第59話:キミのための戦い(影山蕪太郎サイド)②
ツキヒはゆっくりと蕪太郎に歩み寄る。
激しく鳴り響く太鼓の音が、蕪太郎の心臓の叫びと共振する。
金色の髪を粘膜に絡めながら、首に巻かれた人面のナメクジが笑った。恍惚の微笑みだ。
蕪太郎の知ってる父親は、いつも眉間に皺を寄せ、自分の愛するものを奪ったこの世界を――この世界を織りなす森羅万象全てを、呪っていた。
それなのに、なんだ?
この悦びに満ちた顔は――
クソ親父!
蕪太郎は心の中で叫ぶ。
消えかけの炎に薪を焚べるように。
そこはテメーの住む場所じゃない。
もうすぐ、そのイカれた場所から、救い出してやるから……!
近づくにつれて、ツキヒの顔が鮮明になっていく。
やはりその顔は、母に似ていた。優しそうな目も、柔らかそうな頬も、厚い唇も。
蕪太郎は胸が苦しくなる。
計画では、自分は結界よって護られているため、ツキヒの方からこちらに触れることは出来ないはずだった。まるで分厚いガラス越しに、猛獣を眺めているような感覚だ。
もうすぐ外の連中が突入してきて、コイツをフルボッコにするんだろうか。
得意技の『名付け』をしてこないのは、『沈黙のラベンダー』の効果が出ているって事なのか。
やっぱり……このムカつく横っ面にぶち込んで、ボコボコに歪ませてやりたかった。母親と同じ顔が、他人にフルボッコにされるのは、見ていて気持ちいいもんじゃないから。
そろそろ、ツキヒは境界線に到達する。
そこには結界が……。
しかし、伸ばされたツキヒの手は――
蕪太郎の肩に触れた。
え?
瞬間的に、背後から銀髪の鬼を出現させる。
同時に胸元から、リュウジが飛び出す。
あねさん!
沈黙の香りの中で、リュウジのどこを見ているかわからない複眼が、ヤバいと叫んでいた。
蕪太郎は考える。
なぜ触れられた?
結界があるはずじゃ?
椅子から立ち上がり、体勢を立て直そうとして――
立てない。
身体が、固いロープで椅子に縛り付けられているみたいに。
おいおい! なんだよこれは!
これじゃ、本当に釣り針の餌じゃ――
* * *
ムシキングであるカマキリリュウジは、人間が曰う『愛』ってものが、心底不可解でならなかった。
生まれて来た時、カマキリに親はいない。
親は産卵の末、冬の寒さに耐えきれず死んでしまうのが、自然の摂理だからだ。
フカフカのベッドの中で冬を越え、同時に卵から這い出る兄弟たちとて、やはり心の繋がりなど皆無だ。
兄弟のオスはメスを奪い合う敵でしかなく、メスは自分の遺伝子を育てる保育器でしかない。
そして、飢えや捕食、寄生虫などでその大半が死んでいく。運良く生き残ったところで、自然界が定めた命の時間はせいぜい半年。
他者と『愛』とかいうものを育む余裕など、自然の摂理の中には存在しないのだ。
だからカマキリは、他者との間に生まれる『愛』というものを知らない。
しかしリュウジは、ムシキングになる事で、そんな自然の摂理から逸脱した存在になった。
悪霊として存在し続けて、気がつけばもう1年になる。そしてその命はこれからも、2年、3年と積み上がっていくに違いない。
ただ本能のまま、自然の摂理に翻弄された価値観に踊らされ生きていくには、これからの人生は長すぎる。リュウジは最近、そんな事を思い始めていた。
人間の寿命は80年。
それを1人で生きるのは暇すぎるから、誰かと繋がり、誰かに寄り添って、その暇を潰そうとする。
阿部康平は、影山蕪太郎と繋がろうとする。
同時に阿部康平は、父親や母親、妹と繋がっている。蕪太郎もまた、大嫌いな父親とすら繋がりを維持しようとする。
人間は暇な生き物だと嘯きながらも、リュウジは彼らから学びたかった。
人間が楽しむ最大の暇つぶしを。
* * *
リュウジのカマが振り下ろされる。
退いたツキヒの金色の髪が、数本宙に舞った。
昆虫サイズだった体は、人間サイズにまで巨大化していた。元々は教室を埋め尽くすほどの大きさだったが、蕪太郎に成敗されたことで怨念が四散し、今ではこれが関の山だ。
間髪入れずに蓮撃。
ツキヒはバックステップでそれを回避する。
小さな口を開き、重たい舌をモゾモゾと動かし――
『ば――』
発せられる前に、リュウジのカマが再びツキヒの眼前を掠めた。
ツキヒの首に巻かれた人面のナメクジが、低い唸り声をあげてリュウジを睨みつける。
うぜぇ。
でも、あんなにベトベトでヌメヌメでキモい液体でで、大事なカマを汚したくはない。それにアイツは、蕪太郎の父親の魂が変異した成れの果てであると、リュウジは聞いていた。
どうする?
