#39
前回までのあらすじ☆ブレインを習得するため時の狭間へ行ったシーナとルイーゼ。シーナが実は憧れのリンゴだったことを知り、ルイーゼは人生で十何度目かの失恋をするのだった……。
(なんだか俺が失恋したような気分だな……。実際にリンゴは振られたわけだけど)
でも、恋もしていないのに失恋とはいかに? シーナは自分の気持ちがよくわからない。一方ルイーゼは。
「ちくしょう! シュカのヤツ!!」
ルイーゼの失恋パワーはすさまじかった。落ち込んでいたのはわずか三十分あまりで立ち上がり、天に向かって叫んだ。
「生涯に一度の大恋愛、あたしだってしてみたいわよ。初恋の人と付き合いたかったわよ。というか彼氏いたことないわよ。運命の人と出会えてあんなに思われてるんだからそれだけでいいだろーが、贅沢者! ワガママ放題の砂女め!」
急に元気になったルイーゼに引きながらも、シーナは細かいことは気にせずに話を進めることにした。
「シュカのこととルイーゼの個人的なことはまったく関係ないと思うが……まあやる気になればそれでいい。よし、じゃあこの魔法書を読み込んで、ブレインの組み立て方を理解するんだ。実際それしかない」
「え。それしかないの!?」
「ああそうだ。わかったなら、早く読むんだ」
むう、と唇を曲げながらルイーゼがその場にあぐらをかき、受け取った魔法書を広げた。
ゴミ屑が散らばったようなわけのわからない文字がびっしりと羅列している。
「こ、これは、古代文字ばっかりね……」
古代文字は句読点がほとんどなく、一ページも二ページも改行もなく、地続きになっているという、どこからどう読めばいいやらさっぱりわからない難解な言語である。発音するとなるとさらに困難を極める。しかしブレインは古代文字を発音しなければならないようだ……という旨だけは読み取れた。しかし……。
眉根を寄せて頭をかきはじめたルイーゼに、シーナは「まさか読めないわけじゃないよな?」と囁いた。
「ま、まさかそのまさかよ!」
「だよな? 魔法学校でも古代文字の授業がほとんどを占めるほど、魔法使いにとって重要なスキルだし――」
「ぜんぜん読めないよ!」
「え?」
「古代文字の授業は遅刻欠席ばっかりで、単位落としそうになって、結局カンニングをして進級したの……すごいカンニングペーパーをつくったのよ! 自分の目以外には、落書きに見えるようにプロテクトをかけたのっ!」
「なんの自慢にもならないことを自慢げに言うな! ルイーゼ、本気で今さら言うが、なぜおまえがクライ様の弟子なんだ。俺は同じ立場として心底から恥ずかしい!」
「仕方ないじゃないの~~。魔法学校のほうが楽しいかなと思って入ったんだもん」
「まずは古代文字の勉強からか……!」
シーナはまともに頭を抱えた。
「いや、でもこれをやらなければ。クライ様から任された大きな使命だ……」
「ねえ、あんたは読めるんでしょ。じゃあ現代語に要約して教えてくれればいいじゃないの?」
「そんなに簡単にいくか。現代語では概念の伝わらない言葉がふんだんに使われているから、古代文字で記されているものを今も俺たちは使っているんじゃないか。ブレインならなおさらだ」
「なによそれ。間に合うのかな」
ルイーゼが劣等生だったことは疑いようもない。シーナはどうにか知恵を絞った。
「間に合わせるぞ……! そう、そうだ。俺が魔法でリンゴに化ければ、ルイーゼは触発されて、ありえない力を発揮するかも」
「なに言ってるのよ。もうすでに失恋したし、リンゴがあんただって知っていればなんの意味もないわ」
「はっきり言ったな……」
プライドが傷ついたシーナは己に変身の呪文を詠唱した。まったく別の人間に化けることは高度な術が必要だが、五年前の自分に変身することはシーナには簡単である。
「やあ、ルイーゼ」
