惜別と新進
「寂しくなりますね……」
窓の外、西の塔の暗がりを見上げてリシェリアが呟いた。
エリシアナの私室には、もう明かりはない。さっき祭壇で冠を返し役目を渡した彼女は、すでに前任の聖女でしかなく、今夜の晩餐会をもって公務から解かれる。
明日には荷をまとめて城を去る。今夜も夜通しの祝賀会だから、おそらくあの部屋に戻ることはないのだろう。窓の奥には冷え切った景色しか見えない。
この部屋――聖女の執務室を臨時の控え室として、俺たちは束の間の休息をとっていた。
エリシアナから引き継いで、今日からはリシェリアの執務室となる部屋だ。
普段の俺の執務室より一階下にあるため、窓の外の景色がわずかに違い、それが新鮮にも感じられる。
書卓の上に視線を向ける。そこにはいくつかの包みが置かれていた。大きな箱、小さな袋、それに書籍がいくつか。
外部を通したものではなく、アデライナによる検閲済みの印もある。中身を検める必要はないと判断し、俺はそのままリシェリアに渡していた。
「それは何だった?」
「エリシアナからですね。引継ぎの備品と、……お別れのご挨拶の手紙や贈り物を頂いてしまいました」
手紙の封をあけ、数行だけ目を走らせると、リシェリアはそっと閉じた。指先にわずかに力がこもる。
きっと続きは後で読むのだろう。
「こんなにしてくれるなんて、とても嬉しいです。来年も一緒にお役目が出来たらいいのに」
「今年が特別なんだ。普通、聖女同士で交流なんてしないんだから。稀な経験ができたと考えたほうがいい」
俺はそう言い添える。
「それに、彼女にとっては立派に勤め上げたと称えるべき日だ」
「そうですね。それでも……寂しくて」
祭礼の熱気を背にした今だからこそ、その声は一層静かに胸に沁みる。
「エリシアナ嬢からすれば、一年ぶりに家族のもとに戻れることを喜んで……」
――言ってから、失言だったと気づく。
リシェリアには、故郷も、帰る家もない。
気まずさを紛らわせるように言葉を継いだ。
「……別れは永遠じゃない。手紙はこれまで通りできるし、近くに遠征に行く時は寄ることだってできる」
リシェリアには――俺がいる、と滑らせそうになった。
はやった気持ちのまま、傷つけてはいないかと彼女の瞳を伺う。
目が合った。
「そうですね。早速、お礼のお手紙を書きたいと思います」
リシェリアは少し寂しげに、それでも微笑んだ。
「私にはここに、カイルやアスティが見守ってくれていますしね」
言いかけた想いを見透かされたようで、ほんのりと頬が染まる。恥じらうような笑みだった。
その姿に、胸の奥が静かに熱を帯びる。
俺は咳払いして、誤魔化すように口を開いた。
「さ。寂しがる暇はないぞ。今夜はこのあと晩餐会に、祝賀会が深夜まで続く。適度に息を抜きながら、頑張ろう」
わざと調子を軽くする。
「明日はその分朝は遅くて良いから……少し飲みすぎてもいい」
ふと思い出して、言葉を継ぐ。
「あ、そうだ。言いそびれていた」
俺はリシェリアに正面から向き直り、心を込めて言った。
「降誕祭おめでとう。そして、君の正式な就任に心からの祝福を。――聖女リシェリア」
***
その後は本当に、目が回るほどあわただしかった。
もともと降誕節は祭祀庁としては一年で最も忙しい時季だ。
祝賀行事が目白押しに詰め込まれ、王宮と祭祀庁を往復するだけで一日が溶けていく。
この時ばかりは、王国軍も一同詰めっぱなしだった。
礼拝堂での一件は、王国軍が行った厳格な取締が功を奏したようだった。
俺は城内の人付き合いをあまりしないせいで知らなかったが、質の悪い賭博行為が流行っていたという。今日のリシェリアの行動を種に金子をかけるという下卑た行為。それを誘発する子供じみた悪質な悪戯。行為に対して重い処罰を告知することで、いったんの鎮静を図ったのだというが……俺の心情としては、さらに厳格に処理するべきだという思いが残った。
表向きは忙しさのためだが、しばらく人目に晒さないようにと、俺も内々に指示されていた。
そのため降誕節の期間中、リシェリアはほとんど庭に出られず、時折、控え室の窓辺に立って外を眺めている。
リシェリアの新たな執務室。そこには庭に降りられる外階段への扉もある。
ただし今は、物理的に降りることを許す時間もなく、先述のこともあって封じられている。内外から施錠され、場に不釣り合いなほどの物々しさを帯びていた。
リシェリアの横顔に映るのは、祭壇よりも庭を恋しむような静けさで――ときおり赤い頭のやつが作業しているのを目で追っているのを見ると、胸がきゅっとした。俺がリシェリアを独占していることを、咎められているような居心地の悪さに、必死で目を逸らす。
場の空気が重くなりがちなとき、アスティが顔を出してくれるのは助かった。
来賓の対応や警護の采配に追われながらも、公女としての仕事以外では、期間中は聖女の近衛としてよく出入りしていた。アスティ特有の軽口と朗らかさが、うまく息を抜かせてくれる。
降誕祭の期間中の公務は国事だ。外交も含まれる最上の社交場では、俺が毎回エスコートできるわけじゃない。どうしても総長にその座を譲らざるを得ない。そのたびに、鬣のように濃金の髪を揺らしてグラントが堂々と出入りし、打ち合わせや挨拶を取り仕切っていた。
壇上に立つ二人――グラントとリシェリアを遠目に見ながら、思わず疑問が口をついた。
「アスティ。なぜグラントはあんなにも堅苦しいんだ。そろそろリシェリアと打ち解けようと思わないんだろうか」
俺の知っているグラント総長は、女性が好きで、女性の前であれば動作の端々に愛嬌を振りまく軽妙さと、上司として憧れるような鷹揚さを併せ持つ男だった。もちろん今は重要公務中であることを差し引いても、談笑するわけでもなく一定の距離感を保っている。
アスティはちらりと視線を寄越し、半目で肩をすくめた。
「節度のある態度でしょ。仲良くても妬くだけじゃない。グラントの女のひとりにされたほうがいいわけ? 逆に良かったでしょ」
苦笑して俺は頷く。
「それもそうだな、異論はない。いつもより態度が固いから気になっただけだ」
確かに――グラントには地位も名誉も財も愛想も揃っている。
普通の令嬢なら、彼に本気を出されたら抗える者はいないだろう。リシェリアがそんな価値観に縛られないと知っているからこそ、エスコート役を奪われても一定の平静とともに安心して見ていられた。
アスティがさらりと告げる。
「グラント……前にカイルがリシェリアに言い寄っている姿を見て、唖然としていたわよ。だから、あんたに誤解されて恨みを買わないように気をつけてるんでしょ」
「……それは誤解だ。決して言い寄ってなんかいない。まだ」
唇から出てしまった言葉に、自分でも小さく苦笑する。
俺が外に示しているのは、あくまで護衛や儀礼の態度にすぎない。リシェリアに直接伝えることは、まだしない。好意は察せられているかもしれないが――愛を言葉にするのは早い。
「まだ、ね」
アスティの眼差しが、俺の思考をそのまま見透かすように鋭くなる。
睨まれながらも、心の奥を暴かれたようで、背筋が少し冷えた。




