身分差を超える冴えた方法
降誕祭が終わって、ようやく城全体が静かに動きを止めた。
あの華やかなざわめきも幻のように消えて、城内はひどく静まり返った。
勿論、中にいる人全部が誰も彼もいなくなったわけじゃない。
お客様たちはそれぞれの領地や邸にら働き詰めだった職員たちも交代で帰されて、長い間せき止められていた人の流れが一気に引いていっただけ。
それでも大仕事が終わって、全力で疾走していた心臓が休むように、静かに拍動を遅くしている。
庁舎を繋ぐ廊下の回廊を歩くと、足音がやけに響く気がした。
そんな中、私の脚は軽やかに、進んでいた。
だって、ようやく――ほんとうにようやく――お庭に戻ることが許されたから。
数日前から私の部屋になった、”聖女の執務室”の奥にある、庭へ直通の小さな階段を降りる。
石段を降りるたびに、胸の奥が緩んでいく。
踊り場に差し込む薄曇りの光で、階段の手すりの木目が濡れたように光って見えた。聖女にしか持てない専用の鍵を取り出し、金属が鳴るのをひどく愛おしく思いながら扉を開く。
「おう」
庭に一歩入った瞬間、薄暗い冬の色の中に、鮮烈な赤い色が視界に飛び込んだ。
「おかえり」
彼はこちらをちらりと見て、手を挙げる。
セランを久しぶりに間近見る。胸の奥が急に熱くなった。
「ただいま、セラン。それと、新年おめでとう。あの……ありがとね」
声が少し震えてしまった。色々伝えたくて。
「なんだ? 何かしたっけ?」
セランは眉を上げて、わざと心当たりがないふうに返してくる。すぐそうやって、照れ隠しみたいな素振りをする。
「降誕節の間に、庭のお世話とか色々……」
まずは形通りのお礼。
「そりゃ俺だけじゃないからな。ジェスにも休み明けにでもちゃんと言っておけよ」
「もちろん。ちゃんと会うのは久しぶりかも。元気だったのかな」
戒厳令の中で手伝ってくれるようになったジェス。まだちゃんと再会の挨拶もできていなかった。
「お前は久しぶりって程じゃねえだろ?変わったのは着てる制服くらいだよ。登城前には同じ家で勤めてたんだし」
そういいながら、セランは興が乗ったようにジェスの働きぶりを丁寧に語り始めた。
ジェスは素直で一生懸命に庭仕事をやってくれていたようで、セランも頼りにしているのが分かる。
聖女の仕事が始まれば、そのうち遠征などで長く不在が重なる日もある。力になってくれそうでほっとした。
「あ、そうだ、お礼。降誕祭の贈り物……これセランからでしょ。ありがと」
私は、防寒にと肩に包んでいた白い肩掛けを広げて見せた。
交代式の夜。執務室の机にそっと置かれていた包みたち。エリシアナからの手紙や目録にない品が一つだけ紛れ込んであった。白い布紙に包まれた中には、雪の結晶の様な編み模様が入った素朴な肩掛けが入っていた。
誰からとも添えられてはいなかったけれど、贈り主は一人しか思いつかない。
「うん」
はにかむように目をそらすセラン。
「それでね。遅くなったけど。……これは私から」
言い終えるのも、包みをぽんと投げ渡す。
「お、そっちも用意してくれたのか。悪いな」
セランは受け取るや否や、乱暴に紙を破る。もっと丁寧に開けてほしかったのに、そういうところは雑だ。
取り出した品を、面白そうに眺めて、そのまま首に巻いてくれた。
「襟巻きか、ありがとな。でもなんで黒? 別に良いけど、お前が選んだにしては珍しい色だな」
セランにあげたのは木炭のような真っ黒の毛糸で編んだ襟巻だ。
その問いに、胸の奥が小さく高鳴る。
理由は、街で見聞きしたあの噂――『聖女に仕える赤と黒の騎士』の話に着想を得たから。
「なんかね、街で聞いたんだけど、今の聖女には赤と黒の騎士って言うのがいるらしくてね」
「お前……それ知ってたのか」
途端にセランの顔が強張り、目が驚きに見開かれた。
「あ、知ってた? 私はね最近。ほら今、セランが破いたその包み紙、見てみてよ。面白いの」
思い出したらおかしくなって、笑いながら指差した。
包み紙の隅には、あの屋台でもらったチラシをわざと選んで使ったんだから。
そこには三色で刷られた、白い頭の聖女と、赤い頭で黒い鎧の騎士の二人の絵が並んでいる。
「せっかくだから。セランをその騎士に任命してあげようかなって」
得意げに言い放つ。
別に、私が望むのは忠誠なんかじゃない。セランとは横に並んで対等でいたいってことだけ。
どんな身分や出自があっても、家族でいたい。
