第三十三録 同族嫌悪
今日も宣言通りに書庫に向かう。燐の中は静かなようでいて、人によっては騒がしいのかもしれない。
もう僕には霊感がないのだからただ静かにしか感じないのだが。
もし賭さんが書庫にいなかったのだとしても彼女の伝言はいずれ伝えなければならない。
(まぁ、いつに伝えるかは僕の自由だけど。)
こんな面倒な案件をいつまでも持て余すのは正直言って気分が悪い。なるべく早く伝えるつもりだ。
書庫の前に立つ。薄暗いはずの書庫は扉の隙間から光が漏れ出していた。
僕はゆっくりと扉の取手に手を掛ける。
ソファに座るその人は、僕が来ることが分かり切っていたかのようにゆったりと微笑んだ。
賽代さんも賭さんも、兄妹揃って笑い方がそっくりだけれど、彼だけは驚くほど似ていない。
「賭さんが居ないことは予想していましたが、貴方が居るとは意外ですね。」
「僕で残念だったかな。惟芽君。」
天威振矢。賽代賭、賽代すごろの弟であり、現在の燐の代表・天威家の当主。
僕の目的を達成する中で、最も障害となる人物。姫宮の言っていたことが正しければ、彼は僕を警戒しているはずだ。
「残念ではありませんよ。ただ、振矢さんにとって『僕に接触することは不本意なのではないか』と僕は思っていただけです。」
「まぁ、そうでないかと言われれば……不本意ではあるね。それは変わらないよ。正解だ。」
口調、身振りの仕方は賽代さんにそっくりなはずなのだけど、全く違う印象を受ける。これは彼の持つ、母親譲りの冷静さ故なんだろうか。
賭さんの持つ無謀さなんてものは、振矢さんから微塵も感じない。つくづく彼は母親似なんだろう。
「……貴方は、似ていないですね。」
「あぁ、兄さんと姉さんは父さんに似ているらしいからね。僕は父さんが亡くなった後、人工授精で生まれてきたから父さんの顔も知らない。顔を覚えている母さんですらも、早くに亡くしているしね。強いて言えば、僕の考え方の原点は全て母さんからなんだろうと思うよ。兄さんのように勇敢には成れないし、姉さんのように人に尽くすことは出来ない。親というものも、兄姉というものもよく分からない。兄さんからも言われたよ『薄情』だって。」
振矢さんはなんでもないように、依然としてそう言った。
『薄情』。その言葉に少しだけ違和感を抱いた。だって、その言葉は振矢さんとはほど遠いと思ったから。
「……三年前、尽が賽代さんを送ったとき。僕からの報告を受けた貴方は、何をしたか覚えていますか。」
顎に手を当て、振矢さんは考える素振りをする。
「確か……暴れていた兄さんを仲裁しに行ったかな?兄さんは結構止めるのが難しいから苦戦したはずだよ。僕はそういう身体能力に恵まれてないから実際に止めたのは紗子さんなんだけど。」
「そちらの方ではないです。僕が聞いているのは報告した直後の貴方だ。」
振矢さんは怪訝そうに首を傾げる。
「……惟芽君。君は、何が言いたいのかな。」
「僕が報告をした時の貴方は、僕には酷く動揺していたように見えました。まるで、恐れていたことが訪れてしまったかのように。」
きっと、これは振矢さん自身ですら気づいてはいなかったことだ。
冷静な振矢さんがあれほどに顔が引き攣っていたのを僕はあの時まで見たことがない。
「僕が報告を終え、出て行った後に貴方は今までにないほど笑っていましたね。受け止めきれない現在をどうにかして形にして消化するように。あの時の貴方は正気ではなかった。」
あの時の笑いの形を模していたあれは、どうやったって空っぽにしか聞こえなかった。
「……違う。それは違うよ。あの時はあまりに計画が想定外にいい方へ転がってくれたから面白くなっただけ。きっとそうだ。だってほら、僕は生まれてから一度も姉さんを家族として認識していない。」
