【大幅改訂版】最終話:あたしは、蕪太郎
「三浦サン、やってくれたね。協会から指示が出てるのに、それを無視して勝手に動いて――」
電話口の見口は、開口一番に呆れた声で言った。
影山蕪太郎の尊厳を踏み躙り、あまつさえ殺そうとした男になど、責められる筋合いはない。ハナはガミガミと暴言を連ねそうになる自分を抑えて、努めて冷静に尋ねる。
「あなたこそ……なんで協会の方針を無視して、あの子を殺そうとしたんですか?」
「え? 俺が? あの『霊流卑』とかいうヤンキーが勝手にやった事でしょ?」
この後に及んで、頭からシラを切るつもりらしい。ハナは呆れて開いた口が塞がらなかったが、無理矢理に下顎を動かして会話を続ける。
「その『霊流卑』から、あなたの名前を聞いんですが……?」
「それって、ヤンキーの妄言じゃない? ほら、ああいう奴らって総じて頭が弱いし、たまにわけわかんない事を言ってるっしょ。うーん、俺には思い当たる節がないなぁ……ていうか、俺がけしかけたって証拠はあんの?」
電話の向こうで、冷ややかに笑う見口の顔が想像できる。ハナはハラワタが煮えくり返ったが、同時にこれ以上の追求は無駄な事も悟った。
ここまで大見得を切って知らんぷりを決め込んでいるのだから、自身に繋がる証拠は何一つ残していないのだろう。
むしろ自分のした行為ですら、既に忘却の彼方へ消し去っているのかもしれない。
こいつはきっと、他人だけじゃなく自分すらも騙して生きる男。
「悲しい人……」
ついついそう吐き捨ててしまう。
それを聞いた見口は嬉しそうにケラケラと笑った。
「まあ、今のあの子は何の危険性もないって、協会はしばらく放置する方針らしいね。収容する大義名分が、なくなっちゃったわけだし」
「もとから、かぶちゃんの自由を奪う権利なんてないはずだよ――」
「あーでもさ、俺としては、檻に閉じ込めといた方がいいと思ってる」ハナの言葉を聞いているのかいないのか、見口は独り言のように言う。「心の安定を欠いたら、いつまた『銀髪鬼』を生み出すか、わかったもんじゃないからねぇ」
「それは大丈夫――」
嘲笑う見口の言葉を打ち消すように、ハナは断言する。
「いやいや、ああいう捻くれたガキは、どうせまた悪意を溜め込んで、爆発させんだよ」
「そんな事、絶対にないよ」
「なんでそう言い切れちゃうかなー……」
見口はヘラヘラと笑う。
ハナは、ソファーに置かれたカボチャ頭の人形を撫でながら言った。
「そうやって、全てを冷笑してるあなたには、きっと一生わからないよ」
* * *
やわらかな春が過ぎ、季節は夏へと変わっていく。
影山さんの家にやってきた僕は、彼女の部屋の座布団に胡座をかいて、勧められた文庫本を読んでいた。
影山さんの部屋にはエアコンがない。開け放った窓からは、近くのバイパスを走り抜ける車の走行音や、公園で遊んでいる子供のはしゃぎ声が、雨上がりの湿った匂いと一緒に流れ込んでくる。
僕が本を一冊読み終わる前に、影山さんは三冊も読んでしまう。
影山さんには敵わないなぁ――そんな事を思いながら、僕はツンと唇を尖らせた綺麗な横顔を覗き見る。
僕の集中力が足らないのは、こんな感じの雑念が常に頭の中を曇らせてるから……って意見については、否定できない。
三年生になって、僕と影山さんは同じクラスになった。ずっと先だと思っていた高校受験も、気がつけば半年後に迫り、僕は影山さんが目指す公立の難関高校に入るため、勉強に明け暮れる日々を送っている。
そしてたまの息抜きに、こうやって二人で本を読んでいる。
ガラガラ……
玄関の引き戸が開いた音。
重たい足音が近づき、影山さんの部屋のドアがノックされた。
「おいかぶ、いるか?」
「ああ……」
影山さんが答えると、ドアがゆっくりと開き、疲れ果てた中年男が顔を覗かせた。
影山さんのお父さん、不本意ながら僕にとっての将来のお義父さんだ。
「お前、今日の晩飯、当番じゃないのか?」
「ちがう……土曜は、お父さんの当番でしょ……」
「ああ、今日は土曜か」お義父さんは溜め息を吐いて、短く切り揃えられた頭をボリボリ掻く。「ちっ……なんか食材、買ってくるか……」
引き返そうとして、本で顔半分を隠した僕と目が合う。
「あぁ……いたのか、クソガキ」
僕が部屋に居る事くらい、入った時には気付いてたはずなのに……、この人はこういう地味でねちっこい嫌味を言う。
ほんと、やな奴だ。
「はーい、お邪魔してます」
「……晩飯、お前の分はねーからな……」
「結構でーす。今日はこれから出かける用事があるんで……」
ちっ――
