第65話:キミのための戦い(阿部康平サイド)③
あの神源寺が敗北した。
気絶した神源寺を回収に向かった見口は、遥か海の果てを眺める少女の背中に戦慄を覚える。
協会に属しているものの、見口の霊的な存在への感受性は低い。むしろ悪霊の恐怖に鈍感になれる事は、彼の強みでもあった。
しかし、そんな見口ですら、足を竦めざるを得なかった。明確な敵意を向けられたわけでもないのに、溢れ出る威圧感だけで冷や汗が止まらなかった。
弱肉強食――
それは世の理を軽んじていた見口にとって、初めて覚えた食われる者の感覚だった。
神源寺を回収した見口は、協会に進言する。
銀髪の鬼を、宿主である『影山蕪太郎』ごと始末すべきだと。
彼女の内部に根差す病巣は、この世界に対しての絶望と諦めだ。表層に露呈した鬼を除霊したところで、第二、第三の鬼を生み出す土壌をこの少女自身が持っている。
この銀髪鬼も、今はただ佇むだけの脅威だが、悪意を持って動き出せばきっと世界に混乱と破滅を招く。
殺すべきだ。
銃でも、爆弾でも、毒ガスでも構わない。
自分に恐怖という感情を植え付けたあの存在は、直ちに殺すべきなんだ。
* * *
時刻は23時を少し回っていた。
気絶した神源寺が見口によって回収された後も、周辺の立ち入りは制限されたままだ。
その監視の目を掻い潜って、三浦ハナ、百々道子、松原ニコリの3人は影山蕪太郎の座り込み埠頭へと向かった。
周辺の警戒は厳重だったが、件の蕪太郎の周りには誰もいない。銀髪の鬼に動き出す気配はなかったが、攻撃を仕掛けた神源寺は無惨に返り討ちにあってしまった。被害を拡大させないよう、遠巻きに監視する他ない状況なのだろう。
北西に伸びた細長い埠頭の入り口付近、無造作に置かれたコンテナの隙間から、三人は屋外照明に照らされた蕪太郎の背中を覗き見る。
錆びた係船柱のように微動だにせず、強い海風にさらされ続ける少女は、そのまま風化し崩れ落ちそうなほどに弱々しくも見えた。
名前を呼んで駆け寄ろうとするニコリを、ハナが制した。今の蕪太郎にこの世界がどう見えているのか、ハナには想像もつかない。前後不覚の銀髪の鬼に襲われる可能性もある。
阿部康平から蕪太郎の異変に関する連絡を受けた時、最初に思い浮かんだのは協会の連中の策略だった。
すぐさま見口とコンタクトを取り、関連を問い詰めたものの、彼は「知らないねぇ」と軽薄に笑うだけだった。
彼女に二度と関わるな、と釘を刺したが、ハナはその言葉が牽制にすらなっていない事を自覚していた。
必要があれば、協会は再び蕪太郎に接触する。
案の定、ハナが仕事を抜け出し蕪太郎の捜索を試みた頃には、すでに協会の息のかかった霊能力者たちが、周辺で監視の目を光らせている状況だった。
何もできず手をこまねいたまま夜になり、神源寺の敗北の知らせと同時に、全国の霊能力者へ協力の要請が届く。
『本日21時を以て、J市に発生したS級怪異――名称「銀髪鬼」および宿主である影山蕪太郎14歳を、確保収容対象と位置付ける。明朝6時に対象の捕獲作戦を執り行うため、協会員の参加を要請したい。協力報酬は――』
ふざけるな、とハナは思う。
14歳の少女を怪異の器に利用しようとし、邪魔となれば寄ってたかって袋叩きにして、牢屋にぶち込むつもりか、と。
そんな暴挙などあってはならない。
明日、協会が総力を上げて動き出す前に、自分たちの手で事態を終息させるしかない。課長からの鳴り止まない電話を無視しながら、ハナはそう決意した。
なぜ自分はここまで彼女に肩入れしてしまうのか――膝を抱えて座り込む蕪太郎の背中を眺めながら、ハナはそんな事を考える。
うっすらと思い浮かぶのは幼き頃の自分の姿。
