#41
前回までのあらすじ……シュカを止める最後の希望は、女の魔法使いによる<ブレイン>だった。不完全ながらも<ブレイン>の練習に励んだルイーゼは、ついにシュカの前にひとりで立ちはだかる――
感情があふれると魔女シュカは涙の代わりに大量の砂を吐き出す。ざらざらと肌触りの悪い、形のない砂。まるで妖怪だ。だけど、彼女は妖怪でも魔物でもない。きっとただの純情な少女に過ぎない……
「人の家に侵入して、なにをぬけぬけと。今すぐ立ち去りなさい」
シュカが力まかせに押し出そうと、ルイーゼの二の腕を掴んでくる。並みの少女ではない腕力がルイーゼの筋肉を襲った。
「ぎゃあああ! イタッ!」
それこそ握りつぶされそうな勢いの痛みがルイーゼを襲った。最初からなんてヘマを。シュカの手にかかればルイーゼなどひとたまりもないのだ。
「シュカ、やめなさい」
救いの手をさしのべたのはアンだった。アンはシュカの上腕や腰に背後から手を回して拘束――というよりも抱きしめて、シュカをなだめた。シュカもアンには弱い。力が弱まった腕を振り払うと、ルイーゼは後ろの壁まで下がって距離をとり、両腕を上げて、呪文を唱え始めた。
「……我らが魔法使いに授かれた知恵よ、叡智よ。この頭脳を以ってして我、究極の魔法を唱える。心をみだりに操る愚かさよ、この世の非合理の極みの色恋よ……我が心のままにかの者の脳を染めたもう、この頭脳を解き放たんことを――」
ルイーゼは目を閉じて詠唱していたが、だんだん声が小さくなっていった。呪文を覚えていないのだ。一瞬、詠唱が途切れるが、ルイーゼは瞳を見開いた。
驚きの表情で突っ立っているシュカに真っ向から対峙し、ルイーゼは叫ぶ。
「この世の非合理の極みの友情よ、女心よ、恋の矛盾よ。この明晰な頭脳を解き放て!」
思いついたままの古代語をむちゃくちゃに並べて、ルイーゼは呪文を放った。
「――<ブレイン>!」
白い光が狭い居間に膨らみ、弾けた。
まぶしいというよりも煙のようにもうもうとしている。視界が閉じていく。魔力がルイーゼの手の中に集っている。が、まるで圧倒感がない。
不発?
間違いなく失敗している――
ルイーゼは唇をかみ締める。
だいじょうぶ。失敗するのは承知の上! ほんの少しでも、シュカの心を変えられれば!
ルイーゼは光を両手に掌握しながら、シュカの心を操る事柄を強く念じた。
「シュカ。あたしの親友になりなさい!」
一瞬見えたのは、煙に巻かれたシュカの口元。「はぁ?」と歪んでいる。
いまさらシュカの恋心をねじまげようなんて思わない。ただの少女であり、半人前の魔法使いのルイーゼには、そんな芸当ができるわけないと自覚している。ならばこれしかない。
「あたしを友として信用し、なんでも相談しなさい。恋愛のことでも老後のことでも! これまでひとりぼっちだった寂しさをすべてぶつけるの。男になんか頼っちゃダメよ。あいつら、気分で裏切るから!」
調子に乗って、ルイーゼは<ブレイン>の呪文の中に好き勝手に注文を上乗せしていった。もはや注文というよりも独り言である。
「ふざけないで! 親友なんかいないわ。わたしにはアンだけよ」
やがて白い煙が消失すると、砂ホコリと白い煙の残り香が居間を包んでいた。そのなかで、シュカはアンから一歩離れ、ひとりですっくと屹立していた。
「あんたなんか知りません!」
「な、なにを言うの」
シュカの言葉にルイーゼは相当あせった。まったく効いていなかったからだ。
「あたしは親友……までいかなくても友達でしょ。けっこう前に知り合ったし。同じ女の子として、あんたの気持ちはよくわかるわ」
「じゃああんた、人を愛したことある?」
