第3話 バグという力
視界に浮かぶ半透明のウィンドウを見つめながら、レイはしばらくの間、何も考えられずにいた。
――職業:ERROR。
――レベル:-1。
――HP:0 / 0。
どれもこれも、まともな数値ではない。
むしろ“数値ですらない”と言った方が正しいのかもしれないと、前世でゲームに触れたことのある知識を引っ張り出しながら、レイは冷静にその異常さを整理していく。
普通であれば、HPが0の時点で死亡判定が下る。
レベルがマイナスになることなど、そもそも想定されていない。
そして“ERROR”という職業は、職業ですらない。
つまりこれは――
仕様外。
完全な例外。
あの転生時に聞こえた声の通り、自分はこの世界の“バグ”として存在しているのだと、嫌でも理解させられる。
「……あー」
声を出そうとして、レイは小さく息を漏らす。
当然ながら、赤ん坊の喉から出てくるのは意味のある言葉ではなく、ただのか細い音だけだった。
だがそれでも、思考ははっきりしている。
問題は、この状態がどれほど危険なのか、そしてどれほど利用できるのかだ。
――HPが0でも死んでいない。
この一点だけでも、十分すぎるほど異常だ。
試す価値はある。
そう判断した瞬間、レイは自分でも少しだけ呆れる。
医者としては、あまりにも無茶な思考だ。
だが同時に、医者だったからこそ分かる。
これは普通じゃない。
ならば、普通の常識で考える意味はない。
レイはゆっくりと、自分の小さな手を持ち上げる。
まだうまく力が入らないその手を、近くにあった木製のベッドの縁へと近づける。
そして――わざと、ぶつけた。
鈍い音がして、小さな痛みが走る。
赤ん坊の体にとっては、十分に強い衝撃だった。
普通なら、泣き出してもおかしくない。
だが。
視界の端に浮かぶウィンドウに、変化が現れる。
――HP:0 / 0(変化なし)
減らない。
そもそも減る数値が存在しない。
レイはさらに力を込めて、もう一度、今度は少し強めに叩きつける。
痛みはある。
だが、それだけだ。
体は壊れない。
意識も途切れない。
そして何より――
死なない。
「……なるほど」
思わず、納得の息が漏れる。
痛覚はある。
だが死亡判定が存在しない。
つまりこれは、“ダメージを受けるが死なない”という状態。
ゲームで言うなら、無敵ではなく――バグによる不死。
そのときだった。
不意に、ウィンドウの一部がノイズを走らせる。
細かい文字列が一瞬だけ表示され、すぐに消えた。
だが、レイの目はそれを見逃さなかった。
――ダメージ処理例外発生
――補正値再計算
――値の反転を適用
次の瞬間。
体の奥から、わずかに熱が広がる感覚がした。
それはほんの一瞬で消えたが、確かに“何かが変化した”という実感だけが残る。
レイはゆっくりとステータスへと視線を戻す。
――レベル:-2
「……は?」
思考が一瞬だけ止まる。
レベルが、下がっている。
普通ならあり得ない変化。
だがそれ以上に重要なのは、その直後だった。
自分の体が、ほんのわずかに“軽くなった”気がした。
力が入りやすくなった。
視界が、少しだけはっきりした。
――強く、なっている?
あり得ない。
レベルが下がって、強くなるなど。
だが現実として、そう感じている。
もう一度、試す。
今度は少し強めに、何度も手を打ちつける。
痛みが走るたびに、ウィンドウの中で何かが処理される気配がする。
そして。
――レベル:-3
――レベル:-4
数値が下がるたびに、体の感覚が研ぎ澄まされていく。
握る力が強くなる。
音がはっきり聞こえる。
思考が速くなる。
確信に変わる。
これは間違いない。
レベルが下がるほど、強くなる。
完全に、常識の逆。
そしてその瞬間、レイの口元がわずかに歪んだ。
それは赤ん坊には似つかわしくない、どこか計算された笑みだった。
――面白いじゃないか。
そのとき。
再び、ウィンドウの下部に文字が浮かび上がる。
今度ははっきりと読める形で。
《異常成長を検知しました》
そして、そのすぐ下に。
《対象個体の監視レベルを引き上げます》
静かに、だが確実に。
この世界の“運営”は、レイという存在を認識し始めていた。




