黒への一票
交代式のための祭祀官だけの打ち合わせは、控えの間に長机を並べ、幾人もの書記が帳簿を広げていた。
聖女の交代式――それは公的には「降誕祭」と呼ばれる。
伝承によれば、ある日この地に聖女が現れ、その姿に導かれるように人々は手を携え、王を戴き、大樹を芽生えさせたのだという。建国王が聖女と共にその歩みを始めた日。
それを国は「降誕の日」とし、以後の歴史をそこから数えた。
降誕の日から十四日後、建国王が大樹を芽生えさせたその日を「建国記念日」とした。
すなわち、降誕祭から建国記念日までの十四日間が「降誕節」と定められている。
国の休日であり、一年の始まりであり、また一年の締めくくりでもある。
祝祭の明るさと、古いものを手放し新しいものを迎える厳粛さとが入り混じる、特別な時間だ。
交代式がこの時期に組まれるのは偶然ではない。
聖女の交代は国の再生と結びつけられ、儀礼は単なる祭祀を超えて国そのものの区切りを示す。
だからこそ、祭祀庁も政庁も、あるいは市井の人々すら、この二週間を心に刻むのだ。
儀式的な意味はほとんどなくとも、国事としては一大事である以上、段取りも、衣装の色合いも、警護の人員まで細やかに決めねばならない。
普段の祭祀以上に、こうした「政治的催事」は気詰まりで、重苦しい。市民に見せる顔として完璧さを求められるのがわかっているだけに、わずかな手落ちも許されない。
視線を巡らせると、アデライナが鋭く記録を取りまとめており、その傍らに上席の年配祭祀官たちが並ぶ。
その列の先に、浅い金髪をかき上げながら朗らかに笑っている姿が見えた。コンラートだ。
先日、彼の勧めで訪ねた料理店の記憶がふと甦る。あの時、リシェリアが嬉しそうに微笑んでくれた顔。胸の奥が静かに温かくなる。
会議が始まる前に、と足を向ける。
「コンラート。先日は紹介ありがとうございます。聖女もお喜びでした」
自分としては珍しく、柔らかな声色を選んだ。
「ああ!アーレンス、それは良かった」
陽気な笑みが返る。彼の豪快さは、場を一瞬で明るくしてしまう。
「やはり聖女になる女性は、ああいうのは好きだと思ったんだよな。ユーディも常連なんだ」
あっけらかんとした言葉に、こちらの肩の力が抜ける。
普段なら気性が合わぬと感じて、近づきもしない同僚だ。だが、彼は以前の代の聖女を妻に迎えた稀有な男でもある。
その事実だけで、他の祭祀官たちが持たぬ重みを背負っている。
――もし彼に師事すれば。
聖女の心を掴む術を、ほんの少しでも学べるのだろうか。
リシェリアの瞳に、あの夜見せたような輝きを、もっと長く留めておけるのだろうか。
己の考えに苦笑を覚えながらも、真剣に検討しても良いのかもしれないと、一瞬思ってしまった。
「ユーディは特に浄化が得意で。よく官服を汚していたところを……」
コンラートの声は大きく、朗らかで、周囲の雑音を簡単にかき消してしまう。
彼の語る逸話は勢いがあり、場を持たせる力もあるのだろう。だが俺にとっては、まるで延々と続く狩猟の号令のように耳を圧迫するだけだった。
やはり苦手だ。
快活であるのは美徳だと理解している。だが話が長い。次から次へと脱線し、気づけば「妻とのなれそめ」という私的な話題にまで飛んでいる。
心底うんざりする。しかも、その妻が過去の聖女だというのだから、周囲も笑いながら相槌を打ち、彼の言葉を止める者はいない。
――性格が違いすぎて、参考になる気がしない。
リシェリアがこんな豪放磊落な男に恋に落ちる姿など想像できなかった。むしろ彼女は、そうした騒がしさから最も遠い場所に身を置く存在だ。
それでも、彼は身分も職分もわずかに上席。
