【大幅改訂版】第69話:キミのための戦い(阿部康平サイド)⑦
埠頭の端で、影山蕪太郎は膝を抱えている。
そこ横には松原ニコリ。両手を広げて、蕪太郎を守るように立ちはだかる。
少し離れたところに立った『霊流卑』のヘッドは、ニコリの方へ拳銃を向けている。その標的は蕪太郎。しかし射線上に立つニコリに困惑し、苛立ち、舌打ちをする。
殺したいが殺せない。依頼された以外の殺しは、今後の自分の足枷になり得るから。
銀髪の鬼には有象無象が群がり、各々の獲物が鈍い音を奏でている。
その側には地面に抑え込まれた三浦ハナ。魔力によって強化した身体も、屈強な複数人の男に抑え込まれれば手も足も出ない。
百々道子も男に背後から羽交締めにされた。それを振り解くフィジカルを、年を重ねた彼女は持っていない。
夜は深淵を迎えていた。
タールのような海水が波止場のコンクリートに当たり、その度に時が削り取られていく。
水平線に見えるのは貨物船の航海灯。そこだけ時間が淀んだかのように、ほとんど動かず怠惰的に光り続ける。
そこに、二つの足音が近づく。
一つは力強く、もう一つは粘つくように鈍重。
阿部康平が影山陽一郎を引き摺りながら、蕪太郎のいる埠頭へと向かっていた。
* * *
影山さんがいる埠頭では、ごちゃごちゃした装飾のバイクが停まり、大勢の男達が銀髪の鬼の周りで暴れていた。
埠頭の端っこに小さく見えるのが影山さん。その前に立っているのは……松原さん? そして松原さんに向かって手を伸ばしている男が1人。
何が起こってるのかわからない。
わからないけど――僕がやるべきことはひとつだ。
影山さんのところに向かおうとして、さっきまでフラフラと引きずられてお義父さんの足が止まった。
「おいおい……なんだよ、あのバケモンは……」
お義父さんは荒い息を繰り返す。
初めて銀髪の鬼を見たのなら、当然の反応だろう。
「銀髪の鬼――影山さんの孤独によって生み出された、心の幻影です」
「あの鬼が、かぶの心に……?」
「そうです――」
あなたが、影山さんを蔑ろにし続けた結果です。付け足すと、お義父さん俯いた。
「影山さんは、ナメクジにされたお義父さんを助けたかった。そして、たった一言でもいい、褒めてもらいたかった……。ただ、それだけだったんだと思います」
僕はお義父さんと向き合う。
「ツキヒを失った時、影山さんは悲しそうだった。お義父さんが愛する奥さんの面影を失ったように、影山さんだって……会いたかったお母さんの面影を、自分の手で突き放したんです。あなたの……父親のために――」
その気持ちを想像すると、涙が滲んでくる。
「でもあなたは、そんな影山さんを『疫病神』と呼んだ。僕はあなたを、正直……許したくない」
お義父さんが歯を食いしばる。
ギシギシと音が鳴りそうなほどに。
「でも、僕はあなたを拒絶しない。それは、影山さんの絶望を拭えるのが、あなただけだからです……」
そして、再び強引に手を引いた。
「着いてきてください。あなたには、影山さんを止める責任があります」
積まれたコンテナを抜けて、混沌の場所へと躍り出る。松原さんが最初に僕に気が付き、次いで三浦さんと百々さんが僕を見た。
「阿部くん、気をつけて!」
慌てた様子で松原さんが叫ぶ。
そして向けられた視線の先には、派手な服装のヤンキー男が立っていた。伸ばした手に握られてるのは黒い塊は……拳銃だった。
「てめえ、何しに来た?」
男は眉間に皺を寄せて、低くしゃがれた声で言う。
「協会の差し金か、ただの野良か。どっちにしろ、俺たちの邪魔をするようなら、痛い目を見ることになるぜ?」
そう言って、銃口を僕にチラつかせる。
邪魔だよ――
今はそれどころじゃない――
『おい、そこのド派手野郎』
舌打ちをした僕の胸ポケットからリュウジが飛び出し、翅を広げた。
『派手な格好をしてる奴は、捕食者にビビってるチキン野郎だって、昆虫界ではそう決まってんだよ』
リュウジの身体が徐々に大きくなっていく。人間大のお化けカマキリの姿へ。
「あああ? 虫ケラ風情がチョーシのってんじゃねーぞ」
『この童貞はな、これからメスと交尾できるかどうかの瀬戸際なんだよ。テメーもオスなら、黙って行かせてやれや』
両手の鎌を持ち上げ、威嚇のポーズだ。
「ありがとう、リュウジ」
『今度、ナンパに付き合えよな』
「綺麗な花壇のある公園に連れていくよ」
『ああ、そこなら餌に釣られたメス達が大勢いそうだ』
睨み合うリュウジとヤンキー男を残して、僕とお義父さんは影山さんの元へと歩く。
「阿部くん……」涙目の松原さんが鼻を啜る。「みんなが、かぶちゃんを虐めるの……酷いよ……」
「――大丈夫」
確信めいたものなど何もないけど、僕ははっきりと言い切る。
たった一つ、絶対にブレない思いがあれば、人はここまで向こう見ずになれるものらしい。
それは短絡的で、バカな生き方かもしれない。でも今だけは、そんな新しい衝動に身を任せてみたい。
松原さんの横を抜けて、ついに隣へと辿り着く。
あの時、掛けられなかった言葉を、掛けるために。
「影山さん――」
影山さんは膝を抱えて海を眺めていた。
乱れた黒髪に塗れたその背中は、空から切り離された夜の欠片みたいに、寂しそうに見えた。