切り裂くか?
思考の足踏みから生み出されたコンマ数秒の遅れにによって、リュウジは自分よりはるかに鈍重であるナメクジに先手を奪われる。
ナメクジはゴム毬が跳ねるようにリュウジに飛びかかり、人間の歯で柔らかな腹部に噛み付いた。
『!!』
黄色い汁が溢れ、鋭い痛みが電流のように身体中を流れる。
鎌の先で腹部に取り付くナメクジを薙ぎ払おうとするが、ナメクジは背中に回り込み、今度は胸部の腹部の節に噛み付いた。
固い殻に覆われた節足動物にとって、殻同士の継ぎ目は弱点だ。集中的に攻撃されれば、身体が二つに切り離される。
自慢のカマも届かない。
モゾモゾと身体を動かしながら、リュウジは痛みに耐える。
ちくしょう、なんてザマだ。こんな面倒に関わらなければよかった。人間の真似事をして、理解できてもいない感情に突き動かされた結果がコレだ。
計画じゃ、蕪太郎はもう外に逃げているはずだった。誰でもいいから早く突入して、こいつらをぶちのめしてくれよ。
リュウジは蕪太郎の方を見る。
そこには椅子に座ったまま、動かない蕪太郎。
おいおい! どーゆーことだよ!
さっさと逃げろよ!!
* * *
蕪太郎は身悶える。
椅子に体が張り付いてるみたいだった。
いや、そうじゃない。身体ではなく、この白装束と椅子が引っ付き合っている。
これは全て、仕組まれた事なのか?
「あの……クソ坊主……」
蕪太郎は、その場にいない神源寺に対して悪態を吐く。外から聞こえてくるダミ声の祝詞が心底憎たらしい。
目の前には、奴がいる。
クソったれ!
苦しまぐれにを食らわせた銀髪の鬼の打撃は、相手の頬に当たれども、金色の髪をなびかせるだけにとどまった。
強度が違いすぎる。
最強格の霊能力者の死に際の願いから生まれた存在と、幸せに日和った少女の軟弱な鬼では、密度が違いすぎた。
再び伸ばされたツキヒの手。指先が、蕪太郎の頬を撫でる。
背筋に悪寒が走った。
逃れたいのに、逃れられない。
白い両腕が、頭に回される。
椅子に縛り付けられた蕪太郎と向かい合い、ツキヒは彼女を強く抱きしめた。
肌と肌が触れ合う。
他人の体温を知らない蕪太郎にとって、それは初めての感覚だった。温度を持たない霊体であるはずなのに、蕪太郎はツキヒの体温をはっきりと感じてしまった。
羞恥と屈辱で、頭の中が熱く燃える。
ゼロ距離の笑顔。
高揚する頬と、微かに動く唇。
それがゆっくりと近づき――
蕪太郎の唇に触れる。
そして融合が始まった。
液体のように溶け出したツキヒの身体が、蕪太郎の皮膚に染み込んでいく。
これは協会の連中が仕組んだ事態。
しかし、ツキヒはそれを喜びとともに受け入れているようにも見えた。
それは封印か――
それとも、侵食か――
「や゙め゙ろおおおおおおおお!!!!」
蕪太郎の悲痛な叫びは、届かない。
* * *
「おい、あのド派手坊主に話がある!」
神源寺が祝詞を読み上げる祭壇。
その周辺で楽器を奏でている男の一人を掴まえて、 百々さんは凄んだ。
「やめてください! 今除霊の最中で――」
「そんな事は知ってんだよ! いいからさっさとあの坊主を引き摺り下ろせ!」
「の、祝詞を止めたら、対象に逃げられます!」
「てめえらの目的はなんだ!? 対象の排除か? それとも封印か!? てめえらは何に、アレを封じるつもりだ!? 言ってみろ!!」
「やめてください!」
「お前らは道具みたいに扱ってるけどな、あの子はあたしの孫なんだよ!」
