第三十四録 冬景色、聞こえる声
静かな圧が、書庫には漂っていた。賭さんは何も言わずに僕が発言するのを待っている。
「分かりきっていることですが敢えて聞きます。……何のご用で?」
賭さんは呆れ混じりのため息を吐いて言った。
「随分と意地の悪い書庫の管理人に呼び出されたものでな。まんまと足を運んだ訳だ。」
「人聞きが悪いな……僕は与えるべき情報を最小限にしただけですよ。」
僕がそう言えば賭さんはその端正な眉を歪める。本日二度目のため息だ。
「それこそが意地が悪いと言っている。どうやら察しも悪いな。回りくどいぞ。」
この人は変に感情を取り繕おうとしないから分かりやすい。だからこそ扱いづらいのだけど。もう少し、捻くれていてくれた方が対応はしやすいのに。
「賽代すごろが舞台役者だとするならば、貴方は無謀な勇者だ。……今なら姫宮百合香の言っていたことも少し分かる気がします。」
賽代さんも賭さんも……いやきっと父親でさえも、女神に好まれるような人間だったんだ。
式神使いとは違う。このひとたちは女神の手の上で転がされているんだ。愛玩動物のように、彼女らは無意識のうちに、このひとたちを見下している。期待通りに、予想外の動きをしてくれることを望んで物語を見続けている。
「『賽代家の当主はもっと惨めで、可哀想で、無謀で、それでも勇敢な女神に気に入られるような愚者でなくてはならない』……か、随分な評価だな。」
「言い得て妙ではないですか。実際、貴方たちはその通りになっているでしょう。」
手持ち無沙汰に机の端をなぞりながら、そう賭さんに言う。賭さんは何を言うでもなく僕を見ていた。
「記録に寄ると、燐設立当初の賽代家の立場は決して良いものではなかった。けれどもそれに抗い、今の地位を確立してきたのは歴代の賽代の当主たちです。そして、二十九代目の時代ではついに……」
「燐の重要役職である神野、天威を出し抜いて頂点に立つことに成功した。……それも束の間だがな。」
「ですが、その際に良好とは言えなかった猫田家との関係が改善……猫憑きの家を手懐けた。これは紛れもない快挙です。……物語として語れるくらいには出来すぎている。」
だからこそ、女神は彼らの人生を好んだ。そして、期待を乗せた。もっと面白い結末になるように。彼らは女神にとっての『推し』とも言える。
本当に身勝手極まりない。女神に比べたらタチの悪い信仰で祀られた神霊の方がマシだ。
「もしかしたら、貴方がそうなったのも女神の采配なのかも知れませんね。」
「どう言うことだ。」
賭さんが不快な気を隠しもせず、眉間に皺を寄せた。
それでも彼に受ける印象からは『美麗』が切っても切り離せないのだから恵まれた容姿も考えものだ。
「なんでもありませんよ。……本題に入りましょうか。僕が話したいのは取り止めもない出鱈目なんかではないんです。」
外には風が吹き荒れて、まるでこれから話すことを彼女が妨害しているようにも感じてくる。
それでも、僕はただ真剣にそれを言った。
「貴方の呪いはいつか必ず解けるだろう。と言うことです。ただし、それがいつかは分からない。」
彼が息を呑む。きっとそれは、終わらぬ絶望に対する希望の音色なんかではない。
彼女との約束が消え失せる可能性への恐怖だ。
だってほら、目の前の彼の顔はこんなにも青ざめている。今この場に姫宮がいたら大喜びだっただろう。
「貴方の身体を蝕んでいる空虚な呪いこそが、貴方が失くした淡井叶子という存在を確立させている。言うなれば、その呪いこそが貴方にとっての淡井叶子そのもの。」
「……っ違う!そんなはずないだろう?叶子はっ……」
彼は声を張って右手を胸へと持ってくる。
人魚は自分の思惑を伝えるために僕が適任だと伝言をしたけれど、それは大きな間違いだ。
僕は彼女に『タダで使われてやる』とは一言も言っていないから。五日も彼らの問題に関係のない僕が板挟みにされていたんだ。少しくらい引っ掻いたって良いだろう。
「その呪い自体は、淡井叶子の思惑の本筋ではない……貴方はそれが理解できていないんですよ。賽代賭。」
「……はっ?」
賭さんは何を言っているんだとでも言いたげに僕を見る。僕は、賭さんの方へ一歩だけ足を進めた。
「『不老不死の呪い』は彼女の願いを叶えるための通過点に過ぎないんです。……賭さん。淡井叶子の約束を覚えていますか。」
苛立ちを隠さずに賭さんは言いきる。
「忘れるはずがないだろう。あの時、叶子に永遠を誓ったんだ。それだけは絶対に忘れない。」
