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第三十二録 プロビデンス・アイ

今日で姫宮百合香のイリュージョンから三日が経った。と、いうことは姫宮の術による夢が解けたということだ。

恐らく今日の夢には『彼女』が来る。

呪いになった人魚姫、貴方の狙いはきっと言葉通りのこと。だけど、貴方の思惑は未だに分からないままだ。

是非聞かせてくれ。僕は貴方から何を聞いて、彼に何を言えばいいのか。

賭さんの呪いは、どうやって解かなければならないのか。


【夢】

……また、同じような浜辺にいた。今回はあの鼻歌は聞こえない。だが、彼女の起点はやはり海なようだ。


「……それは、貴方の死因が海難事故による溺死だからですか?淡井叶子。」


「さぁね。私も分からないや。」


彼女と言葉を交わすのは今日で初めてだ。そもそも、しゃがみ込んでいる彼女は淡井叶子本人かすら、定かではないけれど。


「こんにちは、えぇっと……ずっと見ていた男の子。うーんと、ごめんね?お名前分かんなくて……。」


「惟芽胤です。やっぱり、そうだったんですね。」


想像通り、淡井叶子は姫宮が見せた夢を観測していた僕を認識していた。何度も目が合ったのは気のせいじゃなかったわけか。


「姫宮百合香が僕にかけた術は夢による『記憶の再現』ではなく、意識だけを特定の過去へ送る『非干渉型タイムトラベル』だ。」


だから脳の記憶処理が間に合わなくて疲れが蓄積していたというわけだ。お陰で貧血気味になっている。

姫宮に対して多少の不満を覚えながらも彼女に向き直る。


「淡井叶子、貴方はなんらかのきっかけで僕に気がついた、または理解していたんですね。」


「私ね、昔から、そういう『ちょっと先のこと』が瞬間的に視えるの。だから分かっちゃった。」


自身の結末も、彼女には断片的に分かっていたのだろう。


「だから、賭さんにあの言葉を言ったのですか?」


「うん。だって、視えたから。」


僕がそう聞くと、彼女は否定をするまでもなく、すんなりと頷いた。

そして、その金色の目を依然と開いたまま、僕に目を向けて言う。


「私がああ言わなかったら、賭、自殺してたから。賭に生きてて欲しくて『死なないで』って言ったの。わたしがそう言えば、賭は自分から死のうなんて、そうそう思わないだろうから。」


このひとは、賭さんにとって自身がどれほど大切なもので優先されていることなのか正しく理解している。お人よしなようでいて存外、強かだ。


「それに賭が死んじゃったらさ、すごろちゃんとか振矢くんとか、取り残されてしまう側が苦労しちゃうんだろうなって。それは、きっと賭も望んでないからさ。だってほら!賭って冷めてるように見えて意外と自分の妹弟のこと大好きでしょ?」


「それは……確かに。」


引く程にシスコンを拗らせてはいた。振矢さんのことはパッと見るだけでは分からないけど、賭さんなりに振矢さんのことを気にかけているのは感じ取れた。


「あのひとは可哀想なほどに、情が深い。」


「賭はきっとそういう性質なのね。他人には一際厳しいように見えて、一度自分の中でその人間を認めてしまったら放っては置けない。目が届く範囲は自分でどうにかしようとする。……無謀なのよ。女神の好みそうなひと。」