「そんな事言ったって――」男は百々から目を逸らす。「これは、協会の……ひいてはこの国の平和を維持するためなんですよ……」
その態度で、十分に言質はとれた。
「ガキひとり守れないなんて、たいそうな平和だな!」
百々さんは男を突き飛ばす。
僕と松原さん、そして魔女の三浦さんは、校舎を見上げた。城壁のようなそれは、夕日を浴びて燃え盛っていた。
駆け出そうとしたところで、目の前に若い男が立ちはだかる。
「もー、面倒はよしてよ、三浦サン」
スーツを着た長身で細目のその男は、仮面みたいな微笑みを浮かべていた。
「見口さん――」
「まったく、俺もついてきてて良かった。三浦サンもさ、あのツキヒの能力がどれだけすごいものかわかるでしょ? それをむざむざゴミ箱にポイなんて、やっぱり勿体なさすぎるって」
「あなた達のやってる事は、犯罪ですよ!?」
「封印して制御できれば、世界を変える力が得られる。三浦さんだって、彼氏さんと一緒に普通の生活に戻れるし……」
「でもそれは、誰かの犠牲の上に成り立つものじゃない! ツキヒを封印されたら、かぶちゃんはどうなるの!? かぶちゃんの普通の生活は!?」
「まあ、呪物として協会の監視下に置かざるを得ないよね……でも、あの子の人格が残るかもわからないわけで、そんな事考えるのも無駄でしょ」
目の前の男はなんなんだ?
いや、こいつらはなんなんだ?
どいつもこいつも、影山さんをモノ扱いしやがって――
「なら、力づくでも止めます」
三浦さんが何やら呪文を唱える。神隠しの件で僕達を助けてくれたやつだ。
あの時の三浦さんの動きは人間を超越してた。三浦さんにかかれば、こんな優男……。
「いやあ、三浦サンの魔法って、たしか自分にしか効果がないってやつだよね。見るからに軟弱な素人女が、身体強化して飛んだり跳ねたりしたって、俺に敵うとは思えないけどなぁ……」
「なんの能力も持たないあなたに――」
「あのさ、俺、一応監視役なの。バケモンに対して無敵気取ってる『れいのーしゃ』が調子のったら、物理の力でお仕置きすんのが俺の役目なの」
見口と呼ばれたその男は、軽く握った両手を顔の前で構える。格闘漫画のキャラクターみたいな、堂々たる構。その威圧感で、僕や松原さん、そして三浦さんでさえ一歩退く。
次の瞬間、三浦さんの身体が地面に組み伏せられてた。
一瞬すぎて、何が起こったのかわからない。
「彼氏さん、ごめんねー。大事な彼女を押し倒しちゃった」
三浦さんに馬乗りになって、膝で両腕を封じている。三浦さんだって魔法で身体能力を高めているはずなのに、全く歯が立たない。
「ここで、大人しくしてましょ」
片手で三浦さんの頬を押しつぶす。
口元がひしゃげて、小さな声が漏れた。
「さてさて、婆さんは歳でぜえぜえ言ってるし、ガキ共はどうせなんもできないし、制圧完了かな。神源寺さーん! 邪魔なの排除したんで、気にせず続けてくださーい!」
見口とかいう男が叫んだ。
そして、嬉しそうに三浦さんの頬を弄んでいる。
三浦さん、ごめん――
僕は心の中で叫んだ。
そいつは、僕達の事なんて虫ケラとにしか思っていない。だからこそ僕達なら、影山さんの所に辿り着けるかもしれない――
僕は松原さんを見た。いつになく真剣な顔で、松原さんは頷く。
行こう――
僕達は今日まで、何度も悪霊と戦ってきた。その底力を見せてやるよ――
僕達は校舎に向かって駆け出した。
誰かの声が聞こえた気がするけど、振り向かずに走る。
影山さん、待ってて――




