第二十一録 貴女に聞かせたかった声は
「ねぇ! あなたのお名前はなぁに?」
そう言って、緒梨先輩は私の手を優しく握った。今まで誰もしてくれなかったそれがとても温かくて、どうしようもなく光に思えたの。
『オトナシ シオン』
声の出せない私の代わりに式が言葉を話す。式が話したのを見て驚いている緒梨先輩の横に奥にいた金扇が口を挟んだ。
「天威晴司令官が式の受肉の時にシオンの思考パスを式に繋いでいる。だから、会話は全て式を介してだそうだ。だからあんまり早口で喋ったりすんじゃねぇぞ?」
「……なるほど、わかりました! ねぇシオンちゃん! シオンちゃんのお名前、文字はどう書くの?」
急に向き直ってそう聞かれた。文字?そんな言われても分からない。だってこれは音しか決められていないから。
『……分からない。決められていないから。』
「そうなの? うーん……じゃあ……」
緒梨先輩は少し思案してから思いついたようににっこりと笑った。そして私の手を引いて、笑いかける。
「私たちで一緒に決めよう! すっごく可愛いのにしちゃおうよ! ねぇ、良いかな?」
「……。」
その光が眩しくて、あまりに明るくて……私は頷くしかできなかった。初めて私の意思を聞いてくれた。初めて、優しく手を引いてくれた。笑いかけてくれた。
それだけでもう、今までの私が報われた気さえしたの。
緒梨先輩はあの時からずっと私の全てなの。
『乙梨紫音』って漢字も先輩と決めたのよ。
「ねぇ、私の緒梨って字からね。『梨』って字を使いたい。良いかな?」
そう言ってくれた時を今も鮮明に覚えてる。だってあの瞬間からきっと、『乙梨紫音』の人生は始まったんだから。
緒梨先輩は燐に長くいるから燐の人も入れ替わりの多さを知っていた。だからね、約束した。
「紫音ちゃん、私から勝手に居なくならないって約束してくれる?」
『それが、貴女のお願いなら。私は絶対に守り抜きます。』
「……うん! ありがとう!」
そう言って指切りをした。
だって私はもうここ以外の居場所はないから。それならば『この人の隣にいたい』と望むのはそれ程、悪いことだろうか。
「紫音ちゃんは声を出すのが難しいんだよね。」
ある日、緒梨先輩にそう聞かれた。
『はい。ですので、会話は式を介して行われます。』
私の思考を映した式が言葉をなぞる。その様子を見た緒梨先輩は少し寂しそうに笑った。
「ねぇ、もしさ。紫音ちゃんがその小鳥さんを介さなくても話せるようになったら……紫音ちゃんの声を一番に聞くのは私が良い。ダメ?」
『……ダメじゃないです。』
そう返した途端、緒梨先輩の表情は明るくなる。とても嬉しそうにその目は細められた。
「本当? じゃあ約束ね!」
緒梨先輩との約束が二つになった。
時が経って、私も時雨に入った。その時には緒梨先輩は時雨の代表に抜擢されていて、本人でもないのに私はそれが凄く誇らしく思えたの。
時雨の役割は分かる?
……そう。暴走する霊や、話の通じない強霊を式の力を借りて『封印』すること。
薊とは似ているようで違うのよね。薊はあくまで退治がメインでしょう?
