変わる意志と変わらない本心
「最近、セランは優しくないね?あまり会えないし」
リシェが土を掘り、畝を作りながらぽつりと呟く。その声は弱い風みたいに背を撫で、俺の胸の奥に沈んでいく。
「そうか?まあ。交代式に向けて、ちっとこっちの当番勤務も忙しいからな。」
俺は隣で堆肥を混ぜながら返す。なるべく視線を合わせず、動きだけで気持ちを抑え込む。庭でさえ恋しさを出し過ぎれば、どこかの目に引っかかると学んだ。
庭だけだ。
今、俺がリシェと会っていいのは。石畳の向こうに広がる柔らかな土の匂い、手に残る温もり、これだけが俺に許される最後の場所だ。でももうここですら無防備じゃだめなんだ。
最初にアスティが約束してくれたのはここだけだったのに、いつの間にか甘えていた。俺の立場も偉くなったと勘違いしていた。俺はリシェと違って。
……与えられた物や権利に、見合う価値を持っていない。
それなのに、場をかき乱していいはずがなかった。この世界で、リシェの命以上に優先するもん何もなかったのに。安全になったなんて……油断しすぎていたんだ。
だから己を律することにした。城内で不用意にリシェと会話してるところを他人に見せびらかさない。想像させない。極力、庭ですら砕けた付き合いは抑える。
そうじゃなきゃ……守れない。
「そういうことじゃない。……遠くて、寂しいよ」
リシェの声がさらに小さくなった。土に触れている指先が震えて見える。本当は、今すぐにでも抱きしめて、慰めたい。奪い去ってしまいたい。けれど、できない。
「今は大事な時期なんだから集中してろよ。沢山の人がお前達の姿を見に来るんだろ。……それにすぐ聖女の務めが始まる。そしたら毎日忙しくて、きっとそんな寂しく思う暇もないっての」
俺は努めて軽い口調にした。励ますふりをして、自分を納得させている。
「俺はここにいるんだから。帰ってきたらいつでも褒めてやるって」
「……。」
リシェリアは不満そうに黙り込んでこちらを睨んでいた。俺は気付かないふりを貫いて作業に戻る。
土の中で、ふと指が触れ合った。
「あ、悪い」
反射的に言葉が漏れて手を避けようとした、瞬間。
そのままリシェは俺の指を掴んだ。
払い除けようとしたが動けない。土の中で、彼女が俺の手を捕まえている。
「おい。……離せって」
自分でも驚くくらい低い声になっていた。土の中の事で、見られて困りはしないけれど、これじゃ決めた覚悟が揺らいでしまう。
「いや」
リシェの返事は断固たる拒否。
珍しい強い口調に、俺は顔を上げて彼女を見る。青い目に映る俺は、驚いて固まっている。けれど安堵もあった。
――窓から見られて困る顔にはなっていない。
リシェは渋い顔をして、睨み、訝しみ、不満げに怒るような、それとも困るような顔をくるくると変えている。小リスみたいなその表情が、可笑しくて、切なくて。
「ぷはっ…はっはっ…はっはっは」
堪えきれず笑った。
「お前、聖女様の面じゃねえよそれ」
笑いの勢いで意表を突き、俺は自分の手を引っこ抜く。少しだけ、平静を取り戻す。
「ねぇ。誤魔化されないよ」
まだ追及したりなそうなリシェの声。
「ちっと休憩しよう」
跳ね散らかした土をまとめて山にして、俺は立ち上がる。埃と土を払い、今度は自分からリシェに手を伸ばす。
「こっち来な。手洗って、茶でも飲もう」
俺が何も言わずに勝手に決めてしまったけど、リシェにも少しだけでも言っておくべきだったな。
ほっとけばまた、こないだみたいにアスティにごねて市邸に呼び出されかねない。こいつは結構、頑固なところがあるんだったと思い出した。
手を引いて小屋裏手の水場に寄る。ここは小屋の影で、かなりの死角だ。その上、俺の背で囲えば何も見えなくなる。ここでなら、リシェからだって俺の顔は見えない。
今は、狂おしいほど恋に苦しむ顔をしているはずだから。
リシェを水瓶の前に立たせ、背中で全てから隠すように立った。
「俺は……何も変わらないよ」
言いながら、リシェの手を取り、手杓で水を掛け洗ってやる。泥を落としながら、胸の奥のざらつきをも削ぐように。
「セラン」
何か言おうとするリシェ。
「リシェは変わる。聖女になる。もう……魔女なんかじゃない。御披露目でみんな褒めてくれてただろ」
俺は彼女の言葉に被せるように言い連ねる。リシェの手の泥を落としながら、過去の嫌なものを祓うように祈った。
「うん……」
リシェは、聞くことにしたらしく、相槌だけをした。俺に身を預けるように寄り掛かる。その重みが、震えるほど愛おしくて、抱きしめてしまわない様に苦慮する。
「俺が余計なことすると、悪くなること多いからな」
よく考えたら、今までそうだった。いつも暴れてなんとかしてしまうから。
「えっと。そんなことないよ」
リシェが苦しい慰めをくれる。
苦笑する。
「……あったろ。特に、ここでは決まり事や制約が多すぎる。一つ動き方を間違えれば、大変なことになる」
人が多ければ多いほど、複雑な因果は善意すら絡みつく。それがリシェを傷つけるのが、怖い。
「だからな、しばらく離れて観察したいんだ。でも、ちゃんと見てるから。……大丈夫だ。何かあったら、きっちり暴れてやるから」
……そうだ、狩と同じ。獲物の動き方を掴むまでは潜んで観察する。より良く仕留めるために。
リシェの手を綺麗に洗い終わる。すべすべで陶磁器のように見えるが、細かな生活の痕がある。植物や自然を愛する、普通の働き者の手。
リシェは本当は、本当に普通の子なのだと胸が痛むほど思う。
洗うのをやめると、リシェは綺麗になった手を見つめたあと、そっと俺の指に絡めた。俺も握り返す。言葉以外を伝えるように。
少しだけ揺らぎそうになる。……もう早々こんなに近くに寄ることはできない。最後だと思って、リシェの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
ああ。心臓がうるさい。
「すぐ追いついて隣に戻る」
詳しくはいう必要はない。きっと伝わるはずだ。
リシェはため息と共に、囁くように答えた。
「……わかった。待ってる」
リシェが今、駄々を捏ねて構って欲しがるのは――せいぜい飼い犬がつれないことを寂しがる、その程度の気持ちだ。
俺が願っているリシェリアからの愛情なんかじゃ、まだない。求めてやまない熱や渇きとは違う。俺の胸を灼くものは、まだ彼女には届いていない。だからこそ、耐えられる。
このどうしようもない想いよりも、今は大事なことがある。
リシェが自分の力を抑えられる術を学ぶこと。
人の中で安全に暮らしていけるようになること。
それができなければ、どんな未来も掴めない。
俺の望みが満たされる日が来なくてもいい。
リシェが、ただ無事で幸せに生きてくれるなら――それだけでいいんだ。




