黒衣の男の二重論理
仕方ない。
探りを入れるよりも、これはもう真正面から忠告してしまおう。そう思い、昼餐の卓を使うことにした。
「随分素直なのね。否定するのかと思っていたのに」
声をかけると、自分でも意外なくらい静かな調子だった。
少なくとも、以前――私が「一目惚れするな」と忠告したとき、彼は真顔で否定していた。たとえその後に恋に落ちたとしても、認めるような男には見えなかった。
「取り繕っていては守れない。リシェリアの心も手に入らない。……実際、披露目後から大貴族からの攻勢がすごい」
カイルは手を伸ばし、部屋の片隅を指し示す。そこには廃棄予定の誘いの手紙が箱に積まれ、すでに溢れ返っていた。
「守る?……悪い男の手から?」
思わず口にしてしまった。
自分が白馬の王子だと勘違いしている、夢見る少年のようじゃない――と心の中で冷笑する。
けれど、その直後に向けられたカイルの瞳には、熱の欠片もなかった。
冷ややかで、ただ理性的な光だけが燃えている。
「この地をだ」
短い言葉が胸に落ちる。真摯な声音だった。
「国を守るには、リシェリアの協力が必要だ。彼女を誰かの蒐集物にさせている暇はない。だからリシェリアを祭祀庁に囲うことは必要だ」
一国を見据える現実の声。私が知っている、冷徹で聡明なカイルそのものだった。
だが、彼は続けた。
「それと同時に。…リシェリアの心を閉じ込めるのが俺の腕であって欲しいと思うのも。偽らない想いだ」
そのとき浮かべた微笑みは、リシェリアに見せるためでもないのに、あまりに美しかった。少女なら簡単に心を蕩かされてしまうだろう――そう確信できるほどの笑み。
思わず息を呑む。驚きが声に出てしまった。
「そこまで冷静なのに、同じ頭でそれほど茹っているの?」
「酷いことを言う」
軽く言い返すと、すぐに彼は表情を戻した。
温度のない感情を閉ざした顔。
――やはりそのほうが、見慣れていて安心できる。
「まあ、だから。正気だし、俺が明らかに傾いてるのを見られても、そう言った思惑の牽制が出来て損しないどころか合理性しかない。好きに見ていればいいさ」
カイルは断言した。
その声音に揺らぎはなかった。確かに、正気すぎるほどに正気だ。
もしかして――あのくだらない賭けすら、この男の手配なのか? そう錯覚するほどに、意表を突かれる。
だが同時に、カイルがわざわざ市井まで流れるような小細工を弄する理由も見えなかった。彼の冷静さを思えば、そこまで低俗な手段を取るとも思えない。
やがて食事の時間も終わりかけ、静かなノックが響いた。
リシェリアが戻ってきたのだ。
「あれ? アスティは戻らなかったのですね。二人でお食事なさっていたんですか?」
扉を開けた彼女の瞳が、まだ片付け切れていない卓を見て瞬いた。
「リシェリア、お帰り。すまない、なんか居座っててね。次は君も一緒にとろう」
カイルは珍しくそそくさと立ち上がり、彼女を迎え入れる。
「一通り教練の進捗も見たいらしいから、この後、礼拝堂にいこう」
そう言うと、彼は自然な仕草でリシェリアの手を取り、自らの腕に添えさせた。
礼拝堂までの道のり。
カイルは肩を寄せすぎることもなく、それでいて確かな結びつきを感じさせる距離感で歩いた。宣言通り、警邏の兵士の敬礼にも、回廊を行き交う侍女の目にも、臆することはない。
むしろ淡々と、講義の延長のようにリシェリアと言葉を交わす。
リシェリアが問いを投げ、カイルが教える。彼が示した思考に彼女が考え込み、やがて何かを閃いたように伝える。そのやりとりに、カイルの表情は柔らかく綻んでいた。
外での振る舞いは逸脱してはいなかった。
教師と、信頼しきった生徒。そういう穏やかな空気だった。
ただ――並んで歩くその姿は、絵画のように美しい。
リシェリアが稀有な色彩の愛らしい美少女なのは言うまでもない。庭での姿とは違い、清楚で端正に聖女の役を完璧に纏っている。
そして――見慣れすぎていてわざわざ言及する事も殆どないが、横に並ぶカイルの顔の造作は、見劣りするどころか上回っている。
かつてシルヴィナス一の美姫と謳われ国内外から求婚の申し出があったという彼の母。地方の小さな一領主に惚れ抜いて嫁ぎ、当時の社交界が消沈したと父が話したのをよく覚えている。造作の完成度だけでいえば、その母の形質をカイルは確かに受け継いでいた。
それでも以前は、誰も寄せ付けない気配で、視線を向けることすら憚られる存在だった。……それが少し柔らかく微笑むだけでこんなにも印象が違う。
そんな二人が並んで歩いているのだから。
また一人、通りすがりの侍女が思わず立ち止まり、リシェリアとカイルの姿に目を奪われているのが見えた。
サフィアが言っていた通りの光景が、今まさに目の前にある。
逸脱しているわけじゃないのに。
――こちらは歩いているだけで、勝手に噂が歩き出すのは止められない。