ああ、似ていないと思っていたけれど、こうしてみたら一つだけ共通点がある。
「振矢さん。血の繋がりというものは、当人たちが思っているよりもずっと重いんですよ。」
賭さんも賽代さんもこの人も、焦った時に右手を胸に持ってくるんだ。そして、その聞き取りやすい声をはっきりと張り上げる。
「……ほら、やっぱり。いくら縁は切れようと血は切ってもきれないものですね。」
彼は震える声で薄ら笑った。そして挑発するように言う。
「それは、君もじゃないのかな?惟芽君。」
「……僕も?いったい、どういう意味ですか。」
「君の容姿は……随分と君の母親にそっくりだということだよ。」
母親。あの人に似ている?僕が、僕が?いや、僕はあの人とは違う。
だって、僕が親と思える人はこの世でただ一人だ。
そうでしょう、先生。
「随分と、他人の薄氷を踏むのが上手いですね。」
僕の眉が動いたのがわかったのか振矢さんは少しだけ溜飲が下がったかのように、にこやかに笑う。
「お互いさまさ。君も、僕も。気遣いなんて今の今でとっくに捨てた。どうやら僕は君のことが嫌いらしい。」
「そうですか。僕は貴方のことを疎ましく思っていますよ。僕の目的を達成するに至って、燐の代表である貴方はとても邪魔なので。」
僕が言うと、振矢さんは目を見開いた後、破顔した。
「……あっはは!君のその取り繕わない態度が癪に障って仕方ない!」
……そう言って振矢さんは左の口角を上げて、左の眉を下げる。彼が普段からする微笑みとは違う、彼の兄姉を思い出す笑みだった。
「どうやら高田君の言っていたことは正しいみたいだ。……惟芽胤、君は危険分子だ。燐の代表として今後は対応を考えよう。」
敵意なんてないようなそんな柔らかい声で、振矢さんはそう言った。
「どうぞ、貴方に止められるものなのなら。ご自由に。」
「あーあ!兄さんの安全も書庫の所有権も、こんな爆弾みたいな人間に握られてしまった!最っ高に気分が悪い!清々しくていっそう吐き気がするよ!」
その割には、この人は随分と余裕そうだ。
……あぁ、すごく邪魔だなぁ。
この人がいなければ、すぐにでも燐の再建を始められるのに。この人のせいで下手な動きが出来ないままだ。
「今日は、眼鏡を掛けていないんですね。」
気になっていたそれを指摘すれば振矢さんは、やけに清々しく笑う。
「だって、こうすれば君の表情を見なくて済むだろう?」
嘘つき。眼鏡がなくても見えているくせに。
「さようなら、惟芽胤。また会わないことを切に願っているよ。」
「さようなら、天威振矢。次の再会は地獄にしましょう。」
やけに足取りが軽い彼の手によってドアノブは最も簡単に回され、ドアは場違いにも間抜けなほどに小さな軋む音で閉じていった。
「……。」
静かになった書庫の扉がまた開く。開け手の性格が反映されたかのように堂々と響いた音は、確実に僕の耳に届いた。
「……ここに来る道中、随分と珍しいものを見た。惟芽胤、君の仕業か?」
賽代賭、やっぱり貴方はここに来た。貴方の性格上、来ないなんて無責任な選択はないに等しい。コレでやっと人魚からの面倒な案件を片付けることが出来る。
「振矢さんのことですか?先程、清々しそうにここを出て行きましたよ。」
「『清々しそうに』……か。俺が見たのはその言葉と限りなく乖離していた様子だったがな。」
やっぱり、振矢さんは理解出来ないな。だからこそ、気味が悪くて疎ましいのだけど。あんなに表情がコロコロと変わる癖によくも自分を薄情だと言えたものだ。
彼は『お互い様』だと言ったけれど、僕は到底彼に似ているとは思えない。
その不快感と高揚感の混じりあった感情が同族嫌悪でないことを祈るばかりだ。




