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#34

前回までのあらすじ☆クライに代わり魔物を止めようとするルイーゼだが、シュカの暴走は止まらずに、ついにシーナは最終手段の<ブレインを>発動させる――

 てのひらからあふれだす緑色の光に祝福されるように包まれて、シーナの周りだけは砂がさらさらと抵抗もせずに空気に溶けて消えていった。途方もない気持ちでルイーゼはそれを見ていた。

 それは人の心を操る禁断の魔法。

 使ったものは魂を蝕まれる。もう普通の恋も結婚もできなくなる。一生魔物に囚われながら生きなければならない。

 砂を吐き出していた魔物がすっくと立ち上がり、シーナに向き直った。シュカが砂の代わりに涙をぽたぽたと流し始める。ふらつきながら砂の上をそぞろ歩き、シュカは緑色の光の中へと飛び込んでいった。光のほうへ。

 あまりにまばゆく輝くもので、ルイーゼは結界のなかで反射的にまぶたをぐっと閉じた。

(もう、見ていられないよ)

 こんなのは馬鹿げている。胸は痛むというよりも、心地よい。優しい緑の、新緑の光が暖かに肌を包む。魔法を掛けられたのはシュカなのに、ルイーゼもまた、小さく心が動くのを感じていた。

 もう輪郭もあやふやなマエストロのシーナと、哀れな哀れな魔物シュカの身体が緑の光の中でぐっとひとつになる。ああ。あたしもあの安息の場所へ行けたら。そんな勘違いを起こすほど、強力な魔法に空間が包まれていた。もう見えない、けど確かにそこにいる、自らを捨てに行ったシーナを強く思う。心に思い描く。頼りない表情、細い腕、少し高い声。

 あの腕に抱きしめられたら。耳元にあの声で囁かれたら。もう何もいらない――。

「しっかりしなさい」

 ぺちんと頬を叩かれ、ルイーゼは正気に戻った。頬を押さえて、「痛い」とつぶやきながら、ルイーゼはすでに砂ばかりが荒涼と残されているばかりの地に気づいた。緑色の光も、マエストロも、魔物も、幻だったかのように消えていた。おそらく山奥にあるふたりの棲家に帰ったのだ。

「馬鹿だよね、ロッテ。今あたしまで魔法にかかりそうだった。あいつに、シーナに……なんてね」

 ルイーゼは目の端に笑いながらそっと涙を溜めて、言う。

「あたし、止められなかった……」

「今はこれからのことを考えるのよ、ルイーゼ。後悔してる暇なんてない」

 結界を解き、さすがに疲労したらしく地面にへたりこみながらも気丈にロッテが言う。

「そんなに簡単に切り替えられないよ。だって、シーナが、シーナが。あたしがしっかりしてれば、シーナをこんな目にあわせなくて済んだ! もっと他に方法があったかもしれないのに、私が無茶したから! シュカの恋人なんて見つけられるわけないのに。意地張って、無理して……」

 ルイーゼはくずれて、砂に身をうずめていった。シュカの悲しみがもたらす砂に触れていると、不思議と悲哀も増幅した。

 あのままでは確実にルイーゼたちは暴走するシュカに息の根を止められていただろう。

(シーナ、あたしを守るために……?)

 ずっとこうすることを決めていた?

 先生を守るため。あたしを守るため。皆を守るため……

「ルイーゼ、あきらめちゃだめ」

 ルイーゼがその力強い声に顔を上げると、そこにはアンダーソンを連れたモモエがいた。

「モモエ……」

「まだ方法があるよ。アンダーソンさんのお話を聞いてあげて」

 涙をぬぐって、ルイーゼは目を凝らした。老境の地にあると思しきアンダーソンの姿が、ほんの一瞬、青二才とも言えるほどの若者の姿に見えた。




 ***




 アンダーソンはお茶を飲み干すと、事情を語り始めた。

「いかにも、私がかつてのシュカの恋人なんだ」

「え、えええええっ……?」

 にわかには信じがたく、思わずルイーゼとロッテは驚きの合唱をした。

「でもだってどうしてあわわ!!」

 うまく言葉にできずに頭をかきむしるルイーゼに、アンダーソンはゆっくりと話し始めた。

「シュカには時間の感覚というものがない。たとえ200年前に別れたのだとしても、つい昨日のことのように恋人と過ごした日々を憶えているんだ。なにもそれは彼女が悪いからではなく、それだけ強力な老化しない身体と意志を持つ、彼女が魔物だからというだけのこと。人間と恋に落ちるなんて馬鹿げていたけれど、私たちは真面目だったんだ……。