ハナにとって、蕪太郎は過去の自分だった。
魔術の家系に生まれ、脆弱な肉体と精神に異質な力を秘めてしまったが故に、ハナもまた孤独な青春を送った。しかし、それを払拭してくれる『大切な人』との出会いが、鈍色だった人生を大きく変えた。
ハナは――アパートのソファーに置いてきた、かぼちゃ頭の人形の事を思う。
だから、蕪太郎にも気づいて欲しかった。
人との出会いは、暗澹たる日々を照らす光になり得るってこと。
そしてキミはもう、そんな存在に出会えてるってこと……。
「さて、早いとこすませようか……」
百々道子がショルダーバッグから半紙の束を取り出した。
孫娘に危機が迫る中、ここまで冷静でいられる彼女の胆力には頭が下がる。
行き場を失った感情で瞳を震わせる松原ニコリの肩に、ハナはそっと手を置いた。
「ニコリちゃん、さっき説明した通り、かぶちゃんを救い出すには、かぶちゃんの大事な人――ニコリちゃんの助けが必要なんだ」
ハナが言うと、ニコリは戸惑いながらも頷く。
「私と堂々さんが、かぶちゃんの鬼を引きつける。その間にニコリちゃんはかぶちゃんと接触して、暗闇から救い出してあげて――」
作戦を語るハナにも、それが危険な賭けである事は痛いほどわかっていた。本来であれば、子供を危険に晒す作戦なんて、決行していいはずがない。
しかし、絶望の世界に閉じこもってしまった蕪太郎の目を覚まさせるため、自分ごときに何が出来るだろうか?
第三者である大人の共感や説得なんて、きっと傘に当たる雨粒のように、心の上辺を滑り落ちるだけだ。
彼女達の世界の言葉で語るには、手に持った傘を投げ捨てさせ、共に雨に濡れる覚悟が必要だ。
それは、世界の肌寒さを知る大人には出来ない芸当だと思う。
それに――
松原ニコリには、相手の心に入り込む不思議な力がある。
神隠しの時も、話に聞いた『赤塚さん』という女子霊の時も、偶然とはいえ彼女の持つ共感力が事態を解決に導いたのは事実だ。
もし彼女に霊能力があったのなら、きっとこの世界で最も気高く優しい霊能者になったのかもしれない。
ハナがそう言って笑うと、ニコリは口を噤んで俯き、でもすぐに顔を上げた。
「私、やってみる……」
まだ、その瞳は揺れていた。でもハナは、そのか細い声を信じるしかなかった。
「小僧の方は、どうなんだ?」
蕪太郎を見つめながら、道子が問う。
「まだ連絡はきてません。やっぱり、難航してるのかと……」
「だろうな。まったく、軟弱そうに見えて、あの小僧、中々肝が据わっている」道子は皮肉めいた笑みを浮かべる。「あの男が初めて挨拶に来た時は……月子の後ろに隠れてばかりの彼奴を、あたしの旦那がぶん殴ってやったよ」
「はあ……」
「まあ、時代だな――」
さて、行くか。
道子が言う。
そう、ここからが正念場だ。
ハナは小声で呪文を唱える。身体能力の向上――全身の筋力と神経伝達速度を高める事で、常人離れした動きを得る。
しかし、武術の心得がないハナにとって、それは攻撃の手段にはなり得ない。それ以前に、ハナの魔術の基本原則である『他者に影響を与えない』縛りは、悪霊に対しても漏れなく作用する。
道子は半紙の束から一枚を抜き取り右手に構えた。対象に貼り付ければ、相手の陰の力を奪い去る事が出来る。
しかし、歳を重ね衰えた道子の身体では、相手に近づく事さえ大きな危険を伴う。今までは言葉巧みに相手を操り、悪霊の懐に潜り込んでいたが、それが出来る相手には到底思えない。
それぞれの能力は決定打に欠ける。
だからこそ、補い合うしかない。
セロハンテープで不恰好に繋ぎ合わせたように、ハナが道子の仮初の足となり、道子がハナの仮初の腕となる。
道子を背負ったハナは、コンテナの影から歩み出た。