もちろん、私は緒梨先輩の隣に何が何でも居るため頑張って来た。緒梨先輩の隣に立つに相応しくあるために。
頑張って走って来た。どんなに辛くたって、疲れたって、緒梨先輩の隣に立てなくなる恐怖よりはマシ。緒梨先輩の隣にいれば、私は私を肯定して生きれたの。
だから式の力を借りて、目の前の霊を封じて来た。
でも、不幸ってね誰も予期しない時に来るものよ。
17歳、十一月の冬。式が私から離れたの。
理由は単純。私が式を雑に扱ったから。
『……ワタシハ、式モトイ、キミノ加護デアル。ソコラニイル愛玩動物トハ格ガチガウ。故ニ、尊バレルベキ存在ナノデアル。キミハ出逢ッテカラ一度タリトモ、ワタシヲ信ジテハクレナカッタネ。』
だってアンタは助けてくれなかったじゃない。私が助けて欲しいって祈っても、手を差し伸べてくれなかったでしょう。
『式トシテ顕現シタ時カラ、ワタシハ、キミニナルベク尽シテ来タツモリダ。現ニ、コノ霊ト穢レニ塗レタ場所デ、キミハ一度ダッテ死ンデハイナイ。ダガ、キミガ見テイタモノハ、ワタシデハナク、アノ小娘ダ。』
その時に言われてやっと気づいたの。私はいつも式に頼っていたって。
『サヨウナラ、―――。ワタシノ愛シイ子。』
無くしてから気づくなんて馬鹿みたい。私は、式がないと普通に生きれないのに。
でもね、式は最後に私に教えてくれたの。
忘れた、私の本当の名前。……もう使わないのにね。
……はぁ、本当に馬鹿みたい。
その日から、私は任務にも出れなくなって緒梨先輩の背中を追いかけることさえままならなくなった。私は私を肯定出来なくなったの。
二週間後だったかしら、突然燐に警報が鳴り響いた。
原因は……分かっているだろうけど、封印していた凶霊が暴走して子供の身体を乗っ取ったアレよ。
真っ先に対処に向かったのは緒梨先輩だった。時雨の代表として、するべきことをした。そのはずだった。
……でも現実って残酷よね。霊の暴走で依代になった子供も制御不可能。成す術がなかったの。
私が現場に来た頃には、霊や子供はいなくてボロボロの緒梨先輩が倒れているだけ。
呼吸は浅くて、目の焦点がどんどん合わなくなる緒梨先輩を見て……怖くなった。
「……先輩!!」
あの日以来、初めて声が出たの。でもそんなこと気にする余裕がないくらい、私は必死だった。とにかく、先輩がいなくなるのが嫌だった。
「先輩? ……ねぇ、先輩。緒梨先輩っっ!!」
「……紫音、ちゃん……? 紫音ちゃんだぁ……!ごめんね、わたし、もうダメそう……」
緒梨先輩はいつもみたいに柔らかく笑ってて、でも本当にダメそうで……。先輩の微かな呼吸音だけが耳をくすぐった。
「……っ紫音ちゃんにね、くまさんを預けたいんだ。……ねぇ、くまさん。紫音ちゃんのこと守ってくれる?……大丈夫、わたしもう、泣いてないよ。だからね、もう大丈夫。」
先輩の式は、笑顔と共に放たれる言葉を聞くとそっと先輩から離れる。そして私の手をゆっくりととって、見つめた。……そのとき先輩から式が離れたの。先輩が私に式を譲渡した。
「先輩……いや、嫌だ。私、先輩がいないと……。」
「紫音ちゃん……声、出せるようになったんだねぇ……最後に聞けて良かったなぁ。……ねぇ、紫音ちゃん。」
先輩は泣いてる私を見てその細い指先で私の目元を拭った。
「……大好き。私は貴方のこと凄く大好きだよ。……だからさ、自分のことだけは信じてあげて。私はいつだって紫音ちゃんの味方だから。」
そう言って、先輩の目は閉じてしまった。呼吸音はもう聞こえなくて。
「……先輩……?ねぇ、ねぇ!先輩!ねぇ……緒梨先輩っ!!!」
こんなはずじゃなかった。きっと緒梨先輩はこんな場所で死ぬ筈はなくて、私もこんなところで泣いているはずじゃない。
何より、
「……っあ゛ぁぁぁぁぁぁぁ……!!」
先輩に聞かせる最初で最後の声がこんな後悔に塗れた苦しい声でいいはずがない。
貴女に聞かせる声は、聞かせたかった声は……もっと楽しくて、綺麗で、可愛らしくて……温かい声のはずだったのに。
そんな声で、私も貴女に「大好き」って言いたかったのに。




