第七話 善意と感謝
古代文明の力により、はるかかなたの敵地へ飛ばされたコランとネロ。途方に暮れるコランに狩人の一家は……
話を聞くと、この家は代々この森で暮らす狩人の一家らしい。
俺を手厚く看病してくれた彼女の名前はエレナ。年齢は俺の一歳年下の十七歳だという。
そして驚いたことに、助けを呼んできてくれたのはネロだった。
俺が倒れた後、ひとり町へ走ったネロがこの家に行き着き、異変を感じ取ったエレナの父親が吹雪の中から俺を連れ帰ってくれたのだという。
「本当に……ありがとうございます。」
命の恩人であるエレナと彼女の父親、そして何より俺を見捨てずに助けを呼んでくれた相棒のネロ。
巡り合わせの幸運と、彼らの温かな親切に、心からの感謝しかなかった。
だが、安らぎに浸っていたのも束の間、冷や汗が背中を伝う。
ここは敵地のど真ん中なのだ。もし俺が敵国グローリアの人間だと知れ渡れば、即座に諜報員だと疑われ、身柄を拘束されるのは目に見えている。
唯一の救いは、連合加入の証たる印章を向こうに置いてきたことくらいだ。
正体がバレていない今なら、まだやりようはある。
助けてくれた二人には申し訳ないが、本当のことを話すわけにはいかない。
……すまない、ここは『記憶喪失』で通させてもらう。
俺は痛む頭を押さえ、苦し紛れに困惑してみせた。
「……名前が、思い出せない。自分が誰で、どこから来たのかも……」
「父さん、聞いた……!? この人、自分の名前も覚えてないって……!」
エレナが目を見開いて父親に声をかけると、奥から歩み寄ってきた父親が重々しく腕を組んだ。
「うーむ……記憶障害か。あれほどの猛吹雪の中で倒れていたんだ、頭を強く打ったか、寒さで参ってしまったのかもしれんな」
「そんな……。じゃあ、自分の家も家族も分からなくなっちゃったってこと?」
軍隊に入れば手っ取り早く正規の身分が手に入るかもしれないが、「記憶がない身分不詳者」なんて検問で一発アウトのはずだ。…まさに八方塞がり。
「あの……俺は、これからどうすれば……」
絶望に打ちひしがれる俺に、エレナはパッと表情を明るくして身を乗り出してきた。
「それなら……うちに残って、一緒に狩人をやらない?」
「え……? 狩人……ですか?」
「そうよ! 父さんだって最近腰を痛めてて体ひとつじゃ大変だし、記憶が戻るまででいいの。私たちが身元を保証してあげるわ」
「そうだな」と父親も深く頷く。「急に倒れられたら困るが、怪我さえ治れば若い働き手が増えるのは大歓迎だ。遠慮なくここに居るといい」
「ほら、決まり! はい、冷めないうちにスープ飲んで。薬草もあとで塗ってあげるからね」
「あ、ありがとうございます……」
差し出された温かいスープのお椀を受け取る。二人とも、何の疑いもなく俺を心配し、これからの生活のことまで親身になって考えてくれている。
「明日からはまず、森の道と獲物の仕掛け方を覚えてもらうわね」
「エレナ、焦らせるな。まずは怪我を治すのが先だろ」
「もう、分かってるわよ父さん。……あ、そういえば何か食べられないものとかある? 記憶はなくても好みくらいはあるでしょ?」
「いえ、何でも……大丈夫です……」
他愛もない温かな会話が交わされるたび、胸の奥が痛んだ。自分を偽り、恩人である二人を騙し続けている罪悪感がどんどん膨らんでいく。
……ダメだ。こんな親切な人たちに、これ以上嘘をつき続けるなんて俺にはできない
俺は意を決し、固く閉ざしていた口をゆっくりと開いた。
「……実は……嘘なんです」
「え? どうしたの急に。スープ、熱すぎた?」
怪訝そうに首をかしげるエレナの前で、俺は布団の中で握りしめた拳にぐっと力を込めた。
「すみません、さっきのは全部嘘です。……俺、記憶なんて失っていません」
エレナと父親がピタリと動きを止め、驚きに目を見開く。その視線を逃げずに受け止めながら、俺は一息に言葉を吐き出した。
「俺の名前はコラン・スピーニャ、18歳。グローリアの人間です。古代遺跡の何らかの影響で、気づいたらこの国へ飛ばされていました。そして……俺は、そのグローリアの軍人なんです」
口を開いたら最後、溜め込んでいた真実が堰を切ったように溢れ出た。
言っちまった。これで終わりだ。拘束されるか、その場で切り捨てられるか……最悪の結末が頭をよぎり、俺は全身を強張らせて固く目を瞑った。
だが——俺の覚悟は、あまりにも愚かしい杞憂に終わる。
「「あははははは!」」
静まり返るはずだった部屋に響き渡ったのは、エレナと、その背後に立っていた父親の大爆笑だった。
エレナは続ける。
「私たち狩人だよ? そんな外の政治や情勢なんて知ったこっちゃないわよ。私たちが気にするのは、明日の天気と獲物の足跡だけ!」
エレナは腹を抱えて笑ったあと、胸を張ってあっけらかんと言い放った。
呆然とする俺に、それまで静かに聞いていた彼女の父親が穏やかな笑みを向けながら足み寄ってくる。
「……そういうわけだ、コラン君。国の違いなんて俺たちには関係ない。それより、君はどうしたいんだい? 帰らなきゃいけない場所があるんだろう?」
責める色など欠片もない、包み込むような温かい問いかけ。
命を奪われる覚悟すらしていた俺の肩から、すっと力が抜けていくのが分かった。
「……帰りたいです。母国へ、仲間たちのところへ。」
「なら、決まりね! 父さん、例の件、使おうよ」
「ああ、そうだな。俺たちはたまに軍へ獲物の肉や皮を納品していてな、隊長とは顔なじみなんだ。『山で拾った手酷い怪我の若者で、身元は俺たちが保証する』と言えば、軍の志願兵として引き取ってくれるはずだ」
「軍に入れば正規の身分証も手に入るし、国境や情報にも近づけるでしょ? 戻る方法を探すには一番手っ取り早いわよ!」
あ然とする俺に、ふたりはニッとたくましい笑みを向けた。
敵国にいるはずなのに……どうしてこの人たちは、ここまで俺のために……
「ありがとう……二人とも、本当に……!」
胸の奥からこみ上げてくる熱いものを抑えきれず、俺は二人に向かって深く頭を下げた。こうして、俺の母国への帰還が、意外な形で動き始めたのだった
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