第6話 バグ領域
夜だった。
両親が眠り、家の中が静まり返った頃、レイはいつものようにベッドの上で目を開いた。赤ん坊の体は眠る時間が長いが、レイの意識は大人のままなので、夜に目が覚めている時間も多かった。
むしろ都合がいい。誰にも見られずに、自分の力を試すことができる。
昼間はできるだけ普通の赤ん坊のふりをしているが、本当は一秒でも早くこの世界の仕組みと、自分の能力を理解したかった。
ステータスウィンドウを開く。
名前:レイ
職業:ERROR
レベル:-6
HP:0 / 0
MP:0 / 0
スキル:バグ領域 Lv1
相変わらず、まともとは言えない数値が並んでいる。だが、昨日表示されたスキルの文字は消えていなかった。
――バグ領域。
説明には「一定範囲内のシステム処理に例外を発生させる」と書かれていたが、正直それだけでは何が起きるのか分からない。
分からないなら、試すしかない。
レイはゆっくりと右手を持ち上げ、ベッドの横に置いてある小さな木の積み木を見つめた。昼間、母親が遊び道具として置いていったものだ。
あれを対象にしよう。
レイは心の中で、スキルを使うイメージを強く思い浮かべる。
――バグ領域。
――あの積み木を、バグらせる。
すると次の瞬間、視界の端に小さなウィンドウが表示された。
《スキル:バグ領域 発動》
同時に、空気が一瞬だけ重くなったような、不思議な感覚が部屋を満たした。
何かが変わった。
そう感じた直後だった。
ベッドの横に置かれていた積み木が、ゆっくりと、まるで重さを失ったみたいにふわりと浮き上がった。
「……は?」
思わず声が出そうになり、レイは慌てて口を閉じる。
積み木は床から少し浮いたまま、左右にゆらゆらと揺れている。誰かが糸で吊っているみたいな、不自然な動きだった。
レイは何も触っていない。風も吹いていない。そもそもここは室内だ。
なのに、物が浮いている。
明らかに、この世界の“普通”では起こりえない現象だった。
レイがさらに集中すると、浮いていた積み木が今度は横に滑るように動いた。床の上を滑っているのではなく、空中をそのまま移動している。
そこでレイは気づいた。
――重力が、無視されている。
積み木には本来、下に落ちるという処理が働くはずだ。だが、バグ領域の中ではその処理が正常に動いていない。
だから落ちない。
だから浮く。
つまりこのスキルは、物理法則そのものを壊しているのではなく、この世界を動かしている“システムの処理”をおかしくしているのだ。
「なるほどな……」
レイは心の中で呟いた。
世界は現実に見えて、実際はゲームみたいなシステムで動いている。そして自分のスキルは、そのシステムに直接エラーを起こす能力。
人間も、動物も、物も、重力も、時間も、もしかしたらレベルやスキルさえも、全部システムで管理されているのだとしたら。
――この能力、思ってたよりヤバいな。
レイがそう考えた瞬間、浮いていた積み木が急に力を失ったように落ち、コトンと小さな音を立てて床に転がった。
同時にウィンドウが表示される。
《MP不足》
《スキルを終了します》
MPは0のはずなのにMP不足という表示が出たことに、レイは思わず苦笑する。
やっぱりこのステータス表示自体が、もう正常じゃない。
だが一つだけ、はっきり分かったことがある。
自分はこの世界の中で、ルールを守る側じゃない。
ルールを壊す側の存在だ。
静かな部屋の中で、レイは天井を見上げる。
運営がこの世界を管理しているというのなら、その管理そのものを壊せる存在になればいい。
削除される前に、削除できない存在になる。
そのために必要なのは、力だ。
もっとバグを使いこなす。
もっとレベルを下げる。
もっとこの世界のシステムを知る。
やることは山ほどある。
赤ん坊の小さな体の中で、レイは静かに決意していた。
――運営に見つかる前に、運営より強くなる。




