見えざる手の侵入
「なんだこれは」
カイルの低い声に、私も思わず息を呑んだ。
「わぁ、凄いですね」
無垢な声で感嘆するリシェリア。彼女にはまだ、この異様さが伝わっていないらしい。こんなに豪奢に飾られた場面を初めて見たからだろう。
大礼拝堂へと続く道は、降誕節の飾りで埋め尽くされつつあった。
毎年の定めでは、色は白。大樹の花、そして聖女の貴色が白であるがゆえに、清廉さを象徴する白が一面を覆うはずなのだ。
植栽、柱、窓辺、長椅子の背に至るまで、白布やリボン、透明に輝くオーナメントで輝くのが常である。
冬でも大樹の下には雪は降らない。けれど大樹の麓にだけ、雪のように白の飾りが満ち溢れる――それが冬の風物詩であったはず。
だというのに。
礼拝堂の装いには、黒と赤が混じっていた。
漆黒のリボン、赤く艶めく木の実の飾り。白を覆い隠すように無造作に結びつけられ、ところどころ不格好に垂れている。塗料の粗さや、布切れを急ごしらえで結び合わせた痕跡が目に痛いほどに残っていた。
「祭祀庁の誰がこんなの許したの」
私は苛立ちを抑えきれずに問う。
「許すはずがない。毎年使い回しているんだぞ」
カイルの顔にも憤りが走った。
彼がこうした乱れを嫌うのは知っている。整然とした秩序に手を加えられることを、最も忌む男だ。
「焼き菓子を飾りにするんですね。ふふ、面白い」
リシェリアは無邪気に笑みを浮かべ、大樹を模した植木の鉢へ近づいていく。そこには様々な形に抜かれたクッキーが吊るされていた。星型、動物型、人型――。
彼女は人型の一つを指でつまみ、持ち上げた。
その瞬間。
「あっ…」
小さな声とともにリシェリアが飛び退いた。
「どうしたの」
胸がざわめき、駆け寄る。
彼女の脛あたり、聖衣の白布に大きな赤い染みが広がっていた。
――怪我!?
「リシェリア!?」
カイルと私の声が重なった。
緊迫した空気が一気に走り抜ける。
「いいえ、いいえ。大丈夫、ただの汚れです。下の方の飾りに、ジャムが塗られていたみたいで……」
リシェリアは必死に取り繕う。だが紅に染まった聖衣の白布は、遠目には血と見紛うほど鮮やかで――私の心臓はまだ強く打ち続けていた。
「カイル。今日の予定は終わりにさせて。戻して着替えさせる。一応、怪我がないかも検めるわ」
努めて冷静に言葉を整える。
「ああ勿論。こちらは撤去と出所を調べておく」
カイルの声もまた、張り詰めていた。怒りを押し隠した静けさが返ってくる。
「…カイル。大丈夫ですから、そろそろお離しくださると…」
リシェリアの小さな声。咄嗟に引き寄せられたらしく、彼女はいまカイルの腕の中にあった。身じろぎして困惑を示す。
「は! あ、いや…すまない。わざとじゃない」
カイルは我に返り、慌てて彼女を離した。耳まで赤くして。普段の冷静沈着な彼からは考えられぬ動揺が露わだった。
「構いませんが、カイルの裾にもジャムが…」
リシェリアはただ衣の汚れを気にするだけ。自らの不注意と受け止め、悪意の存在には気づいていない。それがせめてもの救いだった。
「いいんだ。でももう、戻ろう」
カイルは余計なことを告げず、穏やかに促した。
リシェリアを安心させるために。
その声音は落ち着いていたが、彼の瞳に宿る光は鋭く、油断なく周囲を見据えていた。
私は礼拝堂の中を振り返った。
誰もいない。いないはず――だが背筋に冷たいものが走る。
ここは祭祀庁の中枢。神聖な場であり、最も目が行き届く場所。
それなのに、こんな悪趣味な細工を施す者がいる。遊びであっても決して看過できない。見えない眼差しが潜んでいるようで、胸の奥がざわめいた。