「ありますとも!」
ルイーゼはきっぱりと答えた。
「永遠の愛を誓ったことは?」
十五歳のうら若き乙女にそんなヘビーな経験あるかい、とルイーゼは思った。
「ないわ。ないけど、そこまで愛し合えるあんたたちは正直うらやましい」
「……わたしのようになりたいと思う?」
「うん、もちろん。暴走とか世界滅亡とかはゴメンだけど、将来に向けて、経済力もあってルックスも素敵で誕生日には花束をくれる旦那様を見つけるつもりよ」
「ねえ、ルイーゼ……」
「え?」
さらさら、とシュカの瞳から砂のかけらがこぼれた。涙のようにとめどなくこぼれ、砂時計のように彼女の身体だけ砂がまとわりつき、あふれていく。
「長い、長い時間、生きることは、きっと、アンが一緒ならなんにも怖くないわ。だけど、わたしはこれまで、ほとんどの時間を、ひとりで過ごしてきた……そして、今、アンがいなくなったら、また永劫とも思える時間がわたしにはある。それはなんて辛いことでしょう……」
シュカは細い指で、エプロンの上から薄い胸を押さえた。
「千年も、一万年も、生きることができたって、なんの意味もない。アンとともに過ごした、ほんの短い時間だけが、わたしの命のすべてです」
無表情だったシュカの頬がゆがむ。ひきつる。苦しみを全身で表現する。ルイーゼは、膨大すぎる魔力を持ったこの少女が、逆に不幸に貶められていることを理解した。強大な力というものは、むやみに手に入れてはならない。それに見合う対価が必要だから。
「シュカ。苦しまずに済む方法がひとつだけある。シュカ、あたしが――」
ルイーゼは壁際まで退去していた身体に活を入れて、砂の道に一歩を踏み出した。これらはシュカの哀しみ。これまで幾度も浴びてきた砂だ。砂に脚をずぼずぼと踏みいれ、シュカに近づく。シュカはなにも構えずに、小柄な身体を抱きしめるようにしていた。
ルイーゼは、じぶんよりも小さなシュカの肩を掴んだ。
「あたしが殺してあげる」
さらさらと落ち続けていた砂が、止まった。
シュカが顔を上げる。
長い前髪をかきあげる。大きな瞳には、ひとすじの光が灯っていた。
「アンが死ぬときに、あんただけこの世界に残されないように。アンと一緒に、一秒も違わずに、あんたの息の根を止めてあげる」
「そうすれば、わたし、ずっとアンと一緒ですか? 離れなくて済むの?」
「それは分からない。もしかして、死後の世界で会えるかもしれないけど、あいにく死んだことないし、保証なんかできないわ。けど、生き残りたくないなら、死ぬしかないわ」
「そっか……」
シュカはほっとしたように笑顔を見せた。
「ルイーゼ君……そんなことができるの? シュカは世界最強なのに」
アンが半ばあっけにとられながら、問いかける。
「わからない。けど、シュカ自身が同意してくれるのなら、あたしたち魔法使いの力を結集して、なんとかなるかも!」
ルイーゼは笑顔で答えた。
シュカはルイーゼから離れ、アンの胸に飛び込んで答えを告げた。
「わたしはそれがいい。それがいいです」
「シュカ。本当にいいの」
「良いのです。ひとりになるよりずっといい。アンと一緒なら怖くありません」
昼下がりの木漏れ日が、天窓から届き、砂と恋人同士を照らしていた。シュカはアンの腕の中から、天井を見上げた。
小鳥の高い声がする。雲がゆっくりと動き、光の形を変えていく。蜜の匂いがする。樹木の温もりに包まれている。
ここは、まるで天国みたいな場所だと、ルイーゼは夢想した。
「この世界は美しい。あなたとともに見る景色はなんでも美しいですね、アン。それが見られただけで、わたしは、ほんとうに幸せです」




