どうって……」
「まあ、いい。貴様がここにいるって事は、そういう事なんだろ」
「はあ」
「大したもんだろ。あたしの孫と、そのカレシとやらは……」
困惑するお義父さんを置き去りにして、百々さんはケラケラと笑った。
「あ、見て!」
松原さんの声で、指さす方を見る。
銀髪の鬼が崩れ去った後には、綿毛のようなふわふわの髪をした、小さな鬼の赤ちゃんが座っていた。
まだ何にも染まらない、喜びも悲しみも感じる前の真っ白な存在。
そして、無限の可能性を秘めた存在。
「かわいい……」
松原さんは呟く。
きっとこの子は、何の脅威にもなり得ない。
今は、まだ――
鬼の赤ちゃんは綿毛のようにふわふわと漂って、影山さんの手の中に収まった。
「呑気そうな鬼だ。ガキの頃の月子にそっくりだな……」
お母さんの腕に抱かれるように、安らかな表情の鬼の子を見ながら、百々さんは口の端を上げて笑った。
「どことなく……ツキヒにも……」
寝息をたて始めた鬼の子を見下ろして、影山さんはぼそりと呟く。
――お前もちゃんと、あたしの中に、居るんだな。
世界が少しずつ色を取り戻していく。
暗澹の海が開けて、ゆりかごのように揺れる波と、その向こうに浮かぶS島が見え始める。
真っさらな存在になったこの銀髪の鬼を、再び最強の破壊者にしてはならない。
僕は影山さんの隣に立ち、寝息をたてる小さな子供を見下ろしながら、思った。
その為にできる事を、僕たちは考え続けていこう。
影山さんの、この翳りない笑顔が、いつまでも続くように――
幸せそうな『母と子』の姿に、影山さんの願いを重ねながら、僕は決意を固めた。