最近のセランがよそよそしくて、優しくなくなってしまったのは、多分。
……身分の問題なんだと気づいてしまった。
降誕節で一気に外の人と交流を持つ中で、私も身をもってわかってしまったから。
私は聖女で、貴族の人たちとはお話をしてもいいけれど、参賀に来てくれた街の人たちには、顔を出してもせいぜい手を振って目線を送ることしか許されない。そこには超えてはいけないとされている隔たりがあった。
きっとセランは、私よりもちょっと前にそういうのを知ってしまった。
だから、聖女になった私は平民のセランとは気安く話しかけちゃいけない。……どうせそんなことを考えているんだと思った。
でも。そんなのは嫌。
「公務の間に見たけど、街には仮装の人がたくさんいたの」
「ああ……そういや。」
「だからね。それ巻いて、セランは赤毛の黒い騎士になるの。そうしたらさ、私の隣で歩いてても仮装で済むじゃない」
お祭りの日。銀髪の私でも仮装として人混みに溶け込めた。ならセランも仮装にすればいい。そしたら並んでいてもおかしくない。
「私は聖女になるんだってセランはいってたけど。……私も仮装だよ。聖女の振りをしているだけ。私はただのリシェリアのままで、変わらないの」
「……。」
黙ってしまった。
「ね?」
だめ押しのように微笑んでみる。
「……はーぁ。これだもんな。馬鹿らし。……くく」
拍子抜けしたように息を漏らし、少し空を仰いで何か考えているようだった。
けれど結局、肩を揺らして笑ってくれる。
「はは、はっはっはっはっ……」
「それより。ほら、何か言うことあるでしょ?ちゃんと頑張ったよ」
私は口を尖らせて、期待半分、意地悪半分でセランを見上げた。降誕祭の前、彼は「褒めてやる」なんて偉そうに言っていたから。いまこそ、その言葉を聞かせてもらう時だと思った。
「頑張ったけど、私の騎士さんが、近くにいてくれなくて。やっぱり張り合いなくて、寂しかったんだから」
胸の奥の正直な気持ちが、するりと口からこぼれる。華やかな人々の中に置かれても、目はずっとセランの赤い頭を探していた。
「褒めてくれるくらい、いいと思うの」
「俺は市内に駆り出されてたからなぁ。見てないしなあ」
セランはいつもの調子で肩をすくめる。
「うそ! 見てるっていったのに!」
思わず声を上げてしまう。
「ドレスだって、仮縫いの時見せたのに、あんまり見てくれてないで帰っちゃうし。」
「あんなの。汚しそうだし重そうだし。お前はは泥ついたエプロンの方が似合ってるよな」
舌を出して、私をお転婆だとからかう。
そうかもしれないけど。
確かに。特に王様の前に出る時のドレスは重くて着心地が好きじゃない。気兼ねなく歩ける軽い服のほうが好きだけど。
でも……誉めてくれたっていいのに。
「お話の中の赤と黒の騎士は、白の聖女に愛と忠誠を捧げてるのに。セランは言葉すらくれないんだね。ケチ」
「忠誠なんて。リシェと俺は別に主従じゃないんだぞ」
眉根を寄せる。もちろん私だってセランと上下があるなんて思っていない。セランが勝手に下がってただけ。
「そうだよ。ずっと、そう言ってるじゃない。でも愛はあってもいいんじゃないの?それとも、私のこと全然愛してない?」
気づけば問いかけていた。
「……え」
セランの目が丸くなった。思ってもなかった攻撃を受けたみたいに、気まずそうに息を呑んだ。
「そうなの?」
眉間に皺が自然とよってしまった。真っ直ぐに見つめてしまう。
あんなに一緒に生きてきたセランでさえ、私のことを愛してくれてないなら、私は。
やっぱり、誰にも本当には受け入れてもらえないんじゃないのかな。
急に胸の底が凍ったように怖くなった。
そんなことないはずなのに、泣きたくなってしまう。
「……面倒臭えなぁ」
セランが、ため息をついた。
ソーマや私が遊びの帰り道で「もう歩けない」と泣いてごねた時のお兄ちゃんの顔で。
「わかった。わかったよ。リシェは頑張ってた。偉かった。可愛かった。俺のリシェはやっぱり世界で一番だな」
一気に吐き出すみたいに、セランの言葉が落ちてきた。ようやく、元に戻れたみたいで胸の奥に嬉しさが灯った。
……棒読みじゃなければもっと良かったけど。
「なぁんか、投げやり」
そう言って睨んでしまう。
「んな事ないだろ」
彼はしらを切るけど、引っかかった言葉がある。私は目を細める。
「面倒くさいっていったよね?」
問い詰めるように視線を向けると、セランは舌を出した。




