第十二話 天災
遂に真紅と討伐隊が遭遇する。
朝を迎え、兵士たちは重い手つきで出撃の準備を始めた。その手は、かすかに震えている。
旅商人を装っている僕だが、もちろん命の危険を感じていないわけではない。
「商人さん、あんたはここで待っててくれ」
鎧のバックルを締めていた若手と思われる兵士が、青ざめた顔のまま僕を振り返った。
「ここから先は俺たちの仕事だ。万が一真紅が突破してきたら、荷物を捨てて一番に逃げろよ」
「……ああ、気をつけるよ。君たちも無事で」
僕はそう短く答え、気遣うように深く頷いて見せた。
商人という立場の僕が、これ以上彼らと共に行進することは許されない。
兵士が「じゃあな」と固い表情で背を向け、部隊の列へと戻っていくのを見送る。
その背中を見守りながら、僕は静かに思考を切り替えた。
兵士たちが『真紅』の群れを発見し戦闘が始まった混乱に紛れて駆けつけ、裏から戦局へ介入する手はずで行こう。
僕は少し離れた位置から彼らを尾行し、戦場の状況を把握することにした。
おおよその遭遇地点なら、すでに頭の中で弾き出せている。
『真紅』は五感が非常に鋭く、特に太陽光を嫌って影に潜む習性がある。そして、今日は雲ひとつない晴天だ。
条件が揃っている以上、彼らが潜んでいるとすれば——ここから東に数キロほど離れた、その鬱蒼とした林以外にあり得ない。
もちろん、討伐隊の隊長もそれくらいは織り込み済みのはずだ。
そう思っていた、まさにその時だった。
足元から、腹に響くような地鳴りが重く伝わってくる。
まさか……いや、あり得ない
奴らがこの快晴のなか、進んで地上を動くはずがない。それに、この距離で人間の存在を察知できるわけもないのだ。
思考を否定しようと抗えば抗うほど、不気味な地鳴りは勢いを増して大きくなっていく。
僕の嫌な予感が最悪の形で裏切られようとした、その瞬間——。
「『真紅』だーーーッ!!!」
前方から、鼓膜を裂くような叫び声が響き渡った。
そこに含まれていたのは、隠しきれない色濃い絶望だった。
信じたくない最悪の予感が、頭を直接殴りつけられたように閃く。
——増殖主……!
本来の習性を無視し、白日のもとで群れを強制的に動かせる存在。奴が近くにいるのだとすれば、すべての異常に説明がつく。
いや……仮に増殖主がいたとして、なぜ動くのが今なんだ?
僕たちが昨夜この場にたどり着いた時点で、奴らならいつでも襲いかかれたはずだ。
………理由はどうあれ、白日のもとで『真紅』の群れが現れたのは異常事態にほかならない。
前方では、正規の兵士たちが素早く武器を抜き、続々と戦闘態勢へ入っていく。数秒遅れて、志願兵たちの多くも慌ただしく刃を構え始めた。
皆、驚くほど冷静に対応している。僕も見習わなければならないな。
——直後、激しい交戦の火蓋が切って落とされた。
最前線の兵士たちは『アーク』を駆使し、押し寄せる敵を必死に押し返しているのが見えた。
真紅の数は見えた限り二百体ほどだろうか…だが絶望的な数じゃない。
熟練の兵士なら単独でも数体は同時に相手できる。
僕もすぐに戦いへ向かった。
僕が向かってしばらく、押し寄せる真紅を前に陣形は一瞬で瓦解した。
人間と『真紅』が入り乱れる凄惨な乱戦の中、あちこちで怒号と悲鳴が交錯している。
まずい、死者が少しずつ出始めている。
広範囲を氷漬けにして一網打尽にしたくとも、この混戦では味方を巻き込んでしまうため不可能だ。
——なら、一匹ずつ確実に屠るまで。
胸の奥からあふれ出す闘争心が、僕の脚を強力に突き動かした。
フードを目深にかぶり、戦場の手前にある荒れ果てた民家のかげへと滑り込む。手元でアークを微小に練り上げ、極小の氷刃を生成。刃の交錯する死角を突いて、兵士の背後へ忍び寄っていた『真紅』の心臓を正確に穿った。
「グガッ……!?」
声もなく崩れ落ちる怪物。助かった兵士は、何が起きたかも理解できずに周囲を見回している。
僕はこの調子で、群れの端から確実に頭数を減らしていくつもりだった。
だが——その時。
「……ッ!?」
ふと、深紅色の双眸と視線がぶつかった。
その瞬間、僕の全身の五感が——いや、魂の底から発せられた本能が、激しい警鐘を鳴らす。
——「逃げろ」、と。
あれは、ただの『真紅』じゃない。
駆け出したいほどの全身の拒絶反応を気合で押さえ込み、僕はその方向へと足を踏み出す。
全身からは冷や汗が止まらない。
周囲の兵士たちもまた、あの異様な気配に勘づいたようだ。導かれるように、僕と同じ方角へ走り出している。
だが、全身を苛む悪寒は強まるばかりだった。
まるで——向こうからも、こちらへ着実に歩み寄ってきているような、不気味な気配を感じていた。
湧き立つ土煙の向こうから、ゆっくりと姿を現したのは、戦場の凄惨さとはあまりにも不釣り合いな存在だった。
流れるような美しい白髪に、どこか浮世離れした整った顔立ち。一見すると息をのむほど美しい女性のようにも見える。
だが、その瞳は血のように深く輝く深紅に染まり、捉えどころのない中性的な体躯には、古びた白い布が巻きつけられている。手足には黒い文様も。
人間を超越した異様な静けさ。
またあの双眸に見つめられた瞬間、周囲の空気までもが凍りつくような錯覚に襲われる。
間違いない。
この常識外れの惨劇を引き起こした元凶——群生種の…『増殖主』だ。
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