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第十録 貴方を教えて

ガタガタと窓を揺らす風の音。この人といると何だかいつもより周りの音がはっきりと聞こえてくる。彼女があまり騒いだりしないからだろうか。


「……『話を聞かせろ』と言ってもね。惟芽、アンタに話すことなんて一ミリもないの。」


「それは何故?」


乙梨さんは腕を組み、こちらを見下すように言った。


「アンタらが嫌いだから。アンタも、高田も、金扇も、天威も、緒梨先輩以外の燐の奴らは全員嫌い。」


一体、彼女は誰に怒っているのだろう。僕には分からない。


「……では貴方自身も?」


途端、目を見開き僕を見る。したら、直ぐに目を背けてしまった。


「……嫌いよ。この世で一番嫌い。」


「そうですか。」


「燐ここは死を当然のことのように扱う。簡単に死を受け入れるこの場所は嫌い。そんな場所にいる奴らもまともじゃないわ。」


まとも、まともか。今までのことが頭を巡る。何処を向いても執着、憎しみの渦。花が咲き、鳥が囀り、血が流れ、呪いが蔓延る。

この、あまりに美しくて魅力的で残酷な世界に


「まともなんて、はたして最初からあったでしょうか。」


僕の問いかけに乙梨さんは眉一つ歪ませず答える。


「世界に無いものを創り出す事こそが人間の意義じゃない。」


「貴方は、最も簡単そうに難しいことを言いますね。ですが、正しい。」


与えられたものに甘えずに。自分で、創る。切り開けなければ。選択しなければ、


「そうしなければ、僕らはずっと鳥籠の鳥だ。」


乙梨さんは目を伏せる。疑問を口に出す声は静かなのに、はっきりと透き通って聞こえた。


「……『空を知らぬまま目を閉じてしまう』?」


「いえ、『空に焦がれて燃え尽きる』。」


どうせなら『焦がれる』よりも『焦がされる』方がずっと良い。


「羽はあるのにね。とっても哀れな小鳥さん。」


乙梨さんは嘲るように鼻で笑う。

それは違う。絶対に違う。違う。酷い間違いだ。僕は、


「僕は鳥じゃない。それだけは違う。」


思わず声が固くなる。あの光景が蘇ってくる。

「全部、貴方の為だから。」

あの言葉。僕は違う。鳥じゃない。鳥になりたくない。もう僕はあの人の所有物じゃないんだ。

あんな家で、洗脳紛いの教育で、あの人の気持ち悪い罪悪感を晴らすための道具になんて、もう二度と…………


「じゃあ、人間?」


ふと、乙梨さんの問いかけで現実に戻される。気がつけば拳を強く握っていたのか食い込んで少し血が出ていた。


「……人間では、あるんでしょうか。正しく『人』には、なれなかったと思います。」


「そう、じゃあアンタはなに?」


なに、なにと言われても直ぐには分からない。

ああ、でも強いて言えば……


「『虫』です。火に飛び込んで燃え尽きる虫。」


虫は良い。だってあの人は虫が嫌いだから。僕は虫でありたい。

そのとき初めて乙梨さんと本当の意味で目が合った。そして乙梨さんは酷く表情を歪ませた。


「……っ正気じゃない……!」


「知っています。」


「ろくに死ねやしない!」


「分かっています。」


「幸せになんて、なれない。」


「承知の上です。」


最後に振り絞るように乙梨さんは吐き捨てる。


「……気味が、悪い。」


「そうですね。」


でも、籠の中よりずっと面白い。


「……気分悪いから帰る。惟芽、先輩の記録のこと考えておいて。」


そう言って乙梨さんは書庫を出ようとする。


「……また明日。学校で。」


返事は返ってくることなく、扉は閉まった。

乙梨紫音。元時雨所属で神野緒梨の後輩。異常に神野緒梨を信奉しており、神野緒梨に対する執着心が強い。


「……緒梨さんの記録か。」


椅子に腰を掛けて考える。

そういえばまだ読んでいなかった。いや、意識的に避けていた。緒梨さんの人生を覗き見するみたいで嫌だった。

あのとき、僕が外に出て初めて会った人だから。あの人と先生しか知らなかった僕が初めて話した人だから。

緒梨さんの何もかもが綺麗に見えて、


「……好きだったんだろうな。」


初めて、そういう想いを抱いた人。もう、叶いはしないけれど。

けど、少し気になることがあるとしたら、何で緒梨さんは僕の目を懐かしむように見ていたんだろう。

それだけはずっと分からないままだ。


「……読むしか、ないのかな。」


緒梨さんの記憶を、見たいとは思う。もう会えることはないのだから。記憶に残しておきたい。

ゆっくりと棚に近づく。丁寧に一冊の本を取り出した。緒梨さんの記録だ。


「……重いな。」


彼女の家、神野家は燐が設立された頃から名前がある古参の家だから。彼女が生まれた時からの記録が詳しく書かれている。

古さでいえば賽代家や金扇家、天威家と同じくらいだ。


「……緒梨さん。貴方は何を背負って生きたんでしょうね。」


それは僕には計り知れない。分からない。分からないから知る権利がある。管理人として。見届けたい。


僕は本のページをゆっくりと捲った。

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