聖女が知らない物語
交代式が終わっても、慌ただしさは少しも途切れなかった。
晩餐と祝賀会が終われば、夜明けとともに大勢の人々の目に晒されながらの大規模な年初の大樹奉納儀式。わずかな休息を挟んで、今度は年賀として王宮へ拝謁し、さらに歴代諸王の王廟参拝、王都郊外の分霊樹への巡礼……。それらを終えてようやく戻れば、間髪入れずに各国の外交官や大貴族を迎える祝賀の席が待っている。
そんな日々が、切れ目なく続いていた。
公務の帰路、馬車が不意に軋み、車輪の一つが壊れて広場へ寄せられることになった。予想外の足止めに、なぜか胸の奥が軽く弾む。カイルたちが代わりの馬車を手配している間に、護衛とサフィアにお願いして、ほんのひととき、降誕祭の余韻が残る広場へと足を踏み出した。
「ほんの少しだけ。のぞいていきましょう」
そう言って微笑むサフィアに甘え、私は裾を摘んで石畳に降り立つ。
街には、祝祭の名残がまだ色濃く漂っていた。色とりどりの布が風に揺れ、子どもたちの持つ紙の灯りがかすかに揺らめく。その中には、「聖女リシェリアの聖なる御姿」を模した装いの品々が堂々と並び、白銀の髪を真似た帽子や布飾りが人の流れに溶け込んでいる。人混みの中に紛れても、誰ひとりとして私を特別視しない。むしろ私自身が、その“飾り”の一部になったかのようだった。
胸の奥が、くすぐられるように弾む。
赤く艶やかな果実の飴を並べた屋台に目を引かれ、思わず足を止める。護衛とサフィアの気配を背に感じながら、私はそっと声をかけた。
「わぁ、綺麗。ひとつください」
店主は顔を上げ、にこやかに笑う。
「まいど! お、お嬢ちゃんも聖女様の仮装かい? にあうねえ!」
胸の奥が一瞬跳ねる。それでも平静を装って、微笑みを返す。
「……ありがとう」
ただ素知らぬ顔をしているだけなのに、心臓は高鳴り続けていた。正体が露見するはずもないのに、ひどく悪戯めいた楽しさがある。代金を渡し、お礼を言って飴を受け取った。
「お嬢ちゃんにも赤と黒の騎士は見つかったかい!?」
「……赤と黒の騎士?」
思わず問い返すと、店主は首を傾げた。
「お、街の外から来たのか? ちょっと待ってな」
そう言って屋台の下から紙を取り出し、差し出してくる。
「なんでも今年の真っ白な聖女様には、赤と黒の騎士ってのがいて、愛と忠誠を誓ってるってえ話だよ」
「へぇ……そうなんですね」
まったく覚えのない話に、驚きが胸に広がる。
「まあ、街の娘っ子はそういう話が好きだからな! お伽話みたいなもんだ。でもそれにあやかって、赤と黒の二色を身につけて愛を告げると幸せになれるってまじないが流行ってるわけだ」
店主は飴にかけられた黒い紐を示す。視線を落とせば、自分の手の中にも同じ赤と黒。周囲を見渡せば、街のあちこちに同じ色合いが散らばっている。
前に礼拝堂であった悪戯を思い出した。
あの仕掛けをした人は、赤と黒を飾って、みんなにも幸せを分けてあげようとしたのかも?
カイル達は怒っていたけれど、そんな発想だったらいいのになと思った。
「……本当ですね。すごい。……ふふ。私も素敵な“赤と黒”、手に入っちゃいました」
そう言って飴を掲げると、店主は満足げに笑い、「おう! それじゃ良い降誕祭を!」と送り出してくれた。
店を出るとサフィアや護衛の人が合流する。
「ねえ、サフィア。今年の白い聖女には、赤と黒の騎士っていう忠誠を誓う騎士がいるんですって。知っていた? 不思議ね」
手渡した紙を見たサフィアの表情が、ほんの一瞬だけ強張った気がした。それでもすぐに穏やかな笑みに戻る。
紙には、黒衣の赤毛の騎士が白い姫に花を差し出す絵が描かれている。
『貴方も◯◯花店で愛の花束を! 今なら特別に赤と黒の飾り紐が無料』と添えられて。
「赤い髪だからセランのことが伝わってるのかな? でも忠誠を誓うなんて……ふふ。そんな大げさな話じゃないのにね」
「なんでも街の人は商売につなげたいものですから。誇張して広げるんです。気にしなくて良いですよ」
サフィアのやわらかな言葉が、心を静かに落ち着かせる。確かに、そういうものなのかもしれない。
やがて手配された馬車が到着し、私たちは乗り込む。揺れる灯りの中で、手にした飴がきらりと光る。
カイルがそれに気づき、問いかけてくる。
「あれ、リシェリア。そのお菓子どうしたんだい」
抜け出していたことは、まだ秘密のままにしておこう。サフィアへ視線を送り、小さく笑って答える。
「その屋台で、サフィアが買ってくれたんです」




