第62話:キミのための戦い(影山蕪太郎サイド)⑤
道に迷った少女が、たった一人で知らない道を歩く。
涙はとうの昔に枯れた。
でも、心の中で育った寂しさというイバラは、いつだって彼女をチクチクと責め立てる。
道端の花に『名前』をつけ、寂しさを埋め合わせながら、寂しさのない世界を目指して彼女は歩き続けた。
ついぞ、そこには辿り着けなかった。
けれど――
最期は、温かかった。
* * *
ツキヒは蕪太郎の体温を感じていた。
肌という境界線は、二つの魂を押しのけ合い、互いが別の個体だと切り分ける。
しかしだからこそ、唯一共有される相手の『温かさ』に、気が付けるのかも知れない。
夢見ていた理想の世界は成し得なかった。
しかしツキヒは、この温かさだけで十分なのだと感じた。
その瞬間、ツキヒの身体が、粒子となって崩れ始める。
追い求め続けた夢が、ついぞ叶わないと悟った少女は、小さな温もりを胸に空へと消えていく。
最期に、何をすべきか――
ツキヒは蕪太郎に『名付け』ようとする。
『あなたは、月陽――』
それは、自分が授かった『願い』の伝播だった。幸せになってほしいという母の愛、それを目の前の少女に渡すべく、ツキヒは蕪太郎に名付け――
「違う……」
蕪太郎は首を横に振った。
「あたしは、影山蕪太郎……影山月陽じゃ、ないんだよ……」
その言葉に、ツキヒは目を丸くする。
決意と寂しさが入り混じった表情の蕪太郎。でも両極に揺れ動く自分を律するように、大きく頷いた。
「あたしの名前には……最初、愛も願いもなかった……」
蕪太郎はツキヒを押さえ込んでいた手を離し、服の袖でぐしゃぐしゃに涙を拭う。
「でも、蕪太郎だからこそ、出会えた人だっているんだ……。最高の友達とか、大好きな、その……カレシとか……」
真っ白な、何もない世界の中で、蕪太郎は自分という存在を思い返す。
それは孤独の日々だったかも知れない。でも、凪いだ海に反射する夏の陽射しのような、一瞬の微かな輝きだって無数に存在していた。
「あたしは……そんな影山蕪太郎としての自分を、無くしたくない……」
戸惑いで固まっていたツキヒの表情が、徐々に緩んでいく。
「あの、お父さんとだって……蕪太郎のままで、分かり合えるって、信じたい……」
そしてツキヒは笑った。
蕪太郎の臆病な願いを包み込む、やわらかな表情だった。
「だから、あたしは……影山蕪太郎でいたい……。ごめんな……ツキヒ……」
光の粒となって消えていくツキヒ。
この小さな無数の光は、海の輝きと同じだなと、蕪太郎は思った。
それを眺める人々の、沢山の願いを内包するからこそ、海は――時にキラキラ輝くんだ。
光の粒の一つに、蕪太郎は手を伸ばす。
手の中に止まったそれは、やがて粉雪が溶けるように、蕪太郎の手のひらへと吸い込まれていった。
* * *
太鼓の音が、薄暗い教室にひしめいている。
椅子に座って微動だにしない影山さん。
その傍にしゃがみ込み、心配そうに彼女の手を握っている松原さん。
そして、何もできないもどかしさで、椅子の背もたれに置いた手が震えている情けない僕。
今は祈るしかない。
影山さんが、心の中のツキヒに負けないように――
『おい、童貞……』
リュウジの声で、僕はそちらを向く。さっきまでナメクジに噛まれて呻いていたリュウジだったが、その背中からナメクジが消えていた。
『ナメクジ野郎……人間の姿になって、どっか行きやがった』
「影山さんのお父さんが……?」
あのナメクジは、影山さんのお父さんの霊体がツキヒによってカタチを変えられたものだ。その姿が人間に戻ったという事は、ツキヒの能力の効果が切れた事を意味しているのかも知れない。
何かが起きた――
影山さんの中で――
僕は再び影山さんへと視線を移す。
穏やかな寝顔だ。まるで
その目から一筋の涙がこぼれ落ちる。
涙の跡を、僕の視線が辿っていく。
再び影山さんの顔に視線を合わせた時、その大きな目がゆっくりと開かれた。
「あ――」
声をかけようとして、僕は言葉を止める。
今僕の目の前にいるのは、僕の知っている影山さんなのか?
