#38
前回までのあらすじ★アンの命が尽きる前の最後の手段として、ルイーゼは自ら魔法<ブレイン>をシュカにかけることを決意する。三日間の厳しい特訓がはじまる……。
クライ、シーナ、ルイーゼ。三者が対角線上に位置し、トライアングルの形をつくっていた。
三人はシュカの家から離れた場所にある、かつて人が住んでいたらしい退廃した小屋の並びの中央にある広場に集合していた。
師匠であるクライが口を開く。
「では正直に結論から言いましょう。三日間で<ブレイン>を習得するなんて逆立ちしてもバナナの皮で転んで頭を強く打って別人格に覚醒しても無理です。というわけでルイーゼは<ブレイン>を取得できません」
「って先生、さっき満場一致したのに数分後に全否定しないでよ! あたしの立場が丸つぶれじゃない!?」
修行を受ける気満々で、魔法使いとして正装である黒いローブを身にまとってこの場にやってきたルイーゼはクライに、ローブのマントを振りかざしながら迫った。
「落ち着きなさい、ぼくは最初から不可能なことを認めたりしません。ぼくを誰だと? 不可能なことでも魔法で可能にしますよ。方法はひとつだけです。時間が足りないのなら、時間を遅らせるしかない」
「時間を……」
「遅らせる?」
ルイーゼは息を飲み、シーナは眉を曲げた。
「クライ様、それは時間を操る魔法ということですか。時間の経過を遅くし、ルイーゼに<ブレイン>を習得させると……」
「ご明察、その通りです」
クライは真顔で応答した。
「えええええー、そんなことできるの? 早くいってよ! すごいじゃない、先生!」
「アホ言え、勉強不足だぞルイーゼ。時間を操作する魔法は魔法倫理規定に反する。禁断の魔法のなかのひとつだ!」
「そうなの? でもなんか時間操るなんてヤバそうな匂いはするけど」
「ああもう、お気楽な」
歓声をあげるルイーゼに苛々を募らせるシーナ。
「むろん、この世界のすべての時間を操るわけではないですよ。単にルイーゼの周りだけ……そうですね、ぼくの力を持ってすれば、最大でも一ヶ月の時間を与えることができるでしょう。今さら魔法規定なんて気にしていても始まりません。なにしろ賭けているのはこの世界です。ぼくが制御を誤らなければ、なんら問題ない」
そうよそうよ、という目でルイーゼはクライの肩を持った。シーナは腕組みして頭をかいた。
「クライ様。時間を操る魔法はいくらあなたでも相当の魔力を使う。そうなったら、肝心なルイーゼの修行……<ブレイン>の伝授が出来なくなってしまいます」
「その心配は無用です。ぼくには優秀な弟子がいますから」
クライはにこりとほほ笑むと、「ね?」と言ってシーナの肩にぽんと手を置いた。信頼している、という親しみが込められた動作だった。
シーナはその場に硬直した。ルイーゼが驚いて振り向き、クライに訴えた。
「でも先生、シーナは<ブレイン>をきちんと習得してなかったような気が!?」
「悪かったな!」
間髪いれずにシーナが声を上げた。
「大丈夫。シーナはぼくに直接指導を受けずとも<ブレイン>の基本構造を理解しています。そんな人は今までにいなかった。だから君は基本だけをルイーゼに叩き込んでください。仕上げはぼくが引き継ぎます。さあ、議論している時間はもうない。魔法をかけます。一ヶ月の時間とはいっても実際は三日間なので、寝食は三日分くらいで体力が保たれるので安心を。では健闘を祈ります」
ルイーゼは、クライが何か呪文を唱え始めたのを耳にしたが、聞き取る前に目の前が真っ暗になって、意識がぽんと途切れた。
* * *
はっと気がつくと、そこにクライの姿はなかった。他になにか変わったことがあるようには思えず、背後に木々を構えた山の中腹に戻っただけだった。ルイーゼは手を開いたり結んだりして、果たして今時間が遅れているのか?
