#16
前回までのあらずじ★ルイーゼをめぐって、シーナがクライに噛み付き、仲違い。ついにシーナはクライのもとを去る決意を言い渡す。一方、クライはルイーゼが好きだから弟子に取ったと衝撃的な発言を……。
頭の中がぐちゃぐちゃだったけれど、ルイーゼは駆け出した。空模様が荒れている。空には真っ黒い雲がぐるぐるとうごめいている。朝っぱらから気分最悪だった。
「シーナ、待って。早まらないで!」
なんて言えばいいのかなんて、分かるわけがなかった。でも、ルイーゼは降り始める雨に打たれながら、シーナの腕をぐっと掴んだ。
「とめるなよ、ルイーゼ。俺はお前にずっと、つらく当たってきたんだ。恨んでもいいくらいなんだぜ」
「そうだけど、でもあたしあんたのことは、同じ先生に付いた、仲間だって思って――」
「悪いがそれは昨日までのことだ。俺はずっと考えてきた。クライ様は真面目に俺たちをそだてることなんて考えてないってな。そんな時、あいつに会ったんだ」
「? あいつって?」
「新しい俺の仲間だよ」
「誰……?」
「あいつは、魔物を封印するなんていうその場しのぎのことをせずに、根源から叩き潰そうとしている。そのほうがよほど効率がいいだろう? 魔物は長生きだ。何代も何代も、マエストロを育てていくだけで、おそろしく手間がかかる」
「それはそうだけど、でも、倒すなんてできないから、今までマエストロが封印してきたわけでしょ? 直接勝負するなんて危険だわ」
「安全だけ求めていたら、歴史は変えられない。ずっとこのままだ。俺は世界を変える救世主になるんだ。そしてクライ様を越える」
「シーナ――」
「もういいだろう? じゃあな。俺は行くよ」
走り去ってゆくシーナの背中を見て、今生の別れのような気分に陥り、ルイーゼはそれ以上声をかけることができなかった。足が向かい風によって動かない。
シーナがクライを疑ったのは明らかにルイーゼという異物が混入したことが原因である。だからこそ、戻ってきてとは言えなかった。自分さえいなくなればシーナは考え直すのかもしれないけれど、でももうルイーゼは、この旅をこんな中途半端な形で終了することなんて思いつきもしない。
シーナ、そんなのどうでもいいじゃない、とルイーゼは胸中で繰り返した。先生を越えるとか越えないとか、そんなもののために弟子をやっているんじゃない。先生はただ、マエストロとしての使命を……。
クライの言葉がふいに蘇った。
ルイーゼはうつむき、赤いミュールの靴に目を落とした。男の人から好きだなどと言われたのは、生まれてこの方、初めてだった。しかもあんな公衆の面前で。思い返すだけで耳まで赤くなってくる。ちょっとは状況を考えろ! と言いたくなる。
(でも、でも、あたし……先生のことそんなふうにはなぁ……だいたい師匠と弟子ってどうなのよ?)
心が揺れないわけではない。けれど、消えていくシーナを見たあとでは、テンションも下がる一方だった。
(丁重に、お断りしよう!)
雨と一緒に、憂鬱のカーテンが下りてくるようだった。あのクライの言葉を、ロッテも、どこかそばにいるであろうツキコも聞いていたことになる……。ああ、あいつらからボコられる! でもあたしのせいじゃないもん! ああ、師匠なんていう微妙な立場じゃなくて、もっと年下の美少年からコクられたかったわぁ……。それにしても、もし断ったら弟子ではいられなくなっちゃうんじゃ……?
様々な考えが交差する中、宿の玄関の庇の下にクライが待っていた。緊張の一瞬。背筋がぴりりと引き締まる。
「あの、先生」
「はい」
「あたし、ですね……ええと」
「はい」
「実は、好きな人が、おりまして」
「まあ、そうでしょうね」
そうでしょうねの意味が分かりかねたが、とりあえずルイーゼは話を進めた。
「その、この人なんですけど」
ルイーゼはいつもポケットに忍ばせているスナップ写真を一枚、取り出した。そこに写っているのは、ルイーゼが最近、心のオアシスとしている12歳の美少年アイドル、その名もリンゴ(たぶん芸名)である――
リンゴとの運命的な出会いは数ヶ月前に遡る。偶然に宿の食堂にあった雑誌で、その少年は丸写しになっていた。流れるような銀髪を短くカットし、瞳は吸い込まれそうな緑。ルイーゼが恋に落ちるのは一瞬だった。かつて一世を風靡した美少年リンゴ(当時12歳)は、謎の失踪を遂げていることで、一部では大きな話題になっていた。田舎育ちのルイーゼは全く存じなかったので、慌てて彼女は、リンゴのグッズを集め始めた。ポスター、写真集、出演した演劇を録画した音声記録テープ(非売品・激レア)を入手。とはいえ聴くための機器をなにも持っていないため、泣く泣く実家に送るはめになった(実家にも無いが)。
そんなわけで、いつぞやの失恋もなんのその、ルイーゼは復活を果たした。それは、旅先でいつかリンゴ本人に会えるに違いないという勝手な妄想によるところが大きい。謎の失踪を遂げているというミステリアスさが彼女の好みにヒットしたのだ。
(しかも、12歳というめちゃくちゃ旬な年齢で消えるっていうのは、計算しつくされた感じがするわ! 永遠の12歳のままリンゴは姿を消したなんて美しすぎる!!)
