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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
6章 赤か黒か
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赤毛の男が貫く意地

「久しぶりにやると楽しいな。アスティはやること面白いから、狩みたいでいい」

セランが立ち上がりながら、私に言った。


彼の声はいつものように素朴で、しかしどこか誇らしげだった。私は肩の力を抜いて笑い、手近にあった小さな木の実を摘むと、ひらりと投げてやる。剣の稽古に付き合うつもりなど毛頭ないふうを装っているが、本心ではこうした時間を密かに安堵としている自分がいる。聖女のことで張り詰めていた神経が、ほんの少しだけ緩むのが分かった。


「相手にならなくて悪かったわね」

軽い嫌味に彼はにやりと応える。木の実は宙で輪を描き、セランの刃先に沿って滑るように返る。あの手つきはいつ見ても滑らかで美しい。戦場で見せるそれとは違う、遊びと練磨の境界にある所作。私は目を細めて見つめる。


「一対一だと、まぁ。体格は強さだから。でもアスティの強さは指揮の方。集団では勝てないさ」

セランが、真剣な顔でぽつりと言った。彼は自分の置かれた立場や未来を、剣の稽古を通じて埋めようとしているようだった。口調は軽いが、瞳の奥にある熱は嘘をつかない。


「今、集団に襲われても勝てる方法を勉強中」

その言葉に、私は一瞬言葉を失う。冗談で言っている風でも、本気で備えているのだと知ると背筋が伸びる。私の仕事は人を導き、群れを動かすことだ。個で突っ走る彼を、つい引き留めたくなる衝動にかられる。だが同時に、彼には彼なりの責務と誇りがあるのだと自覚する。

「前にあんたの指揮で、手も足も出なかったのは忘れてねぇ」


「そんなの会得されたら、怖いわね」

私は苦笑する。一騎当千の才が備わったら、誰も止められないだろう。だが、その怖さは守る者として抱くべき怖さでもある。私はまた木の実を三つ、手早くつまんで一気に投げた。遊び半分、試し半分のつもりで。


セランは流れるように、刃を捌き、三つを刃の上にきれいに並べる。軽く浮かせて、こちらに打ち返す。挑発の代わりに、もっとやれ、と示す仕草だ。最近の張り詰めた城内の空気を忘れて、私の内側にくすぐったい遊び心が疼く。


「でも、そのくらいじゃないとな」

セランは言葉を切った。次に続く言葉は、彼の胸の内にある小さな痛みを露わにする。私にはわかる。彼が何を言いたいのか、言葉を探しているその姿が見える。青臭くも真摯なその告白の輪郭が、剣と同じくらい鋭く私の胸に触れる。


『今のままでは、どんな時でもリシェリアを守れるとは言えない』

セランはそう言いたいのだ。


どんどん高みに昇り、近寄れない距離に押し上げられていくリシェリア。追いつけない。いずれ努力だけでは見ることすら叶わなくなる。


セランには、目標が必要だ。

 

「まずは一兵卒から下士官試験に受かりなさい。模擬戦で評価はされてるんだから」

私は言葉を選んで諭す。いくら彼に才があっても、順序を飛ばしての出世はこの国にはない。…幸いにも戦火に追われていない今、騎士としての地位は積み重ねるしかないのだ。


「わかってるよ……」

セランは唇を噛むような顔をした。焦りと歯痒さが混じる表情。

理由はわかっている。カイルの存在だ。身分と見目が揃った男が、常にリシェリアの傍にいて、しかも恋情を隠さず言い寄っている。その姿を見せつけられているのだから。


「ごめんね」

小声で、私は謝った。カイルを傍につけたのは私だ。セランにとっては障害にしかならない。わかっていても、彼の不満を承知でそうした。後悔はない。けれど、罪悪感は消えない。


「なんで謝った?」

すぐに拾われる。耳も鼻も目も良い。まるで獣の勘。


「いや、なんでもない」

私は微笑みで誤魔化した。目の奥に探りを感じながらも、それ以上言わせないように。


その時、背後から涼やかな声が響いた。

「まだやってるの?」

リシェリアだ。ツカツカと軽やかに近寄ってくる。

「エリー達が帰るって」


「ありがとう。見送りにいくわ」

私は膝の埃を払って立ち上がった。セランもうなずく。


「わかった。汗拭いてすぐいく。玄関で」


そう答えたはずの彼が、玄関に現れた時には――エリシアナたちと同じく、すでに帰り支度を整えていた。


「え、セラン……帰るの?」

リシェリアが大きく瞬く。行きは皆で城から来た。泊まり込みのリシェリアにとって、当然セランも一緒に残ると思っていたのだろう。


「ああ。夜から当番だ」

セランはリシェリアの方を見ず、振り返らないままエリシアナへと向き直る。

「エリシアナ様、大変恐縮ですが、帰城の馬車の御者席にお乗せいただけませんか」


私は心の中で、苦く笑った。……当番なんて嘘だ。呼び寄せたのが私自身なのだから。


「ええ、もちろん。どうか御者と言わず中にお乗りください。……でも良いのです?」

エリシアナが柔らかに応じ、視線をリシェリアへ移す。


リシェリアの顔に走った影は、あまりに分かりやすい。

『後で話ができると思ってたのに』

――そう考えていたのだろう。


実際、エリシアナやその侍女がいなければ、リシェリアは彼に抱きついてでも引き止めただろう。セランも、絆されれば不器用に応じてしまうに違いない。

だが今はできない。不満そうな表情を浮かべることしか許されなかった。


「綺麗なドレス見れただけで充分だ。交代式当日は俺が見れないから、見せてくれたんだろ?ありがとう」

セランはそう言い、リシェリアの頭を軽く撫でる。兄のような手つき。

「また庭で」


そのあと、彼の視線が私に一度だけ流れた。

先ほどの言葉が脳裏に蘇る。


――「特別扱いしなくていい。俺は庭で会えるんだから。……あとは前に言ったこと、ちゃんとリシェのこと見てくれればそれでいい。」


吐き出すような声音。後悔の気配と、苛立ちを押し殺したため息。

「くだらねえ賭けがあったんだってな。……兵士連中から聞いたよ。そのせいでリシェの服が汚されたことも。気をつける。」


彼の背にその重さを感じながら、私は黙して見送った。


「じゃあ、エリシアナ様。お言葉に甘えます」

軽く頭を下げ、セランは去っていった。

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