 でもいずれ時の流れが私たちを分かつことは分かっていたんだ。無邪気なシュカはそんなことに気づくこともなかったけれど、私だけは、一緒にいられないことが分かっていた。だから離れようと思った。

 そんなときだ、私は一人の魔女に出会った。美貌と引き換えになんでも願いを叶えてくれると魔女は言った。私は迷わず永遠の命をくれと懇願した。そうすればずっと私はシュカと一緒にいられると思ったんだ。シュカは魔物とはいえ寿命がある。けれど私が永遠の命を手に入れれば、少なくともシュカはもう一人にならなくて済むんだ……そう思い、私は魔女との契約書に血でサインをした。そうしたら、私は確かにこの日まで長生きをすることができた。

 しかし身体はこのような老人になり、自由に動くことさえも適わなくなった。これではシュカに会いに行く事も探すこともできない。なにより変わり果てたこの姿では、シュカは別人だと思うのも無理はない……私はすっかり魔女に担がれてしまったんだ。老婆だった魔女は青年だった私の肌の艶を盗んで、それは美しい姿になったよ。もう生きているかもわからないが……とにかく、私はあの日から病人になってしまった。決して死ぬことが出来ない永遠の病人にね。ようやくシュカに再開できたと思ったけれど、こんなことになるのなら、魔女に魂なんて売らなければよかった。もう、なにもかも遅いのだけどね……」

「遅くなんてない」

 モモエは立ち上がって、リクライニングチェアーに寄りかかるアンダーソンの手を取って握りしめた。

「ぜったいにシュカに気づかせよう。アンダーソンさんに気づけばシュカの苦しみは終わる。アンダーソンさんの苦しみも終わる。そうでしょ」

 青い血管が浮き出て、やせ細って染みだらけのアンダーソンの手をしっかと握って、モモエは励ました。そうだ。まだ方法はある。ルイーゼはモモエの強さに目が覚める思いだった。シュカの恋人はここにいる、どんなに姿が変わっても、人生の全てを賭けて彼はシュカとの愛を貫こうとした。それが伝われば、伝えることさえ出来れば――。

「話はわかったわ。じゃあ具体策はあるの?」

「もう一度魔法をかける」

 モモエは宣言した。

「もう一度アンダーソンさんに魔法をかけて、若い頃の姿に変えるの。あたしたち三人がかりでやれば、できると思う」

「待って、モモエ。それじゃあアンダーソンさんへの負担が重過ぎるわ。無事でいるという保証はない……ううん、魔法をかけたとたんに倒れて、二度と起き上がれなくなるかもしれないのよ!」

 ロッテが言ったのは正論だった。しかし、アンダーソンはほほ笑んでかぶりを振った。

「それでもいいんだよ。私がモモエちゃんに頼んだんだ。たとえ、三日でも、いや、一日でもいいんだ。あの頃の姿になって、もう一度シュカに会いたい。それだけが私の望みだ。叶えてくれるかい」

 真剣に、真っ直ぐに、一歩も譲らないアンダーソンの決意が固いことを見て取って、改めて気づいた。ああそうか。彼はとうに命をささげていたのだ、愛するシュカのために、魔物のために。

 ルイーゼとロッテは、ゆっくりと頷いた。

 ――愛なんて、あたしにはまだよくわからない。でもこれだけは分かる。先生を助けたいと思ったように、あたしはシーナを助けたい。全力で。あなたがあたしを守ってくれたように、あたしはあなたを守りたい。

(絶対に、あたしはあんたを助ける、シーナ。待ってて。お願いだから、もう取り込まれないで。禁断の魔法なんか使わずに、救い出すからね!)

 空には群青色の雲がもくもくと膨れ上がっていた。嵐の前触れがやってきた。


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