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第二十二録 神無月

【視点・惟芽胤】


「……。」


彼女が言葉を止めた。きっともう話したいことは出し切ったのだろう。


「……僕は、」


話しても止められない。彼女は僕がどう切り出すか、その様子を見ている。


「……貴方をなんと呼べばいいですか。」


「なんとでも呼べばいい。アンタにどう言われたって私はもう揺るがないの。」


そう言って、彼女は顔にかかった横髪を手で払った。表面上では気にしていないように振る舞っているようだった。


「……本当に、そうですか?だって貴方は……『瀬尾律』と呼ばれるのを怖がっているでしょう。」


僕がその名を口にした瞬間、彼女は目を見開く。そして言葉も出さないで僕を見た。


「……なんで知っているの。その名前を。」


「読んだからです。貴方の記録(じんせい)を。金扇さんからは記憶を見るのは止められていますが、記録を読むことは止められていないので。」


「どこまで読んだの。」


ゆっくりと彼女は噛み締めるように質問する。


「書庫全体の三分の二ほど。残すは600年前からの古い文献だけですね。」


「つまり私の記録は読み切ったと……ねえ惟芽。」


「どうしました?」


彼女の手が震えている。目が合わない彼女とは反対に彼女に抱えられたくまのぬいぐるみだけが、僕をじっと観察していた。


「……アンタから見た私は『瀬尾律』?それとも『乙梨紫音』?」


震えた声が医務室に響き渡る。まるで、答えを出されるのを怖がっているように。


「……?そもそも、『乙梨紫音(あなた)』と『瀬尾律』は違うでしょう?だってもう貴方は乙梨紫音として生きているんだから。」


「……!」


その言葉を聞くと乙梨さんが顔を上げた。助かったような、安心したような顔をして彼女は僕と目が合った。


「書類上の話をするならば貴方はもう『乙梨紫音』として政府に登録されていますし、自認識の話ならば貴方が『乙梨紫音で在りたい』と思っている時点で貴方は乙梨紫音その人です。……僕は何か間違っていますか?」


「……いいえ、全く。……そうね、私は乙梨紫音。それだけはもう変わらないわ。」


彼女は緩んだ顔で笑った。やっと肩の荷が降りたようなそんな清々しい顔で。

くまのぬいぐるみはもう僕には興味がなくなったようだ。

彼……彼女かもしれないが彼とさせてもらおう、彼はきっと、僕の発言次第では僕を攻撃するつもりだったのだろう。主人に使える『式』として。主人を守るために。


式は神。神が人間に使えるのはおかしなように感じるがその実、関係は単純だ。

子が心配な親の気持ちと同じなんだ。

心配で心配で堪らなくなって、つい守ってしまう。

そういう意味では僕は式がいなくて良かったと心の底から思う。

子が巣立つ時になれば式は離れていく。

式が離れていってしまうのが思春期後半に多い理由がここにあるんだろう。

式が離れていって仕舞えば、子はその恩恵を受けられなくなる。生き残るのもいれば、途中で命を落としてしまう。

だから、それ故に子離れ出来ない式も時にいる。


その最たる例が神野家の歴代当主たちだったんだろう。

式に自分を依存させて来たが故の式神使い、その家系だったというわけだ。


そう考えると、今目の前にいる乙梨紫音という人は……


「あー、なんかすっきりした!ありがとう、惟芽。それじゃあ、また学校で!」


子離れ出来ない式がもう居ない子の影を求めて依存している空っぽの器なのではないのだろうか。


『あの子が守れと言ったから』……あの話を聞いた後だとあの式はそういう行動原理で動いているとしか、僕には思えない。


だって神というものは、身勝手で、執着的で、飽き性で、我儘な、誰よりも人間的な存在だから。


「そういえば……今日で十一月に入るのか……。」


神無月……神が出雲に帰る月。その初日だ。燐があった頃も十一月は時雨全体が休んでいた。任務に出ていた人もいるけど極小数だけ。曰く、式の力が落ちるらしい。


「……式神使いが一年で最も亡くなりやすい日、だっけ。」


どうか、乙梨さんにはまた学校で会えればいいけど。

外に吹く風はかなり強いのか枝が折れそうな程揺れていた。

音は全く聞こえなかったのに。



【学校にて】

昨日の風が嘘に思える程、今日の天気は晴れやかだった。

……せめて向かい風かもう少し強ければ休む気になれたのに。

そんなことを思いながら登校する。

通学路の紅葉は枯れ落ちて、もう跡形もなくなっていた。また、春になれば芽を出してくれるんだろうけど。少し、寂しさを感じさせるのは自然の魔力と人間という種族の感受性の高さが上手く噛み合ったが故の結果だろう。


「ゆーいがっ!お前何してんの?」


不意に背中に衝撃がくる。振り向けばそのには麻井の姿。


「何って普通に登校して来ただけだけど……。」


「それが気になんの!だってお前、体調不良で三日休んでたんだぜ?」


……僕、そんなに寝てたのか。金扇さんでもいいから起こしてくれれば良かったのに……。

そう思っていると麻井がコソコソとした態度で僕に耳打ちする。


「……んでさ、お前。乙梨さんと話してどうだった?」


「……、……何が?」


「『何が』じゃねぇだろ!あんな目立つことしといて!!……まぁ、いいけどさぁ。」


いいんだ。……麻井の情緒がわからないな。


「……あ!そーいや知ってる?昨日の事件!怖いよなぁ。」


「……?何かあったの。」


「知らねーのかよ……昨日の夜、発砲事件があって、名前はまだわかんねーけどウチの学校の女子生徒が巻き込まれたんだってよ。噂じゃ四組の奴だって。」


……四組、乙梨さんのクラスか。


「怖いよなー。でも、話に聞いたくらいだとあんまり実感って湧かないもんだよな。当事者意識なんて中々持てねぇよ。」


「……そうだね。でも、変に怖がっていたら何も出来なくなるから。その方がいいかもしれない。」


じゃないと、あの人みたいに外を異常に毛嫌いするようになってしまう。

一歩、また一歩踏み出す僕の足は外を歩いている。

……あの時なら考えもしなかったな。それもこれも、道を印してくれた人がいたからか。

あの日よりもずっと僕の足取りは軽い。


「……おはよう!惟芽。」


学校の校舎に近づいて来た頃、誰かに挨拶された。見ると、乙梨さんの姿。……登校出来ていたのか。


「……乙梨さん……?……おはよう、ございます。」


「うん!じゃあね。また!」


「……はい……??」


僕が挨拶を返すと満足そうに彼女は校門をくぐる。

今までからは考えられないほどに機嫌がいい。一体どうしたんだろう。

そう思っていると、麻井に肩を掴まれる。


「お前!何したの!?乙梨さんがあんなに笑ってるところ見たことないぞ!!」


何って言われても……、


「わからない……てかなんで僕に聞くんだ……」


「お前が一番怪しいからだよ!!」


なんでそうなるんだよ。失礼な。

他にだって原因があるかもしれないだろ。


「……そういや気づいたんだけど、お前ってさあ……同年代の女子にも異常に畏まった態度とるよな。先輩とかなら分かるけど、俺ら三年じゃん。なんで?」


「……そう、だった……?」


完全に無意識だったな……。多分、知らないうちにあの人を思い出してるんだろうけど。……気にしまくてもいいか。

第二幕 神 《了》

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