第66話:キミのための戦い(阿部康平サイド)④
その子がイジメられてるって、私は知ってた。
そんなのダメだってずっと思ってた。
でも、何もできず、通り過ぎてしまった。
冬の放課後、幽霊に怯えて助けを求めるその日まで――
* * *
事態は混迷を極めていた。
当然現れた野良の霊能集団「霊流卑」は、蕪太郎の物理的な『殺害』を掲げた。
協会の方針である『確保・収容』を逸脱したその行動の裏には、鬼の温床となる蕪太郎を殺すべき、という見口の思惑があるが、そこに言及し真偽を見定めるほどの余裕は、この場には残されていなかった。
もちろん、一般協会員に過ぎない見口に、蕪太郎討伐予算の使途を決める権限はない。ただ、協会の構造から外れたレルヒの面々にとって、それは窺い知れぬ事情でもある。
こいつらはスケープゴートなのだと、ハナは気付く。
蕪太郎の殺害に失敗し返り討ちに遭おうが、それはバカな族が独断でやった事。見口には何の痛みもない。
仮に蕪太郎の殺害に成功したところで、見口は知らぬ存ぜぬを貫き通し、命令無視の罪をレルヒの面々になすりつけるのだろう。
しかしそうだとしても、そのカラクリを今声高らかに叫んだところで、事態は変わらない。報酬を目の前に吊り下げられた男達は、説得の言葉も単なる詭弁としか捉えないだろう。
聖水瓶が投げられる。
銀髪の鬼が呻き声を上げ、聖水を浴びた肌からは青白い煙が立ち上る。
両手に卒塔婆を構えた大柄な男と、梵字が刻まれた木刀を両手で握った中肉中背の男が、銀髪の鬼に駆け寄りその腹部を打ち据えた。
金属同士がぶつかるような激しい衝撃音。
銀髪の鬼は口から青白い煙を吐き出し、地面に両膝を着いた。
銀髪の鬼が万全の状態であれば、中途半端な霊能力者が何十人束になろうとも、小指一本で蹴散らすだろう。
しかし今の銀髪の鬼は、ハナと道子の戦略によって力のほとんどを奪い去られている。両手は動かず、脚の力も失った。今は巨大なサンドバッグに等しい。
木刀による横薙ぎの一撃が顔面にぶつかる。
ふらつき、両手を地面につく銀髪の鬼。
同時に、蕪太郎のコメカミから一筋の血が滴り、頬を汚した。
「やめて!!」
ハナは叫ぶ。
その言葉は空虚に響く。
「百々さん! 術を解いて! かぶちゃんの自由にしてあげて!」
「しかし……!」
背中で道子が舌打ちする。
「このままじゃかぶちゃんが……!」
「わかっとる! だが、術をといたら――」
あの子は、人殺しになってしまう――
道子の言葉にハナはハッとした。
もしここで抑えていた力が解放されれば、銀髪の鬼は蕪太郎の意思とは無関係に、レルヒの面々を殴り飛ばすだろう。
最強と謳われた神源寺は辛うじて一命を取り留めた。しかしこの半端な霊力しか持たない者ならどうだ? 容赦のない一撃に耐えられる奴が、ここに一体どれだけいるだろうか?