数十メートル先には、膝を抱えてうずくまる少女。
そしてその背後に、燃え盛る炎のような揺らめきを見せる、銀色の髪を振り乱した鬼。大きい。3階建てのアパートに匹敵するほどの大きさだ。
その威圧感にハナは恐怖を覚え、それと同時に行き場のない悲しみと憤りが、震える脳を交互に塗り替えていく。
蕪太郎の心を埋め尽くす闇は深い。
まだ小さく未成熟な心に、この闇の侵食はどれ程の痛みを伴うのか。
一刻も早く、救い出してあげなければ――
ハナが駆け出した。
その足音を気にもせず、背中を向けた蕪太郎は海を見つめ続ける。
銀髪の鬼だけが接近する二人の姿に気付き、咆哮をあげた。
瞬時に繰り出される右の拳――
ハナは左に跳躍してそれをかわす。
身体能力の強化は、動体視力や反射神経も強化されている。しっかり見極めれば、紙一重で回避する事は可能らしい。
ただそれも、ハナの人並みの集中力が、どこまで持つかの話だが……。
「百々さん!」
「右腕に貼った!」
鬼の右腕には、百々道子が記した『辛』の半紙が貼り付いていた。
通常の怪異であれば、それだけで右腕の力をカラにする事が出来る。しかし、銀髪の鬼に対しては、あまりにも脆弱だ。
「足りん! どんどんいくぞ!」
道子は再び半紙を構える。
ハナは道子の声に呼応して、鬼の胴体めがけて駆けた。
風を切る音がうるさい。
研ぎ澄まされた感覚が、身体から溢れ出て空気全体を支配するような感覚。
いける――
絶対、助けるから――
振り下ろされた左腕に半紙が貼られた。
一瞬で交差し、左足を軸に反転する。
衝撃でスニーカーの靴底が消しゴムのように擦り減る。それを気にする事なく、右足を蹴って再び鬼へと走る。
右足、胴体、左足――
鬼の身体に道子は半紙を貼り続ける。数十枚の半紙が鱗のように鬼の身体を埋め尽くしていく。
やがて銀髪の鬼は地面に膝をついた。
いける。
「今だよニコリちゃん! かぶちゃんを救い出して!」
振り向きざまに叫ぶ。
視野の片隅に、蕪太郎へと駆け寄るニコリが見え――
その瞬間、激しい閃光が視界を焼いた。
何が起きた?
足を止めるニコリ。
ハナは銀髪の鬼へと向き直る。
鬼の頭部に、何かがぶつかり、再び爆ぜた。
だれ?
なに?
そんなハナの疑問に答えるように、男の声が埠頭に響く。
「あんたら、抜け駆けすんなよな!」
は?
なんの事だ?
バイクの音が近づいてくる。数台、いや十数台……。
「あんたらも、見口サンに依頼されたんだろ?」
ハナは頭が混乱している。
その背中では道子が舌打ちする。
「ど、どういう事――」
「はあ? しらばっくれてんじゃねえよ! そこの鬼とガキを殺せって、見口サンに言われたクチだろ?」
「殺す……? 確保じゃなく……?」
「そーだよ。明日の協会の正式討伐前にその鬼とガキを駆除すりゃ、討伐経費を2割を横流ししてくれるって話だろうが。てめーら、独り占めしようとしやがって……!」
意味がわからない。
バイクの音が近づき、止まる。ゴテゴテに装飾されたバイクの数台には『爆走除霊!霊流卑参』と書かれた旗が掲げられていた。
ハナは息を呑む。
レルヒは残虐非道で有名な野良の霊能者集団だ。暴走族のように群れをなし、暴力的な方法で多くの霊を葬っていると噂に聞く。
男は今、見口の名を出した。見口の差し金と言う事か?
殺す?
協会の方針は確保収容のはずだが?
考えがまとまらないハナを尻目に、複数の瓶――中に聖水が詰められた悪霊用の投擲武器――が投げられる。
それは銀髪の鬼にあたり、閃光を放ちながら周囲に聖水を撒き散らす。
苦悶の叫び声が周囲に谺した。
「まあいいや。先に殺したもん勝ちだよなぁ?」
リーダー格の男は不敵に笑った。