舌打ちすると、お義父さんは部屋を出て行く。くたびれた作業服の背中には、汗の染みが滲んでいた。
「仕事……なかなか大変らしい」
足音が遠ざかったのを確認してから、影山さんがボソリと言った。
今までは『執筆に専念したいから』って、貯金とたまのバイトで生計を立てていたお義父さんだったけど、少し前に定職に就いたと聞いている。
年下の上司に怒鳴られたり、大量の業務を押し付けられたり――散々な毎日らしいけど、必死に食らいついてるって言ってた。
正直なところ、僕は今でもお義父さんの事が許せない。影山さんにあれだけ酷い事をしてきたわけだから、きっと一生、何かしらの遺恨が残るんだろう。
影山さんとお義父さんの関係性だって、表面上は取り繕っているものの、今でも透明な膜で隔たれたままだ。
土台からガタガタの家は、外面を綺麗に整えたところで、床は軋むし柱は揺れる。
地下に埋まった部分をしっかり調整していくのは、たぶん新たな家を作るよりも難しい。
それでも、そこで暮らしてくしかない。
歪んでいても、家族なのだから。
そんな影山さんの言葉は、一聴すると卑屈に響く。
でもその目は、しっかり前を向いていた。
「さて……僕らもそろそろ行こっか」
僕は本を閉じて影山さんを見る。影山さんは小さく頷いた。
* * *
「ニコリせんぱーい(泣」
時は夕暮れ、場所は某コーヒーショップ。
なんちゃらフラペチーノをちゅるちゅる啜りながら、ちょっとギャルっぽい女の子は半べそをかいている。聞くところによると、松原さんの小学校の後輩らしい。
「あたしのカレピッピが呪われちゃってー(泣」
本当に泣いてるのか怪しい感じ。僕と影山さんは顔を見合わせる。
「そうだよね……悲しいよね」
それと対面した松原さんは、心の底から悲しそうな顔でうんうんと頷いている。
「ニコリ先輩が率いる『ミッシング』の三人なら、何とかしてくれるって聞いてー(泣」
この子は語尾に(泣)をつけないと話せないのだろうか……。僕は辟易したけど、真剣な顔の松原さんを前にしてそんなちゃちゃは入れられない。
J市史上最も不可解な事件――『十八街道の神隠し』から戻ってきた僕たち三人(それとカマキリ一匹)は、いつの間にか地元の学生たちの間でミーム化されていた。
『ミッシング』なんて呼ばれて遠巻きに見られていたけど、気がつけば怪異退治の専門家みたいな扱いになっていて、正直ちょっと引いている。
ただまあ、僕たちが様々な怪異と出会い、時に戦い、時に和解し……、様々な冒険を繰り広げてきたのは、紛れもない事実なわけで。
そう――悪霊達は、みんなそれぞれが悩みを抱えて、この世界に存在し続けている。
美貌を失ってしまった人。
嫉妬と憎しみに溺れた人。
仕事に追われ人間性を失ってしまった人。
異性に拒絶され失意に沈んだ人。
そして、こぼれ落ちてしまった愛情のカケラ――
僕達はこれからも、誰かの悩みに首を突っ込んだり、時々寄り添ったりして、その傷付いた魂と向き合っていくのだろう。
でもそれって、死者も生者も、陰キャや陽キャだって、変わらないのかもしれない。
僕らは誰だって、知らず知らずのうちに首を突っ込んで、寄り添っていく。それがきっと、『人』として生きるって事なんだ――
後輩の言葉に、うんうんと頷く松原さん。
作り物みたいだった後輩の表情から、道化の化粧が流れ落ちて、本当の笑顔が花開いていく。
その様を見ながら、僕はそんな事を考えていた。
「あ、ところでー……ニコリ先輩以外の、『ミッシング』の2人のお名前はー?」
首を傾げる後輩を見て、僕は自己紹介がまだだったことを思い出す。
「あ、ごめん。僕は阿部康平って言って――」
僕は横目で影山さんを見た。
あの日、放課後の教室で、僕はある女の子の日常に首を突っ込んだ。
空っぽの名前を持つ女の子。
幽霊と揶揄され、一人で本を読んでいる女の子。
でも今は違う。
その空っぽの中には、沢山の人達の想いが詰まっている。
「あたしは、影山蕪太郎」
迷いのない影山さんの声は、周りの喧騒に霞む事なく、はっきりと響いた。
* * *
夕暮れの街を歩く。
これから幾度となく訪れる夜。
それも誰かと一緒なら、きっと怖くない――
ラストシーン:武頼庵(藤谷K介)さん
お読みいただいた皆様、ながーい作品にお付き合いいただき、ありがとうございました。
投稿したあとで終盤を大幅に改変したりと、ストーリー外で波瀾万丈なお話となってしまいましたが、出来る限りのところまでは持って行けたかなー……などと、甘い事を考えています。
今はの気持ちは『終わったな』。
ただ、それだけです。