『無謀』……それは、彼が賽代の血筋である限り、一生ついてくるものなのだろう。


「そんな彼に、貴方は何故、咒をかけたのですか?」


「……一つは、生きて欲しかったから。二つ目は、賭は賭のままでいて欲しかったから。三つ目は……」


彼女は金の瞳を細めて、困ったように笑った。


「私が、賭と一緒に『生きたい』って思っちゃったから……かな。ぜーんぶ、私のためなの。わがままでしょ?」


「いいんじゃないですか?人間、誰しも自己中心的な感情があるものです。寧ろ、『すべて賭さんのため』と言われたら、吐き気がしていたので。」


僕がそう言うと、彼女は驚いたように僕を見て、破顔する。


「ふふっ、君は意外と正直な人間だね。」


「まあ、嘘をつく必要性がないので。」


返事をすれば、彼女は可笑しそうに顔を綻ばせた。何が面白いんだろうか。


「……貴方は、『賭さんと共に生きたいと思った』と言いましたね。」


笑う彼女を横目にそう、質問をする。


「……うん、そうだね。確かに言ったよ。」


真面目な話だと分かったのか、彼女は咳払いをして僕に向き直った。


「貴方の魂、ましてや身体さえもこの世には残っていないのに、貴方はどうやって生きるつもりですか?」


「やっぱり、そこが気になるよね。……これは、これから私が頼む『君が伝えて欲しいこと』にも繋がるんだけど。」


彼女は秘密を共有する少女のように静かに、けれど確かにそれを言った。


「惟芽胤くん。君は、『生まれ変わり』って信じる?」


「生まれ変わり……ですか。」


信じているかいないかで言ったら、信じてはいない。

……けれど、


「信じたいとは思いますね。何事も『ない』より、『ある』と思った方が心が軽くなるものです。」


「……私と一緒だね。私は、生まれ変わりがあるって信じていたい。信じていなきゃ、私が賭にしたことは意味がなくなってしまう、ただの縛りになっちゃうから。」


「貴方は……生まれ変わるつもりなんですか。賭さんと生きるために。」


彼女の声は以前と柔らかくて、悪戯がバレてしまった子供のように無邪気だった。


「生まれ変わりなんて不確かなものに縋るほど無謀なことなんてない。けれど、それを選んでしまったのは……少なからず、私も賭の性質に引っ張られちゃったんだなって。」


「元から似た者同士だったのではないですか。少なくとも、僕にはそう見えました。」


「ふふっ、それもあるかも。」


近くにいる人にはどんなことよりも気遣うのに、それが自分になれば見ないふりをする。……貴方達は随分と似ている。


「……けどね、私は賭に生まれ変わりのことを教えてないんだ。君にはね、賭にそれを伝えて欲しいんだ。」


「僕なんかの言葉を信用出来ますかね。ましてや、生まれ変わりなどという不確定なもの。」


「信用し難いからこそ……って言ったら酷いかな?」


彼女の目が申し訳なさそうに僕を見上げた。


「私自身の言葉で賭に言ってしまったら、賭は否が応でもその言葉を信じて私を待ち続けてしまう。いつかまた出逢えるって希望を持ちながら。……でも、もし生まれ変わりなんてものが幻想だったとき、その希望は意味のないものに変わってしまう。なのに、賭は私を待ち続ける。……そんなのって凄く、『嫌』じゃないかな。」


「だから、彼の信用に足らない僕をパイプ役に選んだ。賭さんに、余計な希望を抱かせないために。……僕はまんまと使われたというわけですか。酷いひと。」


「ごめんなさい。私、わがままなの。面倒な女でしょ?文句を言われても、ぐうの音も出ないや。」


でも、不思議と不快感はない。それは、彼女の持つ生粋の善性故か、その彼女を人魚たらしめる声故のものなのか、はたまたその両方か……定かじゃないけれど。


「いいんじゃないですか?貴方に使われてやりますよ。それに、そんな『わがままで面倒な貴方』と賭さんは十年間一緒にいて、尚も一生を誓ったんだ。こんなたった一瞬くらいのお願いなんて、風に流される虫よりも大したものではないでしょう?」


「君は……面白いね。きっと、ろくな人生を送れない!」


その声は、戻れないことへの諦めと、この先に進むことへの祝福にも聞こえた。


「視える貴方に言われるということはきっとそうなのでしょうね。……覚悟の上にはとっくのとうに立っています。」


「君にとっての幸せはきっと、君の一生では到底満たされることはないんだろうね。だからこそ言わせてもらうよ。」


ああ、もうすぐだ。朝が来る。夢が覚めていく。最後に人魚は口を動かした。


『君が幸せでありますように』


大きな波が、僕を飲み込んでいく、未来を視る彼女は笑っていた。

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