それとも――
「君は、だれ……」
そう尋ねるしかなかった。
影山さんの姿をした女の子は、呆れ顔で……いつも悪態を吐く時に見せる、口の端を上げた表情で、僕の問いに答える。
「あたしは……影山蕪太郎だよ」
* * *
ツキヒは消滅した。
そして、影山さんが戻って来た。
その事を伝えると、『協会』の連中は騒然となった。
僕達の言葉なんか信じない人が大半だった。でも、校舎の中に閉じ込め、更には影山さんの中に封印したはずのツキヒの『霊力』みたいなものが、忽然と消えてしまったのもまた事実。
結局、協会はこの作戦の失敗を認める事となった。
連中が調べてわかった事として、どうやら影山さんの魂に、ほんの少しだけツキヒが混ざり込んでいるらしい。
でもそれは、ツキヒの行使していた『名付け』の力など到底使えない程度の、砂漠の砂粒みたいな断片。影山さんにツキヒを封印し、その力を自在に操るという協会の企ては、脆くも崩れ去ったという事になる。
自分の中に少しだけツキヒがいる。
右手の掌をじっと見つめる影山さんの顔は、何故かとても嬉しそうだった。
あんなに憎んでいたはずなのに……。
影山さんの内面世界でツキヒと何があったのか、僕にはわからない。
でも、今すぐに聞こうとは思わない。
彼女が話したくなった時に、そっと教えてくれればいい。僕たちは、これからもずっと一緒なのだから。
ちなみに、封印の儀式を邪魔した張本人として、僕は神源寺のおっさんに胸ぐらを掴まれ罵倒された。むしろ僕の方がおっさんの金玉を蹴り上げてやりたかったけど、僕は大人なのでじっと堪えた。
自分を睨みつける僕の目にたじろいだのか、神源寺のおっさんは「お前の監視がなってないからだ!」と、見口とかいう男を怒鳴りつけながら去っていった。
ほんと、最後まで嫌なやつだった。
嬉しかったのは、白装束の一人の言葉だ。そのおじさんは、去り際に影山さんへ深々と頭を下げた。
本当に申し訳なかった―――
どんな大義名分があったとはいえ、若者を意図して危険に晒す行為が、正しいはずがない。
わかってたのに、何もできなかった。
一介の霊能者に過ぎない自分には、この事態を止める権限はないと、違和感から目を逸らしていた。
「謝んなら……最初っからやるんじゃねーよ……」
そんな身も蓋もない影山さんの言葉に、おじさんは頭を下げたまま言う。
今回のような協会の暴走が二度と起きないよう、自分は協会全体に、今日の出来事を伝えていきたい――
それがどの程度の抑止力になるのか、僕にはわからない。
でも、おじさんのように違和感と向き合える人が増えれば、みんなが正しい方向に変われるのかも知れない。
そんな、世界であって欲しい。
* * *
ツキヒを巡る一連の騒動に幕が下りた。
そして僕達は、いつもの日常へと戻ってく――
そう思っていた。
これまでの戦いは、影山さんとツキヒの戦いだった。
でも、ここからは――
影山さんのための、僕の戦いだ。
【長すぎるので読まなくてもいいあとがき】
影山蕪太郎という『変な名前の女の子』で短編を書いた後、その名前をつけられた背景を色々考えた結果、23万文字くらいの(幕田にしては)ながーい物語になってしまいました。
名前というものは、親からの初めての贈り物などと言われたりします。
更に名前は、存在をこの世界に定義づけるもの、みたいに言われたりもします、多分。
何の願いも、想いもない、空っぽの名前を持った女の子が、自身の名前に自分で意味を見出していく物語。
もう一つの未来として、蕪太郎がツキヒの名付けを受け入れ、『影山月陽』として生まれ変わる展開もアリかと思いましたが、蕪太郎として築いてきた絆を捨てられないのが、かぶちゃんなんだろうなーって思ってやめました。
影山蕪太郎の物語が、ながーい物語だったからこそ、このかぶちゃんの決断が納得いくものに映ってほしいなと思います。
そして、この話はかぶちゃんだけの物語ではありません。
語り手であった、阿部康平の物語でもあります。
この回で完結したっていいんでないか? とも思ったのですが、それでは阿部くんが影山さんの活躍を語るだけの存在で終わってしまいます。
阿部くんにも、頑張ってもらいたい。
かぶちゃんのために。
そんな気持ちで(多忙で書くのしんどいですが)当初予定していた結末まで持っていく事にしました。
ここまで読まれてる方がいらっしゃれば、もう少しだけ、お付き合いください。
それでは――




