第二十八録 不滅の誓いとお呪い
【朝】
……眠い。この二日間、夢を見ているはずなのに寝た感覚がしない。
術で無理矢理に見せている夢だからかな。それとも、術者が何か仕組んでいるか。
それでも止めようとは思わない。それがあの人魚にとって都合の悪いことだとしても。
どうか悪く思わないでほしい。だって僕を巻き込んだのは貴方なんだから。僕には知る権利というものがある。
【第三夢】
足音だけが燐の廊下に響いていた。少し急いでいるように感じられるその足取りは研究室へと向かっていた。
賭さんは扉を見るや否や力加減など考えず、思いっきり大きな音を立てて扉を開ける。驚いたような研究員達の様子を気にすることはなく、賭さんは研究室の奥で済ました顔をしている母の元へ真っ直ぐと向かった。
「……っこれは、どういうことか……説明願います。」
突きつけられた一枚の紙を見たのち、彼女は冷静にこう返す。
「説明も何もそのままの意味です。賭、お前ならば分かるでしょう?」
「言っている意味が分かった上で、納得出来ぬから此処にいるのです!!話が違う!!認められない!」
賭さんがそう叫ぶと、母はきっぱりと言った。
「お前が認めずとも母が認めます。……賭。いい加減、己の名に責任を持ちなさい。貴方は賽代家の当主、賽代賭なのです。」
その声は声を荒げているわけでもないのに、やけにはっきりと聞こえている。
「約束の十年が経ちました。……来月には契約破棄の準備が整います。それまで、叶子とよく話しておきなさいな。」
「……っ、。」
その言葉を聞いた賭さんは、悔やむように眉を顰めながら研究室を去っていった。
賭さんが部屋に戻ると何も知らないままの契約霊が彼を迎える。いつも通りの柔らかな笑みで。
「おかえりっ!……賭、どうしたの?もしかして疲れてる?」
「……叶子、……。」
ゆらゆらとした足取りで賭さんは彼女に向かう。賭さんは、何も言わずに彼女を抱きしめた。
「かっ、賭!?」
そう困惑する彼女の声を気にする間もなく、賭さんは糸が切れたように彼女を巻き込んでソファベッドに倒れ込む。
賭さんは彼女の肩に顔を埋めながら大きくため息をついた。
「賭?本当に疲れてる……よね?」
「……あぁ、そうだな。……今日は疲れた。しばらくこのままにさせてくれ。」
「いいよ。お疲れ様、賭。」
彼女はそう優しく呟く。
「すっごい隈。……頑張ったね。何かあった?」
「色々あった。……『当主になったから、そろそろ身を固めるべきじゃないか』……とかな。縁談の話も来た。」
煩わしそうに賭さんはそう言った。その言葉を聞いた彼女は思わずというように声を出す。その声は困惑と少しの受け入れ難さが混ざっていた。
「えっ、ねえ。それって……受ける、の?」
「?……いや、蹴った。顔も分からない誰かに、信用を寄せる気には到底なれない。」
「……そっ、か。」
賭さんの話を聞いた彼女はどこか安心したようなほっとした表情をする。賭さんはその様子には気づかなかったようだけど。
「……別に、俺には君がいれば良かったんだが。」
「っねえ、賭。それって……!」
彼女が顔を上げた時にはすでに賭さんは目を閉じて静かに寝息を立てていた。
「寝て、る?……本当に疲れてたんだね。」
彼女は賭さんのかけていた眼鏡をゆっくり外す。そしてそれをテーブルに優しく置いた。
彼女の手は賭さんの頬に触れ、目元を撫でる。
「賭、おやすみなさい。……貴方に降りかかる全ての悪意が、私の知る限りの幸福となって貴方に返ってきますように。」
そう祈るような声は、賭さんの耳にはきっと届いていない。彼女は賭さんを起こさないように静かに部屋を出た。
「やっぱり、好きだなぁ……。」
扉を閉めて、そう言いながらへたり込む彼女。それを見たのは、前々から彼女と仲の良かった燐の構成員や二人の様子をよく見ていた人達だけだった。
視点が変わる。場所は賭さんの部屋のようだった。
「叶子、今日は何かあったか?」
「賭は最近、いつもそれを聞くね。……えっと、今日はね。時雨の所属だっていう子と話したんだ。『おまじないの掛け方』を教えてくれたよ。」
嬉しそうにその日の出来事を語る彼女の顔はどうしようもなく明るく、賭さんは彼女の表情をただじっと見つめていた。
「時雨……か、どんな奴だった?」
「可愛い女の子だったよ。えっと……確かお名前は『小鳥遊詩』ちゃんって言ってた!」
「時雨で、小鳥遊……面識がないな。まぁでも、叶子が楽しかったのなら良かった。」
『まじないの掛け方』……それを教えられる知識がある人間は燐の中でも限りなく少ない。……それなのに生まれた頃から燐にいる賭さんと面識がないということは新しく入ってきた人間か、意図的に接触させないようにしていたかの二択だ。
……少しだけ嫌な予感がした。
気がつけばまた視点が変わっている。今度は燐ではないどこか別の場所。
前の場面から恐らく二週間以上は経っているようだった。
「叶子、恐らく……これが俺たちの最後の任務だ。未だに考えられないがな。」
「……不思議だね。実感が湧かないや。……賭に昨日『契約破棄することになった』って言われたばかりだからかな?」
沈む賭さんの声とは反対に、彼女の声は明るさを装っている。
