第三十一録 御伽話のような
彼女が去った後の記録書庫はやけに静けさを感じさせた。彼女が言った言葉を思い出す。
創作者……か。
『── 私がこの世界の創作者だったら、もっとマシなシナリオを書く』
そんな先生の言葉がふと、頭の中をよぎった。創作には人の性質が現れると言うけれど、先生がもし、この世界を書いたら……どんな世界になっていただろう。きっと、呑気な先生らしい危険なんて何もない世界なんだろうな。
そう、思案に耽っていた。
「……何のために、アレに関わろうとした。」
沈黙が続いていた空間を賭さんが破る。その目は僕に向いていた。
『何のために』……なんて、貴方の所為だと言ってみたいものだ。言えるはずがないけれど。
「姫宮が君に何を言おうとしていたか、分かっていたのか?」
賭さんはそう言いながら僕の方に歩いていく。距離をとろうとして一歩下がると、そこはもう壁際だった。
言い訳をさせないとでも言うように、賭さんはその壁に腕をつく。そして、僕の顔を覗き込んで聞いた。
「……答えろ、惟芽胤。」
その顔は少しの怒りを孕んでいるように見える。この怒りはきっと、彼が呪いを受けてもなお、人として腐っていないことへの証明なんだろうけど。
「分かりませんよ。僕にはずっと、僕以外の人の考えや感情なんて理解出来ません。分かろうとも思えません。生きてきた場所も、環境も、記憶も、生まれた日も、全てが違うんだから。彼女の言っていること、言わんとしていること全て……彼女のものである限り、僕は分かるとは到底思えない。前まではそれがたまらなく不快だったのですけど、今はそれをなんとも思わない。」
誰だってそうだろう。人のことなんて、本当の意味では誰一人理解することなんて不可能なんだ。分かったような気になっているだけで、共感されたつもりなだけなんだ。
賭さんはそんな僕の顔を見て、酷く眉間に皺を寄せた。
「お前は一体、何を見てきた?目的は何だ。」
「夢を見ました。とても哀しくも、美しい物語を見せられたようでした。現状での僕の目的は、この夢から『彼女』の目的を暴くことです。」
「何を言って……」
「『歳をとるってことは生きているってこと。』……それはとても『素晴らしいこと』なのでしょう。」
彼の人魚が言ったことを思い出した。その言葉を言えば、彼の目は見開かれ、彷徨うような目で僕を見た。
「生死観……というものは人それぞれだとありますが、人というものは、歳をとり、生きるもの。振矢さんは、歳をとらず、死すらもない貴方を『人でなし』と呼びましたし、金扇さんは貴方を『生けた屍』と言う。……けれど、貴方のその表情や感情、思考はどうしようもなく貴方を人間だと誤認させる。」
彼女に呪いをかけられたこの人はもう人の域ではない。それなのに彼が人だと思えてしまうのは、彼がまだ人としての希望を捨てきれていないから。彼自身は、まだ気が付いていないのだろうけど。
賭さんは酷く動揺しながら僕に言った。
「……何故、叶子が言った言葉を……お前が知っている。惟芽胤、お前には知れるわけがないだろう。」
「だから言ったでしょう。『夢を見た』と。……正確には見せられた、ですけど。」
「あの老害か?……チッ、……余計なことを。」
賭さんは苛立ちを隠すことなく舌打ちをする。姫宮の夢は僕が話に乗ったからだけど。
「……姫宮のものもですが……僕が言っているのは他の者からの夢です。」
「は?」
夢を見せるなんて高度な術を扱う人間はこの世に姫宮くらいしか存在しない。……そう、この世いる人間は。
「おい、どういうことだ。そんな芸当が出来る術者がアレ以外にいるわけがない。一体、お前は誰のことを言って……」
僕の言っていることが理解出来ないんだろう。賭さんは焦ったように投げかける。
そんな顔をされても、詳しく言えないんだよなぁ。だって僕は、彼女から『何を伝えたらいい』のかを教えられていないんだから。
「強いて言えば、人魚ですね。本物ではありませんが。」
「……人魚?」
「ええ、人魚。海で会いました。貴方の知っている方です。貴方に伝えたいことがあったんだそうですよ。」
人魚と言う呼び名は僕がただ一方的に彼女のことをそう言っているだけだから伝わりはしないだろうけど。
それでも、僕が彼女を人魚と呼ぶ理由は彼女に『人魚姫』を感じたからだ。
消える直前、愛した人にキスをして海に飛び込む。そして、泡になった少女に彼女が重なった。
「人魚姫がもし、救われる方法があったのなら、どんな方法があるんでしょうね。」
僕が見たのは、あの人が用意した部屋に置かれていた絵本の話だけど。よく覚えている。
「『もし』、って考えるのは楽しくはありませんか?僕は、物語の結末に対して文句を言える人間ではありませんが、幸せな結末の方が見ていて気持ちがいい。だから、時折考えるんです。『もしも、こうなっていたら』って。」
「理解しかねるな。だが、聞く価値はある。お前の考えはなんだ?」
なんやかんやで、このひとは大概甘いな。こんな無駄話に付き合うなんて。
「僕が思うに、人魚姫が泡にならずにいられる結末の決め手は『気持ちを伝えたかどうか』だと思います。彼女は声が出せなければ文字が書けないので、駄目なのでしょうけど。」
「結局、泡じゃないか。」
「そうですね。僕としては、あの物語はあれが一番のハッピーエンドなのではと思います。彼女は最後に王子とその婚約者、二人の幸せを願った。幸せな人ほど、他人の幸せを願うことが出来ると思いませんか?彼女が不幸だったらきっと、幸せなんて祈るまでもなく、恨み言を言って消えていたでしょう。」
賭さんの顔がどんどんと怪訝な表情になっていく。『何が言いたいんだ』とでも言いたげだ。
「僕は、その人の生を祈ることと、幸せを願うことが同じ尺度ではないかと思っています。それをまだ、貴方は分かっていないんでしょうけど。貴方は咒をかけられた。けれど、それを呪いに反転させているのは貴方自身ではないですか?」
僕は立ちすくむ賭さんの横を通り過ぎて、彼女の記録を手に取る。淡井叶子の記録だ。
それを見た瞬間に、賭さんは焦るように聞いた。
「惟芽、お前が言う人魚は……」
「賭さん。今日、僕が言える範囲はここまでです。続きは、また明日話しましょう。」
賭さんの言葉を遮り、記録書庫の扉へ向かう。ドアノブに手をかけようとして、少し留まった。
賭さんの方を見る。彼は、受け入れ難いような顔をしていた。
それに気づかないふりをして僕は賭さんを置いて書庫を出ていった。
御伽話のような幸福が貴方には既にあるのだから、そんな顔をしないでください。
……板挟みになっているこっちがとても腹立つ。