12歳のシーナ、もといリンゴが煙の中から現れて、ルイーゼにほほ笑みかけた。
「ぎゃあああああああ!! リンゴ、可愛いいいいいい!!」
ルイーゼは悶絶してその場にうずくまった。
「もちろんニセモノだってわかっててももうダメかわいい!!」
「わかったからルイーゼ早く勉強するぞ」
「はいっ、やります!」
目の色をぎらぎらさせてルイーゼが魔法書を手に取った。
「ああもう、愚かしい……そして馬鹿馬鹿しい……」
けど、やるしかない。
人類存亡のためだ。つまらないプライドはドブに捨てよう。
シーナはそう決意し、授業を始めた。リンゴを演じながらルイーゼのやる気を120%まで引き上げることに成功したのだった。
* * *
「クライ様、あたしたちはなにもしなくていいんですかぁ?」
「クライ様ってば!」
モモエとロッテはなにか協力できるものがないかと気を焦らせていた。しかしクライはといえば、日曜の昼下がりのようにのんびりと、シュカの家のすぐそばの大木に背中をあずけて日向ぼっこをしながら、なにやら難しそうな古代文字の本を読みふけっていた。
「言ったでしょう? ぼくたちが今できることはなにもありませんよ。むしろなにもせずにおとなしくしていればいいのです。そうそう、世界が滅びるかもしれないし、きみたちも思い残しがないように好きなことをしていなさい。ぼくはもうどうしてもこの本だけは読み終えたいのです。だからジャマしないようにね」
「そんなに大事な本なんですか?」
ロッテは内容が気になって表紙をよく観察した。
「あたし、古代文字って苦手。なんて書いてあるの?」
モモエが素朴に尋ねる。
「うっ……」
ロッテが引いた目でうめいた。
「クライ様、それって」
「これね、一大巨編恋愛小説の古典なんですよ。ものすごく長いんだけど、ようやく最後の十巻目でね」
「あの……それただの官能小説ですよね?」
「ああ、きみはほんとうによく勉強していて博識ですね、ロッテ。そうなんですよ古代の恋愛事情とエロティシズムが一冊でわかってしまうという歴史的な書物です。でも、ただの官能小説ではありませんよ。内容の八割が性描写で、ありとあらゆるバリエーションに飛んでいて、実に面白い」
「す、すごいですね!」
こう答えたのは、完全に引いているロッテの隣でけっこう乗っているモモエだった。
「一巻を持っているから貸しましょうか?」
「いいです。よりによって世界の終わりの日に読みたくないです!」
ロッテは語気を強めて宣言した。
ロッテはモモエを引っ張ってクライから離れた。
「まったくあの人、なに考えてるのかしら。こんな日にあんな読書って……」
「ねえロッテ、気になるよ。内容がすごく気になるよ。翻訳してくれない?」
「お断りよ!」
服を引っ張ってくるモモエに、ロッテが声を荒げた。
「オホン」ロッテはわざとらしく咳払いをし、「それより、モモエ。アンとシュカの様子が気になるわ。見に行きましょう」
「うん……」
* * *
シュカの家の窓を覗くと、アンとシュカがまるで新婚生活のような雰囲気の中、昼食の準備をしていた。シュカは白いエプロンをまとい、若奥様のいでたちをして、野菜をぐつぐつと鍋で煮ていた。アンは食卓にカスミソウの花を飾ったり、テーブルの上を整えたりしたりしていた。
「いつあなたが帰ってきてもいいように、ずっとずっと、ふたりぶんの家具と食器をそろえていたのです」
シュカが言う。
やっと会えた恋人があと数日の命だと知らずに。
アンは慈しむような笑みで、シュカの背中のリボンを見ていた。
「でも、シュカ。ぼくはまた行かなければならないんだ」
「え?」
鍋をかきまぜていたシュカは、おたまから手を離してアンを見た。
「いま、なんて……」
「ぼくはまた、すぐに行かなきゃいけない。シュカ。ずっと傍にはいられない」