「決心がつかなかったんだ。ずっと考えていた。けれど、何度思考しても……叶子と離れたくなかったんだ。嫌だった。これは契約霊故の情なんかじゃない。……叶子。」
賭さんが優しく、噛み締めるようにその名を呼んだ。
「なぁに?賭。」
彼女は最後に相応しい、いつも通りの笑みを向けた。賭さんは彼女の目をしっかりと見て言葉を伝える。ずっと胸の内に秘めていたであろう思いを、言葉に変えて。
「好きだ。……君がいないと生きれない、とまではいかないが、この先きっと君がいない人生で俺は君のことを想い続けるだろう。……君が隣にいない人生はきっと俺にとってつまらないものだ。君にはそれだけ知っていてほしい。」
そこまで、伝えると賭さんは目を逸らしてしまう。彼女が言葉を返そうとした時、話は賭さんによって防がれた。
「返事はいらないし、理解しなくても良い、受け入れなくたって構わない。ただ……君はもう俺の人生の一部なんだ。その事実だけを知って欲しかった。それだけだ。…………任務に戻ろう。叶子、霊装を。」
賭さんが差し伸ばした手を彼女は言いたい何かを飲み込むような顔をしてそっと手をとる。賭さんは満足そうに笑って言った。
「ありがとう。」
きっと、ここで二人の話が終わっていたのだとしたら……どれだけ美しい悲恋物語になっていたんだろう。
こればかりは燐のシステムを恨まずにはいられないのかもしれないな。
「……っは、……っひゅー、はぁっ。」
数時間後には賭さんは、血を吐いて膝をついていた。……相手が悪すぎた。燐の司令官が見誤ってしまったんだ。相手はただの霊じゃない、神性を持った霊だったから。
薊が出る幕ではなかったんだ。
「……相手は神霊の類い、核となる魂は恐らく流れてしまった赤子の霊のため意思の疎通は困難。過去に祭り上げられたことで神性を宿している。……時雨の到着はあと半刻ほど。どうにかしてこと状況を打破する方法は……」
賭さんは擦り切れた体力と疲弊した頭で現在の状況を推察していた。着実と減っていく淡井叶子の霊力に焦りを感じながら。
「叶子、やめろ。これ以上霊力を使うと君は消える。多少俺は体力が落ちても心配ないし、俺自身の霊力がいくら減ったって良い。怪我も治さなくて良い。……だから、辞めてくれ。叶子……!」
そう、聞こえるか分からない声を彼女に呼びかける。初めて賭さんが誰かに祈ったような声を聞いた。
「ねえ、賭。」
「……叶子?なんで、霊装を解いて……今君は霊力が不安定じゃ……!」
勝手に霊装を解除した彼女を見て賭さんはどうしようもない焦燥感で声が震えていた。そんな彼と反対に淡井叶子はただ困ったように笑っている。
「賭、最後に聞いて?……もうダメみたいだから。」
「なに、を……」
「私もね、貴方のことが好き。きっと最初から惹かれてたの。でも、諦めてた。……だけど、賭が誰かと一緒にいるところを想像して……ちょっと嫉妬しちゃった。」
彼女は自身の感情を纏りもなく言葉にした。
「だからね、決めたの。」
そう言って彼女は賭さんに口付けを落とす。
「……賭、愛してる。ねえ、だから――」
これは彼女なりの『咒』だ。そして、これはきっと今から……
「『死なないで、そのままの貴方でいて』」
彼を縛る呪いに反転する。
「それでね、賭。約束して欲しいの。」
「……何を?」
彼女は賭さんの左手に指を絡ませて握り込む。そして滲む声ではっきりと言った。
「私、貴方と一緒に生きたい。私と共に生きてくれませんか?」
「……約束する。叶子、君に永遠を誓う。」
今、僕はこの世で最も美しい呪いをこの目で見た。……もしこれが真実なら、彼女の目的はきっと……。
彼女が泡のように崩れて消えていく。最後の泡が消える時、淡井叶子とまた目が合った気がした。
「……は、」
賭さんは擦り切れた思考で、未だに呆然としていた。
あまりに大き過ぎた感情が消化しきれないのか、ふと、糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。
神霊なんて気にする余裕もないほどに彼の傷跡は深くなっていたのだろう。
「……いやぁ、予想外だね〜?まさかそうくるとは!」
賭さんの思考を遮るように、その声は場違いに響いた。
「誰だ。」
見ると、そこにいたのは五つにも満たない女の子。彼女は賭さんの顔を見るなり、軽薄にこう言った。
「初めまして、賽代賭くん♪そして……久しぶり、賽代家の当主殿!君たちに会うのは実に四十年ぶりかな?先代は元気?……あぁ、ホントに三代前とよく似てる……!」
「……何を言っている。君は、何者なんだ。」
怒りを露わにする賭さんの様子を可笑しそうに嗤いながら彼女はざらりとした甘ったるい声で名乗る。
……まさか、
「私の今の名前は『紫藤純恋』、けれど……君に伝わるようにいうのなら前の体の『小鳥遊詩』って名前だと分かってくれるかな?ねえ?賭くん♡」
「……たか、なし……、!」
不快な感覚が全身を駆け巡った。間違いない……彼女は、いや、彼女の魂は……現在の『姫宮百合香』、その前の姿だ。
淡井叶子が人魚だとするならば、彼女はきっと魔女だ。
だって、人魚に呪いを教えたのは間違いなく彼女なのだから。