「あれ、シーナ? どこ?」
なぜか兄弟子の姿が見えなかった。
「まさかあたしひとりだけってわけじゃないでしょうね。せっかく先生がつくってくれた時間を無駄にするわけに……」
丸太が積んである小屋の前に倒れている人影を見つけ、ルイーゼはほっと胸を撫で下ろした。
「そこにいたの、シーナ」
倒れている少年に駆け寄っていくと、その少年がシーナとはどこか違うことに気づいた。
体型や衣服はシーナと同様なのに、なぜか髪の色が金髪ではなく青銀色だったのだ。こころなしか襟足まで伸びている。
(えっ、これって……)
ルイーゼは心臓の辺りがいっぺんに脈打ちはじめた。見たことがある。強烈に記憶に刻み込まれている、この髪の色。
「うう、クライ様の魔法が効いているのか……?」
青銀色の髪の少年が頭をかきながら身を起こし、周りの景色が変わっていないことを確認すると、ルイーゼに向き直った。
「よし、ルイーゼ。修行だ」
「………」
ルイーゼは口を金魚のようにぱくぱくさせていたが、やがて両手で押さえた。
「おまえ、なにマヌケ面している? 時間がないんだ。早速、魔法書を読みこむところから始めるぞ」
青銀髪の少年は、クライから預かった<ブレイン>の秘法が記された魔法書を取り出してページを捲った。
「ミラー・ミラーレ・ミラーシア!」
突然ルイーゼは少年の頭に手を振りかざし、『真実の鏡』を出現させる得意の呪文を唱えた。
「な、なんだいきなり――」
少年の目前に吸血鬼のレリーフの大きな姿見が出現し、彼の姿を映し出した。彼は鏡に映る自分の姿を見る。
それはコンサート会場のステージの上で大勢のファンからの歓声と脚光を浴びる、12歳の少年だった。
今から約五年前、シーナがリンゴとしてアイドル時代を送っていた頃の姿を、『真実の鏡』は映したのだ。
「やめろ……ルイーゼ」
シーナがつぶやくと、鏡の映像がぷつりと消えて、現在の17歳の少年を映し出した。髪の毛が銀髪に戻っているのを見て、彼は髪に触れて苦笑した。
「……そっか、コレで気づいたのか」
シーナは力を抜かして、その場にあぐらをかいて座りこんだ。魔法書を伏せて隣に置く。ルイーゼは黙したまま立ちすくんでいた。
「リンゴの過去から解き放たれたくて、俺は魔法使いになったんだ。アイドルになったのは、母の願望だった。幼いうちからオーディションを受ける生活が続いて、子役でビューを果たして、12歳でアイドルにのぼりつめた。でも、俺はただ言われるままに動いていただけで、年を経るにつれて、こんなことをしていていいのか悩むようになった。本当は嫌だったんだ、俺はマエストロにずっと憧れていたから、芸能界より魔法学校に入りたかった。でも人気絶頂のときに芸能界を辞めることはできずに、結局、名まえも外見も変えて、失踪したんだ。銀髪は魔法で染めた。ヘアカラーでは染まらない髪質だったからな。クライ様の魔法の空間の中だから、髪の毛にかけた魔法が切れたらしいな……」
仕方ない、無駄な魔法を使うわけにもいかない、と自嘲ぎみにつぶやくと、シーナは立ち上がり、魔法書を手にルイーゼを見た。
「しかし、今はそんなことはどうでもいい。早く修行を始めるぞ」
「……」
ルイーゼはさきほどから鏡を凝視したまま、微動だにしていなかった。瞬きも忘れているらしく、目が血走っている。
「ルイーゼ、どうした」
「そんなのってないよぉぉぉぉ!」
ルイーゼは頭を抱えてその場に寝転がり、ぐるぐる、ぐるぐると坂を転がるように回転しはじめた。
「な、なにを!」
「だってだってあの可愛い愛しの王子さまが、あたしのリンゴがリンゴがまさかこんな、なんのかわいさもないヘタレお坊ちゃまのイイコぶりっこ高慢チキな屁理屈野郎だったなんてぇぇぇぇ!」
「おい……」
シーナは目を閉じて深いため息を付いた。ルイーゼはまだぐるぐる回り、細かい雑草や土をローブにくっつけていた。
「おまえな、世話をしてやってる先輩に、そこまで言うか!」
「うわあん、あたししばらく立ち直れない~~~」
ルイーゼは雑草をかきむしりながら苦渋の涙をのんだ。
「知るか! だいたいファンのやつら、アイドルに幻想とか抱きすぎだ。アイドルはトイレに行かないとか言い張るんだろ? アホだろ、おまえらアホだろ!」
「リンゴはトイレなんて行かないもん~~~、だって王子さまだもーん!!」
「この馬鹿!この馬鹿! 目を覚ませ、人類の存亡がかかってるんだ!」
「あたしの恋はどうなるのよぉ、あたしの青春は? あああ、返して!」
「恋は終わった、幻だ。さあ修行だ、立てルイーゼ」
シーナは青銀髪をなびかせて、うつぶせのルイーゼの腕を無理やり吊り上げようとした。
「イヤー! 鬼、悪魔、妖怪! 座敷わらし~!」
「てめえ、誰が座敷童なんだ!」
思わずシーナは頭に血が上り、てんで動かないルイーゼのわき腹に蹴りを入れた。女の子を蹴ったのはこれまでの人生で初めてだった。




