第十三話 壊滅
群生種の『王』が、目の前に降臨している。
兵士たちは極限の恐怖に震えながら、ただ必死に剣を構え直すのが精一杯だ。この極限状態においては、僕が商人としてこの場に紛れ込んでいることなど、誰も気に留める余裕すらなさそうだ。
——間違いない。
いま目の前に現れた増殖主は、三年前、西の国に現れた『硬化種の王』をも凌ぐ脅威だ。
当時、派遣された大騎士級ふたりを返り討ちにしたのは硬化種の増殖主だった。英雄に次ぐ凄腕ふたりがかりですら討伐できなかった怪物だ。
だが——いま目前に立つ群生種の増殖主は、奴すら遥かに上回る。
だが増殖主はめったに姿を表さない。ここで、今この場にいる全員で、こいつを倒してやる。
圧倒的に戦線が崩壊し、人手も足りていないこの状況だ。正攻法で勝てるわけがない。
本来なら『英雄』クラスの戦力を注ぎ込んで、ようやく届くかどうかという次元の怪物だ。
普通に考えれば無理だ。脱出を優先すべき場面だ。
だが——増殖主がこうして地上に姿を現す機会など、滅多に訪れない。
ここで逃せば、次はいつ現れるかわからない。
喰らいついてでも、今この場にいる全員の力を束ねてこいつを仕留める。
たとえ、僕のこの命をここで使い果たすことになったとしても。
やつが自身の腕を伸ばした。何かが来る…。
奴が、細い腕をすっとこちらへ伸ばした。
——何かが来る……!
全身の毛穴が一斉に開き、脳内で激しい警鐘が鳴り響く。
伸ばされた細い腕の指先から、黒く湿った糸のような物体が大量に噴出する。
それらは空中で急速に硬化しながら地面へ突き刺さり、蠢きながら地中深くへ潜り込んでいった。
――増殖しようとしているのか。させるか……!
「アーク、凍てつけ―――『氷爆』!」
僕は地面へと勢いよく手を突っ込み、極寒のアークを流し込んで地中を広範囲に凍結させた。
それを合図にするかのように、周囲の兵士たちも一斉に自身のアークを発動させる。
無数の光が交錯し、その集中砲火を浴びた群生種の『王』が甲高い悲鳴を上げた。
効いているのか……?
だが、胸を騒がせる嫌な予感は消えない。
直後、背後で交戦していた『真紅』たちが一斉に戦闘を放棄し、一目散にこちらへ向かって猛ダッシュしてきた。
奴だ。王が、眷属へ緊急の死守命令を出したのだ。
——まずい、挟み撃ちになる……!
——直後、真紅の猛烈な突進を正面からまともに食らった。
くそっ……意識が、遠のく……。脳を直接揺さぶられたような激しい眩暈が視界を奪う。
だが、奴らは間髪入れずに殺しにかかってくるはずだ。立ち上がらなければ——。
周囲からは、兵士たちの絶望に満ちた叫び声が響き渡っていた。
ここで僕が倒れるわけにはいかない。逃がすわけにはいかないんだ。
朦朧とする視界の先で、先ほどのアークの集中砲火で傷ついたはずの『王』が、一瞬にして傷口を塞ぎ、こちらへと歩み寄ってくるのが見えた。
再生力、筋力、そして権能——どれをとっても通常種とは完全に一線を画している。
対抗しなければ___「アーク、貫け__『氷弾連刃』!」
だがそれは王の体には届かなかった。腕で軽く弾かれたのだ。
反応速度が人間の比ではない。
わずかに瞬きをした、その一瞬。
気づいたときには、『王』の体躯が目の前に迫っていた。
思考が追いつくよりも早く、肉体が勝手に跳ね上がる。
理由なき直感に導かれ、僕は間一髪でその右腕の薙ぎ払いを回避していた。
だが、これで終わりではない。すぐに足を蹴り上げようとしている。
避けると同時に腰の剣を引き抜き、交差するすれ違いざま、渾身の力でその肉体へと斬りつけた。
確かな手応え。——だが、それすらも一瞬の超高速再生によって無に帰す。
耳をすませば、兵士たちの悲鳴が一つ、また一つと消えていくのが分かった。
どれほど『真紅』を倒そうが、この『王』を討たねば全滅は時間の問題だ。
そんな僕の焦りをあざ笑うかのように、無慈悲にも『王』の全身に刻まれた黒い文様が、不気味な光を放ち始める。
——今度は、何が来る……!?
黒い文様が脈打つたび、周囲の空気が重く澱み、大気が不気味に震え出した。
『王』が両腕を天へと掲げると、全身の黒い文様が過熱した金属のように赤黒く発光した。
指先から噴き出した黒い生体糸が、まるで網の目のように戦場全体のアークを塗りつぶしながら広がっていく。
それは空気を切り裂き、大地へと一斉に突き刺さった。
——集団の本質は、個の抹消と全域の侵蝕。
「全員、伏せろ……ッ!」
僕の叫びが届くよりも早く、地中に潜り込んだ無数の糸が一斉に芽吹いた。
――『|過剰増殖・群集連鎖』
爆発的な破壊音が響き渡る。
大地を突き破って生えてきたのは、無数の『真紅』の腕や刃状の肉棘だった。
半径数十メートルに及ぶ戦場全体の地面が、逃げ場のない「刃の檻」へと変貌する。
民家は足元から粉砕され、兵士たちの悲鳴すら爆音の中に呑み込まれていく。
王自身が起点となり、その肉体を全域へ無制限に伝播させる圧倒的な力。
「ぐ、あ……っ!」
衝撃波と肉棘の嵐が、直撃を避けようとした僕の身体を容赦なく吹き飛ばした。
骨が軋み、先ほどまともに喰らったダメージと相まって、内臓が叩き潰されるような衝撃が全身を走る。
地面へ激しく叩きつけられ、視界が赤く染まった。
周囲の地形は崩壊し、兵士たちの声も途絶えていく。
倒れ伏した僕の目の前に、何事もなかったかのように歩み寄ってくる『王』の足元が見えた。
くそ……動け……立ち上がれ、僕……
指先一つ動かない。
体内のアークは底をつき、激しい眩暈が脳を直接揺さぶる。
思考が暗転していく。
冷たい大地に頬を押し付けたまま、視界の端で黒い文様を光らせる『王』の姿が、ゆっくりと闇の中へと溶けて消えていった——。
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