というわけで、今ルイーゼは幻の妄想恋人に夢中なのであった――。
「だから、ごめんなさいっ!」
ルイーゼが頭を下げる。写真を見たクライは、しばらく黙った後、ふふふふふ、と漏らし始めた。驚いてルイーゼが顔を上げると、袖で口元を覆い、クライは上品ながらも無言で笑いこけていた。
「え、え、え? そ、そんなにおかしかったっ!?」
「違うんですよ。ただ、ルイーゼがぼくの言葉をあまりにも真面目に受け取ってるから……」
「は? あれ、冗談、なんですか?」
「無論ですよ」爆笑を止めると、クライはいつものように余裕めいた微笑を口元に浮かべた。「シーナの反応が面白くって、つい、からかいすぎてしまいました」
「って、ちょっとぉ!! シーナをおちょくるためにあんな嘘をっ!」
「あー楽しかった」クライは涙を溜めて喜んでいる。あー楽しかった、じゃネエだろ!! シーナを本気で怒らせて楽しむのか、あんたは!
ルイーゼは思わず、クライのローブを引っ張って抗議した。
「なんてことするのよぉっ! おかげでシーナは、蒸発しちゃったじゃない、先生の馬鹿!」
「心配は要りませんよ。今のシーナはぼくがなんといおうと、離れて行きます。でも、必ず、何かを習得したあと、彼はここに戻ってきますから」
一体、どこからそんな自信が……?
ルイーゼが呆れ返って、リンゴの写真をまた懐にしまうと(最近は枕の下に入れて寝るのが日課である)、クライは手を伸ばし、ルイーゼの頭を軽く撫でた。
「大丈夫。どこへ行こうと、シーナはぼくの弟子だ」
「じゃあ、あたしは?」
「もちろん君も」
「……よかった。あたし、弟子やめなきゃいけないかと思っちゃった」
ルイーゼがほほ笑むと、クライもまた笑い返した。
◆ ◆ ◆ ◆
ほほ笑みあう師弟を遠くから眺め、くずれていく女が独り。
「ああああ、あたしの、あたしの、クライがぁぁあああぁああぁああぁ………」
「あのー、話、聞いてた……?」
後ろから小さく突っ込むロッテの言葉は届いていないようで、ツキコはその場に卒倒した。
(まーったく。いい年してアイドルオタクなんて、ルイーゼもガキね……)
その時だった。すすっと首元に伸びてくる手を感じ取り、ロッテは一瞬で背筋をゾッとさせた。
「探したよ、ロッテちゃん☆」
「ヒィィィィッ」
手から離れてのけぞると、そこには、自分を弟子にとスカウトしたヴァレンだった。細い肢体に皮パンを履き、黒い皮の首輪をしている、ロッテの趣味に全く合わないビジュアルの魔法使いである。似合っていなかったら最悪ともいえるそのファッションは、少し縦長の顔に、優しく怪しい切れ長の瞳を持つ彼にふさわしかった。
「突然いなくなるんだもん、いきなり反抗期とか?」
「いえそんなっ、お師匠に連絡もせずに、申し訳ありませんでしたっ」
「ま、そんなことはいーのよー」責めるつもりがあるのかないのかわからないものの、ヴァレンは上機嫌そうに丸いデザインのサングラスを押し上げた。
「ところで、偶然。あそこにいるのはクライみたいじゃない」
「お師匠のお知り合いなんですか?」
「知り合いもなにもね、同窓生なんだよね」
「それは初耳です……」
自然とロッテの中から、クライに対する熱狂的執着心は消えていた。クライはどうやら、あのシーナという少年だけを弟子と認めているようだ(ルイーゼのことはどうだか知らない上にどうでもよかと!)し、他の誰かに見向きすることはないと悟ったからだった。
「ロッテちゃん、今からあの二人を敵に回すことになるんだけど、いいかなぁ?」
「え?」
「俺が魔法協会のメンバーだってことは知ってるよね?」
「え、ええ」
それもヴァレンは魔法協会の組織の中核を成す、そうとう地位が上である。そのことがロッテのハートを掴んだ、と言える。
「手下のマックは、やり方がヘタすぎて駄目だったけど、やっぱり、俺たちはクライを止める必要があるよ。どうやら、クライは相当よからぬことを企んでるみたいだからねぇ――」
ロッテが師匠を見上げると、彼は、軽薄な顔に似合う、薄笑いを浮かべていた。




