【大幅改訂版】第67話:キミのための戦い(阿部康平サイド)⑤
僕は何もしてあげられなかった……。
病院の踊り場で、絶望に染まった目で僕を見上げている影山さんを、ただ見ている事しか出来なかった。
* * *
病院で影山さんと別れたあと、僕はノコノコと自分の部屋に逃げ込んで、一丁前に後悔を呟きながら、天井を睨みつけている。
『晩ご飯よ』っていうお母さんの声も、三回無視したら聞こえなくなった。
そんな気分じゃない。
無力感が胃のなかで膨張して、米粒一つですら入る隙間もない。
僕は影山さんの彼氏だ。
そう、影山さんは僕の事を大切に思ってくれているんだ。それなのに、その思いに応えるような行動なんて、何も起こせていない。
彼氏失格だ……。
そんな思いだけが、頭の中で重たく波打っていた。
枕元に置かれた文庫本に手を伸ばす。
影山さんと一緒に読み始めたこの小説は、いつの間にか僕の恋愛のバイブルになっていた。
その中に何かしらの『答え』を見つけたくて、僕はページをパラパラと捲りながら、全てのシーンを思い返してみる。
登場人物の二人の恋愛も、決して平坦なものではなかった。
気持ちのすれ違い、第三者からの攻撃、自分自身の思いへの不安――
でも、そんな薄暗い霧が、すっきりと晴れていく瞬間を、著者は美しくも端的に描写していた。
困難を切り開く短剣は、いつも鏡のように研ぎ澄まされているように見えた。
仰向けに寝転んだ僕は、文庫本を顔の上に載せて、目を瞑る。そして、僕がこの物語の登場人物だとしたら、恋人に何をしてあげるのかって、必死で考えた。
どうやったら、影山さんの霧が晴れるのか。
卒業記念品の安い置き時計が、耳障りな音を繰り返す。
ダメな僕の、決断を急かすみたいに――
耳を塞いで僕は考える。
でも、どうしても、思い浮かばなかった。
僕はダメだ。
本当に、どうしようもないほど、無力な人間だ。
そして、そんな僕を更に追い詰めるように、三浦ハナさんからメッセージが届いた――
* * *
「影山さんが、捕まる……?」
僕はバカみたいにオウム返しで訊ねる。眉間に皺を寄せた三浦さんは小さく頷いた。
三浦さんに呼び出されて、僕と松原さん、そして百々道子さんは近くのファミレスに集合した。夕食時をすぎた店内は、それでもウザたいほどに賑やかだ。
影山さんは寂れた埠頭の隅っこで『銀髪の鬼』を出現させたまま、佇んでいるらしい。
ついさっき、あのいけすかない『神源寺』ってオッサンが、銀髪の鬼に戦いを挑んで返り討ちにあった。事態を重くみた協会は、明朝に全勢力を上げた影山さんの捕獲作戦を決行するらしい。
「それって、どういう事なんですか?」
松原さんの問いに、三浦さんは更に表情を曇らせる。
「協会に収容されたら、多分二度と、外には出てこれない……」
松原さんの顔が恐怖で歪んだ。
「もちろん、そんな事は絶対にさせないよ――」
協会が動き出す前に『銀髪の鬼』を無力化する作戦を、三浦さんは考えてくれていた。
影山さんの心の闇を解消し、鬼の根源である『陰の力』を無害なレベルまで落とせば、協会は収容の建前を失うって。個々の霊能者の集合体である協会は、誰もが納得できる建前の存在が、何より重要らしい。
三浦さんの口から作戦の詳細が語られる中、僕は今まで感じたことのない胸の痛みに襲われていた。
あの時、僕が影山さんに伸ばした手を引っ込めなければ、きっとこんな事にはならなかったんだ。
世界がどんどん圧縮されていくようだ。
僕が――
僕が――
「阿部くん、大丈夫……?」
三浦さんの声が遠くで聞こえる。
あの時、影山さんが見せた、絶望の表情。
僕はきっと、それに向き合わなければならない。
最も冷え切った氷点下のモヤの中に、手を伸ばさなければならない。
戦わなければ――
狭まっていく視界を、影山さんを傷付けたあの人の存在が埋め尽くしていく。
「僕は、影山さんのお父さんに会ってきます……」
こぼれ落ちるように僕は言った。
三浦さんは驚いた顔で、百々さんは怪訝な顔で僕を見る。
「影山さんがおかしくなったのは、あのお父さんと会ってからなんだ」僕は二人の視線に真正面から向き合う勇気はない。「影山さんはお父さんのために、ツキヒと戦っていた。でもきっと、その気持ちを踏み躙られた。だから、あんな顔を……」
そう、僕はあの場で何があったのか、知らないといけない。知って、影山さんの代わりに、あの人に叩きつけてやらなければならない。
影山さんが、どれだけ頑張っていたかって。
「小僧――」
虚空を見つめて僕の話を聞いていた百々さんが、口を開いた。
「あたしはねぇ……、仕事柄『言葉』ってもんを誰よりも考えてきたつもりだ。生半可な言葉では、相手の心には届かない」
百々さんは鞄から半紙を取り出す。
「でもな、言葉ってもんは、時に強い力を生む――」
そこに書かれた『辛』の文字。
「その言葉自体は、なんだっていいんだよ。ただその言葉に、自分がどれだけ思いを込められるか、なんだ」
僕は戸惑って百々さんを見る。百々さんはふんっ鼻息を吹いた。
「もう十数年も昔だが――あの男が、あたしと旦那の元に結婚の挨拶に来たんだ。あたし達は身構えたさ。あの男が……小説家を目指してるとかいうあの男が、どんな言葉を用意してきたのかを」