「『私、貴方と一緒に生きたい。私と共に生きてくれませんか?』……確か、彼女は貴方にそう言いましたね。」
僕が何を言いたいのか理解が出来ていないように、賭さんは疑問を待ちながらも言葉を続けた。
「そうだ。だから今も生き続けている。叶子との約束を消さないために。呪いと共にな。」
「……淡井叶子はもうこの世には居ません。彼女の目的が叶うのは遠い先のことです。」
彼は、目を見開いて僕の方を見る。彼はただ、僕の話に耳を傾けていた。
「ひとつ、質問です。賽代賭、貴方は『輪廻転生』は信じますか。」
「はっ、そんな荒唐無稽な話を信じろと?」
僕の口から出てきた突飛な話に賭さんは息を吐いた。どこか安心したように。
「貴方が荒唐無稽と言うその話を、淡井叶子は信じていたとしたら……貴方はどうしますか。」
笑いもせず、咎めもせず、ただ真っ直ぐと彼を見やる。ギリギリまで、彼の信用に足らぬ人間を保つために。
「……まさか、」
「貴方のその呪いが解ける時。それが『淡井叶子』の生まれ変わりに出逢う瞬間であるならば、貴方はどうしますか。」
彼の呼吸音は揺れていて、動揺していることがすぐに分かった。
「けれど、輪廻転生なんて絵空事を信じて待ち続けるということは到底耐えうることじゃない。それ故に彼女は僕に託したんです。……僕は貴方の信用に足る人間ではないから。絵空事がただの空想であった時、貴方を止める人間はきっと誰もいないから。彼女は僕を媒介に選んだんです。」
「……ふざけるな。そんな、あんまりじゃないか。」
本当に賭さんは人間らしい。普段堂々としているはずの彼の声は、今や不安と戸惑いで染まっている。
「こんなふうになってから、俺は……二度と期待せずにいられたんだ。立ち止まっても許された。選ばなくても良かった。ずっと、正しく在ろうとしなくて良かったはずなんだ……。それなのに、」
賭さんは、震える手を強く握った。
「……そんなことを言われたら、期待したくなってしまう。信じたくなるだろう……そんな不確定なことを本気にするほど、馬鹿なつもりはない……なかった、はずなのに。」
僕は、ただ静かに彼に言う。
「この話をどう使うかは貴方の自由ですが、最後に僕からは余計な情報を一つ。」
窓の外へ目をやる。今日は寒さが厳しいのかこんこんと雪が降り注いでいた。
「三年前、賽代すごろが消えた日。事件の発端である灰道恋は賽代すごろにこのようなことを言いました。『百年はあっという間に過ぎてしまう。もし、君が望み通り地獄でしっかりと罰を受けて転生するんだとしたらそこはもう百年後の世界だ。それくらい、一瞬なんだ』と。」
灰道恋の名を聞いた瞬間、少しだけ賭さんは顔を顰める。だけど、続く言葉に目を見開いた。
「灰道恋……監視員というものがもし世界に干渉する神に近しい何かと同等ならば、この言葉は輪廻転生という概念の肯定になるのではないですか?」
「君は……大概、酷い奴だな。」
鳩が豆鉄砲を食ったように賭さんは呆気に取られた顔をする。
「それ程でも。……まぁ、僕が本当のことを言っているかは定かではないので。」
「身内に嘘つきが二人も居たんだ。惟芽胤、君が嘘を吐いていないことくらい分かる。嘘を吐かれるのには慣れているからな。」
目の前にいる彼は、先程とは違い随分と明るい顔をしていた。結果がどうであれ、きっともう受け入れたんだろう。つくづく扱いづらいひとだ。
「僕の話はこれで終わりです。用がないなら帰ってください。」
「そうだな。まだ残している作業がある。帰るとしよう。」
堂々としながらも軽やかな足取りで賭さんは、扉を開けた。そして、徐に僕の方へと振り返る。
「……感謝する。」
そう言って、そのまま去っていった。
僕以外誰もいない書庫で、ゆっくりと息を吐く。
少し行儀が悪いかもしれないけど、すとんと勢いよくソファに座る。そのまま流れるように横になった。
「……あー、疲れた。」
今日は沢山話し過ぎた。気を張り過ぎな気もしたし、言葉を選ぶのも疲れる。何より、
「……ふっ、ふふっ……はははっ!」
淡井叶子への怒りで賽代賭を限りなく引っ掻くつもりだったのに、全く効かないどころか感謝までされてしまった!本当に可笑しい!
「あーあ、負けた負けた。勝てるわけがないや。あんなの」
根本的に住んでいる場所が違うんだ。最初から無駄だったわけだ。
せいぜい二人で勝手に幸せにでもなっててくれ!
「……本っ当に腹が立つ!二度と関わりたくない!」
僕でさえ滅多に聞かない自分の笑い声が書庫に響く。窓の外からは雪が、いまだに降り続けていた。
第三幕 淡《了》