「僕は影山さんの悲しみと、向き合おうとしなかったよね……。きっと何処か、自分にはどうすることも出来ないんだって、諦めてたんだと思う」
影山さんは振り向かない。
ただ呆けたように、海を見ている。
「でも、それじゃダメだった気付いたんだ。影山さんのために僕は何ができるのか、答えなんてわからなくたって、考えて、行動し続ける事が大事なんだって……そう思ったんだ」
海から吹く風は無力だった。
影山さんの髪を靡かせるだけで、その顔をこちらに向けさせてはくれない。
でも――
「だから、影山さんのお父さんに会って、僕の気持ちをぶつけてきた――」
お父さん。
その単語で、影山さんの肩が一瞬震えた。そしてゆっくりと顔を上げ、振り向く。
虚な目で僕を見る。
そして、僕の後ろに立っているお義父さんを見た瞬間、その顔が恐怖に歪んだ。
「いや……」
影山さんはフラフラと立ち上がる。
「いや……いやぁ……」
座り続けていた足は思うように動かず、影山さんは再び地面に膝をついた。それでも、這いつくばりながら、必死に逃げようとする――
「影山さん」
「いやだ……もういやなの……」
僕は影山さんに駆け寄り、その肩に触れる。
「もう、心が痛いのは、いや……」
影山さんの心は、何度も何度も折られてきた。
その度に形を整え、テープやネジで不恰好に補修しながら、痛くないふりを貫き通してきた。
でも、そんなツギハギだらけの心が、痛くないわけないじゃないか――
僕は、座り込んだ影山さんの肩を抱いた。
薄皮が張った擦り傷に触れるように、そっと。
涙目の影山さんと目が合う。
その目がどんどん大きくなり――
僕の唇は、影山さんの最も柔らかな部分に触れた。
あたたかな匂いがした。
「あの、さ――」
目を見開いた影山さん。
僕は照れ臭さを感じながらも、両手でしっかりとその肩を掴む。
「大丈夫。僕がついてる」
目に、光が戻っていく。
「今度は、僕も一緒に傷つくよ。これから先も、ずっとだよ。だから、大丈夫――」
そう言って僕は視線を上げた。影山さんの背後に、義父さんが仏頂面で立っていた。
「ガキのくせに、よくもまあ……」
「皮肉はいいです。影山さんに言うべき言葉が、あるでしょ……?」
舌打ちをしたお義父さんは、頭を掻きながら面倒くさそうに言う。
「あの鬼を引っ込めなさい。ミナサンガ、メイワクシテルデショ――」
「ふざけてるんですか?」
「ああ? 文句あんのかよ、クソガキ」
「文句しかないです。あなたのしてしまった罪と、真面目に向き合ってください」
この後に及んでお茶を濁そうとする目の前の男を、僕は睨みつける。
男は溜め息をついて、僕から目を逸らすと、埠頭の果てに漂う海へ視線を移した。
真っ黒な水面が重たく波打っている。
しばらく口を噤んでから、お義父さんはゆっくりと口を開いた。
「おい、かぶ……」
娘の名を呼ぶ。
僕の手の中で、影山さんの肩は小刻みに震えていた。これから襲い来るであろう痛みに、怯えているように。
肩を抱く両手に力を込めた。
「俺はよ、一度、ここに来たことがあんだよ」掠れたお義父さんの声は、波の粒みたいにポロポロと散る。「月子が、静かな海を見たいって言うから、連れて来てやったんだ……」
影山さんの震えが、止まった。
「月子は海を見るのが好きな女だった。特に、夜の海。月に照らされた海を見るのが、好きなんだって言ってた」
祈るように硬く握られていた影山さんの両手から、力が抜けていく。
「コンビニでコーヒーを買って、波止場に並んで腰を下ろして、海と夜の境目を探した」
俯いていた顔が、ゆっくりと持ち上げられる。
「波に合わせて、ぶらぶら揺れる月子の細い足が、今でも目に焼き付いている」
そして、彼女は振り向いた。
今、影山さんの目には、お父さんの顔と、その先に光る丸い月が見えているのだろうか。
「生憎だがな……俺はまだ、お前の事が嫌いだ」
向けられた影山さんの視線から、お義父さんは一瞬目を逸らす。
「お前だって、きっと俺の事が嫌いだろう」
お義父さんは息を吸い込み、夜の海に飛び込むような表情で、影山さんの目を見据えた。
「でも、俺が好きな『月子』の話なら、少しくらいは、してやれる……と思う」
「お母さんの、話……?」
飴玉のようなその言葉の意味を、舌の上でゆっくり味わうように呟く。
「聞きたいか……?」
その問いに――
「……うん……」
影山さんは小さく頷いた。
万事解決――なんかじゃない。
これはきっと、指先……いや、爪の先が触れ合った程度の、小さな小さな邂逅だ。
今までお義父さんがしてきた事は、影山さんの心に深い傷を負わせて、完治までには途方もない年月がかかるに違いない。
僕だって、影山さんを傷付け続けたお義父さんを、これから先も憎んでいくのだろう。
でも、和解へと向かう砂漠の荒野に、棒切れ一本で小さな道標が刻まれたのは、紛れもない事実だと思う。
それはきっと、他ならない『お母さん』の力だ。
2人への愛を抱いたまま死んでしまった月子さんが、十数年の時を経て、離れてしまった父子を繋ぐ架け橋となった。
これは、そんな話なんだと思う。
「なんだろうな……月子……」
海を見ながら、お義父さんは呟く。
「くだらねえ茶番に踊らされて、心底ムカついてるってのによ……。今まで思い浮かばなかった美しい一節が、次々と浮かんでくんだよ……」




