聖女に絡みつく喧騒
「「「「降誕祭を祝して」」」
「大樹のご加護を」「善き新年を」「聖女に祝福を」
城の回廊、宮殿の広間、街の広場。
至るところでその言葉が繰り返される。
一歩進めば声をかけられ、立ち止まれば祝詞のように投げかけられる。
例年ならば、この喧騒に身を晒すことはなかった。最低限の職務に応じるほかは、部屋に籠り、外の賑わいを遠巻きに聞いてやり過ごしてきた。
だが今年は――いや、今は。隣にリシェリアがいる。
義務であり、必然であることに違いはない。
けれど、それは同時に至福だった。
彼女がいるだけで、煩わしいはずの人波も祝辞も、福音のように耳に届き、世界が光に包まれて見えた。
……今日の衣装も、可愛い。
王宮の新年祝賀会。
白や緑を基調とした儀礼服ではなく、淡い氷結の青。雪を散らした結晶のように清らかで、それでいて社交の場にふさわしい華やかさを帯びたドレス。
聖女としての清楚さは保たれつつも、縊れのある腰回りと豊かに広がるスカートは女性らしい線を描き、結い上げられた髪には薄く煌めく飾りが散らされている。
頬に施された化粧は淡く、瞳を一層際立たせていた。
目を奪われる。
いや、初めから彼女しか見ていなかった。
「聖女殿、祭祀官殿。降誕祭をお慶び申し上げます。ネーヴェリア大使、ランバルト・アドラーと申します。先日の交代式は素晴らしかったですな」
声に振り向く。白髪を交えた金髪に、朝焼けを思わせる紫がかった青い瞳。皺の刻まれた顔には朗らかな笑みが広がり、貴族としての風格を隠そうともしない。
リシェリアと並んで最上の礼をもって迎えると、大使は深々と跪き、彼女の手に口づけを落とした。
「聖女殿のご尊顔、間近に拝すれば噂に違わず……雪の精霊のようにお美しい。二十年若ければ、ただちに求婚を申し上げていたところです」
軽口のようで、真実を滲ませた声音だった。
リシェリアは困惑を微笑みで包み込み、手を差し出す。
「とんでもございません」
「時に聖女殿。――御髪に、瞳の色。もしや我が国にも由縁がおありではないでしょうか?特にその透き通るような青。碧眼は我が国の系譜です。是非ご生家のお話など伺いたく」
一瞬、空気が張り詰めた。
紫がかった青の瞳が彼女を映す。確かに、血脈を辿れば繋がりがあってもおかしくはない。だが、出自を問われれば、彼女は答えを持たない。
リシェリアの言葉が詰まったその瞬間、俺は一歩前に出た。抱くように腰を寄せ、隣にあることを誇示するように。
「我が国の至宝、聖女リシェリアはシルヴィナスの民。その恵みも輝きも大樹にのみ注がれるものです。そのようにお尋ねいただきましても、ネーヴェリアの聖岩に呼ばれることはございません」
ネーヴェリアは聖なる岩山を信仰する雪と石の国だ。
彼の国でも、異能者を欲するのだろう。声は淡々と、しかし鋭く。
聖女の力を譲る意志のないことをはっきりと示す。
アドラーは余裕の笑みを崩さぬまま、肩を竦めて見せた。
「それは残念。しかし、任期を終えられた後はいかがでしょう。余りに強い光を、与えすぎても葉を焼くだけと言います。愚息が幾人かおりまして、一人は貴国に遊学中。以前から聖女殿のお噂を熱心に伝えてきておりました。……任期の終わり頃、改めてお伺いしても?」
その眼差しが、ちらりと俺に流れる。
「それとも――すでにどなたかとお約束がおありか?」
「お戯れをおっしゃらないでいただきたい」
俺は相手にせず、リシェリアは曖昧に微笑むだけにとどめる。
「我が邸からもこの美しい大樹がよく見えます。たまには遠景で楽しむのも良いものですよ。ぜひ、いつでも視察においでください。」
それ以上は深入りせず、大使は軽やかに去った。
残された空気に、彼女の小さな吐息だけが揺れる。
「……私の色は、あちらでは珍しくないのでしょうか」
グラスに映る自分の髪と瞳を、リシェリアが覗き込む。向こうであれば、少なくとも見た目で疎外や好奇の目に晒されないのかもしれない。…そう考えてしまっているような気がした。
ネーヴェリアは日差しが閉ざされていることが多く、その土地のように、全体的に民の色素は薄い傾向が確かにある。国境城塞から見た景色や、画本を思い出す。
その風景を背景に立つリシェリアは確かに、似合う気がした。
……彼女の心をネーヴェリアに向けさせてはだめだ。
もしそちらに由縁があるとしても。行ってほしくない。居てほしい。
「ネーヴェリアの王家は金髪の系譜だと聞いた。ーそれにたしかに、青や緑の瞳も多いらしい。ただ、金髪はシルヴィナスにも珍しくはないし、国境には混血もいるから……一概には言えないと思う」
努めて柔らかく。否定はせずに、そして付け加える。
「けれど、リシェリアのように…銀の髪の話は聞いたことがないよ」
唯一であることを願いを込めて告げる。抱いた掌にほんの少しだけ、力を込めた。
けれど彼女の表情は晴れず、曇りを落としたまま静かに伏せられた。
***
あのような攻勢はアドラー大使だけではなかった。その後も、たくさんの人間が手を変え話を変え、リシェリアの気を引くような言葉を放ち目の中で様子を伺う。
……交代式が終わったばかりだというのに。
リシェリアの異能力の高さは、公開されているわけではない。公開する儀式で振る舞う時は抑えている。……知覚や感応技能があれば少しは察せられる可能性はあるが。
だから純粋に見た目だけのはずなのに……すぐさま他国の貴族までもが、寄ってくる。
薄っぺらな称賛、媚びた笑み、品定めするような視線。せっかくリシェリアが明るく機嫌よくしていたところに、冷や水を浴びせられたような気分だった。
中にはあからさまに下卑た言葉を吐く者までいた。
「平民ならば愛妾としてなら受け入れてやる」――耳を疑うほどの無礼。
言葉を呑み込むのに、拳を握り締めるしかなかった。
「国を通じて必ず抗議を申し入れてやる」
胸の奥でそう毒づく。怒りと嫌悪が煮え立っていた。
ここ数日は、特に彼女を誰にも渡さぬように過ごしてきた。
舞踏の場でも必ず最後に彼女を迎え、他の者の触れた痕跡を拭うように共をした。
ぎこちないながらも、形式に従って彼女を抱き、音楽に合わせて歩を進める。
その一瞬一瞬が幸福であったのに――今夜の出来事は、それを台無しにする。
「リシェリア、すまない。……どうしても、これほど多くの人が集まれば、品位のない輩もいる。疲れていないか?」
彼女は疲れを隠せぬ表情を浮かべながらも、努めて微笑みを返した。
「大丈夫です。もう祝賀も終わりですから。……でも、賑やかすぎました。早くお勤めに戻りたいですね」
その言葉に胸を撫で下ろす。
彼女もまた、静謐を愛する人だと再び確信できて――荒んだ心が少しずつ鎮まっていく。
俺の聖女が、俺だけの聖女だったあの日々が少し恋しい。
「うん。そうだね。早く静かな日に戻ろう」
添えられた彼女の手に、そっと自分の手を重ねた。
その小さな温もりだけで、喧騒も不快も薄れていく気がした。