そして百々さんは、自分の過去を鼻で笑った。
「しかしあの男は、最後まで何も言わなかった。怯えて、萎縮して、思いすら消えてしまってたんだろうよ」
あたしの旦那が痺れを切らして、あの場はめちゃくちゃになった――と遠い目をする。
そして、すぐに視点は現実に舞い戻る。
現実の僕をじっと見据えている。
「なあ小僧、誰かに伝えるためには、言葉を研ぎ澄まさなきゃならねえ――」
百々さんの放つ威圧感に、僕は気圧される。
「研いで、研いで……ギリギリの薄さになった言葉を相手に突き刺す。そうしなければ、相手の心臓には届かない」
百々さんが研ぎ澄ました言葉。
それは怪異の力を浄化し、カラにする事ができる。
「それは、あたしの学んできた『術』の根本だ。だがな、人と人とのやり取りだって変わらんと、あたしは思ってる」
ゆっくりとした口調で語る百々さんの言葉は、確かに僕の心の奥に触れてくる気がした。
「あの男に突き刺す言葉の刃は、お前自身で研ぐんだよ」
僕の言葉の刃。
あの人に言いたい事など、山程あった。側溝に溜まったゴミ屑みたいな感情が、僕の心を満たしていた。
その中からとびきり強靭な鉄屑を見つけ、目の細かいヤスリで研ぐ。
「難しい――」
「悩め。死ぬ気で、ひたすらに、脳みそを働かせろ。そうすりゃ、どんどん刃は鋭くなる」
ついつい吐き出した弱音を、百々さんはピシャリと跳ね除けた。
わかってる。
弱音なんて吐いてる場合じゃない。
それから僕達は、各々の場所へと向かった。
三浦さん達三人は、影山さんのいる埠頭へ。
そして僕は、影山さんのお父さんのいる総合病院へ――
* * *
病院までの道を歩く。
幽霊女子との作戦会議を済ませたリュウジは、僕の肩にとまり夜風に翅を揺らしている。
『ムカつく相手なら、こんな回りくどいことしてないで、斬り殺してやればいーんだよ』
とリュウジは言う。
「そんな単純じゃもんじゃない」
そう言いながらも僕は、自分の抱える問題の複雑さに押しつぶされそうだった。リュウジの言うように、怒りに任せて影山さんのお父さんを葬れたら、どれだけ気分がスッキリするだろうか。
でもそれじゃあ、影山さんは永遠に、お父さんと和解できなくなってしまう。
お父さんのためにやってきた事が全て無駄になってしまう。
解けた糸を結び直すきっかけ。
影山さんの願い。
どんな言葉に、その願いを乗せればいいのだろうか。
国道を走り抜けるトラックの風を浴びながら、僕は影山さんとの日々を思い出す。
放課後の教室で出会った影山さんは、噂通りに幽霊みたいな女の子だった。でも、カップルのフリで初めて握った手は、とても温かかった。
松原さんと一緒に赤塚さんを成仏させた時は、終始不機嫌だったっけ。今ならわかる。多分影山さんはあの時ちょっとだけ、ヤキモチを焼いていたんだ。
リュウジとの戦いでは、成り行きに任せて影山さんを抱きしめてしまった。神隠しのお父さんの時は、父親の優しさに戸惑う影山さんに、疑問を感じてたっけ。
そして、ヲタ霊とのディスり合いで、僕は影山さんへの気持ちを叫んだ。
あの日から僕達は、恋人同士になったんだ。
ツキヒとの戦い。
影山さんの本当の名前。
お母さんに向けた悲しい愛情。
お父さんに向けた憎悪と、そして微かな希望。
その希望を胸にツキヒと向き合った影山さんが、器として閉じ込められた廃校の中で、ツキヒと何を語ったのかはわからない。
ただ、なにか『大事なもの』を失ってしまったのは、寂しそうな彼女の表情から感じ取れた。
『俺は、父親も母親も知らねーけどよ』
街灯に集まる虫に舌舐めずりしながら、リュウジは呑気な口調で曰う。
『生まれた時、母親がひり出した卵鞘を見て思ったもんさ。こんなでっかい卵鞘をひり出せる俺の親は、さぞ立派なカマキリだったんだろうなー、ってよ』
「リュウジもそんな事、考えるんだ」
『単なる記憶だよ。母親とかどーでもいい』照れ臭そうにそっぽを向く。『でもよ、お前らといろんなバケモンを退治してきて、思ったぜ。ニンゲンってのは、その記憶へ無駄に意味を与えようとする、心底お気楽な生き物なんだなって』
「意味……」
『記憶なんてのは他なる事例集だろ。同じ間違えをおかさないためのよ。でもあんたらニンゲンは、それを感動のブンガクだと勘違いしてやがる』
ブンガクって言葉の使い方、合ってるか? リュウジは小首を傾げて見せる。僕は小さく頷いた。
『でもよ、記憶をブンガクに出来るからこそ、お前らは仲良しこよしでいられるんだろな――』
人と人を繋ぐ、記憶――思い出という文学。
タバコ臭い部屋の薄暗い押し入れを覗き込み、お母さんの思い出の切れ端を、大事そうに抱えている。
そんな影山さんの姿が、大型トラックのヘッドライトみたいに、僕の頭の中を一瞬だけ満たして走り抜けていった。
何かが、少しだけ、わかった気がした。
目の前に漂う、まだまだ形にならない答えらしき何かを追いかけるように、僕は足を早めた。
方々に許可をとって、旧版を削除し改めて改訂版を上げています。
続きも順次上げてきますので、どうぞよろしくお願いします。