もし誰かの命を奪ってしまえば、蕪太郎の心は完膚なきまでに崩れ果てるだろう。
あの子は人殺しの罪を背負って生きられるような人間ではない。罪の重さに耐えきれず、自ら死を選ぶ可能性すらある。
それもまた、考えうる最悪のシナリオだ。
ハナは道子を地面に下ろし、蕪太郎を攻撃する1人に飛び掛かり、押さえ込む。しかし残りの男達から一斉に組み付かれ、あえなく地面に押し付けられた。
「こいつ、全然くたばんねぇぞ!?」
「しぶとすぎんだろ! 流石に疲れてきたぜ」
動く事が出来ない銀髪の鬼は、取り囲んだ男達によってなすがままに蹂躙されている。
弱った虫に喰らいつく蟻のように、男達は弱々しく振り払う腕を避けて、何度も何度も致命傷に満たない痛みを加えていく。
その顔には、陵辱を楽しむ加虐的な笑みすら浮かんでいた。
「おい、馬鹿野郎供が――」
リーダー格の男が膝を抱えてうずくまる蕪太郎に近づき、その頭に手を向けた。
握られているのは、拳銃だ。
「そいつがしぶといんなら、こいつを殺せば済む話だろ?」
薄笑いを浮かべ、支払われる報酬に舌舐めずりをしながら、男は引き金に指をかける。
「ダメええええええええええ!」
甲高い声が響いた。
呆気に取られる男と、微動だにしない蕪太郎の間に割り込む影――
松原ニコリだった。
「なんだ、このガキは……」
「これ以上かぶちゃんをイジメないでよ!」
ニコリはすでに泣き顔だ。ぐしゃぐしゃにひしゃげた顔で、銃を構える男を睨みつけている。
「どけよ、邪魔なんだよ!」
「いやだあああああ!」
男は眉間に皺を寄せる。
このガキを殺す事は簡単だ。しかし、殺した後の処理はどうなる? 蕪太郎の殺害は依頼されたものだが、それ以外の殺人に関して見口は揉み消してくれるのか?
金はもらったが、警察に追われる人生に転落したんじゃ元も子もない。
そんな打算が、男の人差し指を押さえ込む。
「ニコリちゃん……! あぶないから……!」
押さえ込まれて息も絶え絶えなハナは、絞り出すような声で言う。
「いいの! わたし、こんな事しか、かぶちゃんにしてあげられないから!!」
そう言って、ニコリは鼻を啜った。
「わたし、ハナさんが言うほど立派な人間じゃないよ! かぶちゃんの事だって、ほんとはもっと早く、助けてあげられたんだ……」
震える目は、自分自身の未熟な過去に向けられている。一年生の頃、イジメられている蕪太郎の横を、無言で通り過ぎてしまったあの日に。
「それなのに、出来なかった……! 逃げてたから!」
本当のニコリは、誰よりも臆病だった。
友達になりたかった赤塚さんの死や、影で囁かれる妬み嫉み、偽善者という罵りの言葉に、誰よりも聞き耳を立てていた。
でもそんな、コウモリみたいに中途半端な自分を、蕪太郎は受け入れてくれた。戸惑った顔で笑いながらも、ちゃんと目を見て話してくれた。
影山さんと仲良くしてあげるなんて、ニコリは優しいね、と他人は言う。
本当はそうじゃない。
いつも助けてもらってるのは、自分の方なんだ。
だから――
「だからもう逃げない! わたしだって、かぶちゃんの苦しみから、絶対に逃げないからね……!」
だって、大事な大事な、友達だから――
* * *
そして――
時は遡り、三人が蕪太郎の元へ向かう少し前。
消灯時間を過ぎたJ市総合病院の一室で、影山陽一郎は見慣れない天井をぼんやりと眺めていた。
消毒液のヒリヒリした匂いの奥に、弱った人間の放つすえたような臭いが混じる。
最悪な気分だ。
陽一郎は薄れゆく記憶の辿るように、あの少女の――月子の肌を這い回った日々を思い出していた。
ゆっくりと、病室のドアが開く音。
看護師か?
何の気なしにドアの方を見た陽一郎は、そこに黒い影を見た。
常夜灯だけの薄暗い廊下を背にしたソイツの顔は、掠れた闇に塗れている。
そして、何も言葉を発せぬまま、ベッドに横たわる陽一郎を見つめているように感じた。
まるで黒い炎のようだ。
この世のものとは思えない、激しい感情のうねりが、炎のように燃え盛るのを感じた。
枕元のナースコールに手を伸ばす。
「無駄ですよ」その影の口から言葉が溢れる。まだ若い、少年のような声。「看護師さん達には、少し持ち場を離れてもらってます。あなたと、ちゃんと話がしたかったから――」
声の主は病室に踏み入り、ドアを閉めた。
陽一郎は手探りで枕元の照明を点ける。
闇の一部が立ち消えた。
そこにはまだ若い、10代も前半であろう見慣れない少年が立っていた。
少年は、目の奥に炎を宿したような、痛烈な視線を陽一郎に向けている。
そして、深々と頭を下げ、言った。
「僕は、阿部康平と言います。娘さん……影山蕪太郎さんについて、お話があります」




