第十九録 自己の正当性
目が覚める。天井が白い。……既視感がある部屋……燐の医務室だ。
僕は、倒れてしまったのか。まだ意識が不安定だ。それにしても懐かしい夢を見たな。先生のことを思い出したからか。
「……せんせい。」
「おや、目が覚めたかな?」
「……先生?なん、で……」
目の前いるのは間違いなく先生だ。なんで、ここは燐なのに。
「おはよう、……胤。」
なんで先生が此処に……?
おかしい。……ああ、たぶん夢だ。懐かしいことを思い出したから、きっとそれの延長線上だ。
明晰夢って……こんなに意識がはっきりしているものなのか。
「お寝坊さんかな?君にしては珍しい。まぁ私はたまーになら良いと思うよ?君は良い子過ぎるからね。ときどき羽目を外してしまったって誰も咎めない。寧ろ私は肯定しちゃう!偉い!流石!寝ることは大事!!」
「本当にトキ先生の言いそうなろくでもない戯言を……。」
「だって本人だからね。……ん?今ろくでもないって言った?戯言って聞こえたのだけど?気のせい??」
夢だからかな、ろくでなし具合も磨きがかかってる。まぁ夢は記憶から作られるものだから僕の記憶と先生に対する印象が合わさるとこうなるのか……出てくるならもう少しかっこよくなって欲しかったけど……しょうがない。
「胤、隈が出来てるね。疲れているのかな。……私が見ていない間にこんな頑張ってきたんだね。偉いよ。」
そう先生は落ち着いた低い声て言う。やっぱり夢だ。あまりに僕に甘過ぎる。いつもの先生なら『ついに君にも不眠になるくらいの悩みができたんだね。もしかして……恋の悩み、とか。アドバイスあげようか。まぁ、私も経験無いけどね。』ってふざけてくる。……自分で考えといてなんだけどイライラしてきた。
「……先生、ちょっと。」
「……ああ、なんだい?」
少し返答が遅れながらも先生は顔を近づける。その隙に先生の頬をつねった。
「痛っ!?何するんだい急に!」
先生の余裕そうな笑みが崩れて、焦った表情に変わる。珍しく隙だらけだ。それとも僕が成長したってことだろうか。
「……はぁ、溜飲が下がった。もういいです。」
「久しぶりの再会だって言うのに君はだいぶ雑じゃないかい……!?」
「妥当です。寧ろ、つねるだけで済んだことに感謝してください。」
「教え子が冷たい……私は悲しいよ!……と言いたいところだけど、君のいい変化も見れた。それだけで私は充分だ。少し感情が外に出せるようになったね。」
一言一句、本物の先生みたいだ。まぁ、少し記憶より……
「老けましたね。先生。」
「酷い!せめて大人っぽくなったって言って!!君は見ない間に偏屈さと意地の悪さが増していないかい!?これでも私は君の先生だよ???」
幼稚なところは一切変わっていないから、それは無理な要求だ。
一つ一つの仕草や言葉が、本人に対峙しているように感じてしまって……少し戸惑う。これは夢なのに。
……夢だから、だろうか。
「ねぇ、トキ先生。聞きたかったことがあるんです。」
先生はいつもみたいに余裕のある笑みを浮かべる。首を傾げながら、僕の方を見てくれる。あの人と違って僕の話を聞いてくれる。
……今なら、良いんだろうか。
「……ん?なぁに?」
ずっと誰かに聞きたかった問いを。
「僕は、」
聞いてしまっても、良いのかな。
「……一体何処で、『人』を違えたんでしょう。」
どうか、否定して。貴方が僕の信じる道を決めてくれ。
「……君はーー」
飽きることなく空を見ていた先生のその目は、正しく『人』になれなかった僕を見ていた。
【燐・医務室:丑の刻にて】
静かな空間で響く吹き荒れる風の音。もう、夢は現実のようだ。さっきよりも頭がはっきりとしている。
落ち着いた様子で医務室の扉が開く。
「……乙梨さん。」
「気分はどう……って良いわけないわね。」
ゆっくりと乙梨さんは椅子に腰掛け鞄を抱える。乙梨さんは僕に目を向けずに言った。
「……先に言っておくけど、私はアンタを肯定しない。でも否定はしないのよ。アンタにどんな事情があるのか知らない。知らないから、無駄な責任を持ちたくないの。だって、私は私を信じて生きているから。私を肯定したいから。私が正しい、アンタが間違いって思えば私は今まで積み上げてきたものを壊さないでいられるから。私は知らないままでいたい。」
「……そうですね。それが普通だ。」
おかしいのは『あんなこと』を言った夢の中の先生の方だ。こっちが普通、正常だ。
誰だって、自分の心の整合性を保つために生きている。選択している。
なのに、先生があんなことを言うから。僕はもう正しい空の飛び方が分からない。……やっぱり夢は夢だ。
「だからね、惟芽。アンタにはこれから私が話す出来事を黙って聞いてほしいのよ。」
乙梨さんの鞄から、見覚えのある『くまのぬいぐるみ』が顔を出していた。
「私が私を正しいって思えるように、そう思い込んだまま生きていけるように。私は今から話をする。」
何についての話だかは粗方予想ができた。『彼女』の遺した式が、ただひたすらに僕を見つめていたから。
「今から話すことについて、私はアンタの感想や考えを一ミリも望んでいない。これは私を正当化する為だけに話すことだから。何も言わないで。」
僕の方こそ、ただ知りたいと思っていただけだ。はなから余計なことは口出しするつもりはない。心の底では否定したとしても、口では沈黙をするだろう。
「それじゃあ、話してあげる。私がどうやって先輩から式を引き継いだか、それと私が先輩を信じているわけを。」
最後まで神に愛された人間はどんなに正しくても、神にそれを潰されてしまったんだろうから。