俺が冷徹に話を切ってしまえば角が立つ。場を収めるためには、ある程度の忍耐が必要だった。
そんな時、隣から柔らかな声が差し込む。
「カイル様、この後で部屋に届けさせますが、調査結果も大体まとめました。叙任後すぐに動いていただけるかと思います。こちらは簡単な地域の目録です」
アデライナが自然に割り込んできた。手には走り書きの紙片。
彼女の所作は実に的確で、会話の隙間を滑り込むようにして俺の前へ差し出す。
特に急ぎで目を通す必要はないだろう。だが、これは実務と同時に合図でもある。――そろそろ席に戻れ、会議が始まる、と。
アデライナのほうが本当にやりやすい。
淡々としながらも、場を整え、余計な疲労を減らしてくれる。
「……ああ、ありがとう。コンラート、失礼します。またぜひお話をお聞かせください」
形式ばった言葉で区切りをつけ、軽く会釈して席へ下がる。
背を向けて一歩離れるだけで、胸の奥にわずかな解放感が広がった。
低く声を落として呟く。
「……助かった。感謝する」
「いいえ。普段エリシアナもご迷惑をおかけしていますから。さあ始めましょう」
アデライナの応答は落ち着いていて、彼女の目元にはわずかな笑みすら浮かんでいた。
こうして会議は、ようやく本題へと進んでいくのだった。
隣国の大使が来ると聞かされた時点で、場の空気は重くなった。
王妃の叔父が「南の貴賓用の宮殿に」とわざわざ強硬に言ってきている。宰相は宰相で「孫を花冠役に」とねじ込んでくる。
――この国の一大行事を、自らの家の見栄や私欲に引き寄せようとする輩ばかりだ。
結局、それら横暴な要望を受け、他の貴族との兼ね合いを壊さぬように次第を整えるのが我々の務めになる。手配の実働は王国軍だとしても、決定事項を祭祀の側で認め、調整しなければ話が進まない。
この日もまた、通達された要望を皆で見聞しながら、頭を抱えるしかなかった。
さらに、王妃が「大樹の新たに芽吹いた蕾の白」を基調とした装いをするから、聖女の衣や宝飾品をそれを邪魔せず引き立てるように調整しろとの無茶が伝えられる。
もともと聖女の衣の下地は清廉を示す白だ。変えようがない。
内心、祭祀の意義を軽んじられている気がして、怒りが込み上げた。
「このタイミングで一から仕立て直すのは到底無理な話だ」
声に出すと、場がざわめく。だが誰も異論は唱えない。ここは王や政の愚痴ですら堂々と漏れる場所だ。皆、同じく迷惑に付き合わされているのだ。
するとアデラが頭を抱えながらも、口を開いた。
「…幸い冬ですし、上物や装飾品で対応いたしましょう。また同じ色の繋がりを用いることで、政に祭祀は恭順を示しているとお伝えすれば…面目は保てるかと」
柔軟な言い逃れに、思わず感嘆を覚える。婦人の視点はやはり強い。女社会の中で、色彩がどれだけの意味を持つかを知っているからだろう。
同意の声が次々と上がり、会場は安堵の空気に包まれた。
「なるほど、そうしよう。先方への回答書面は、誰もが読む気を失うほど言い分を言い連ねておく」
そう告げると、アデラが苦笑いで返す。
「それは頼りになりますね」
続けて、彼女は冷静に提案を差し込んだ。
「代目交代の意識的にも、エリシアナ様とリシェリア様には彩る色を変えましょう。差し支えなければ、エリシアナ様には瞳に合わせた緑を。ですが……リシェリア様は、どうされます?」
困惑が胸を締めつける。
リシェリアといえば白。誰もが抱く印象はそこに尽きる。だが今、それは禁じ手だ。
会場はざわめき立った。
「青?冷たすぎる」
「白しか考えられない」
「銀?費用がかかりすぎる」
「黄色では軽い」
「曇天の灰色では冴えない」
意見が錯綜する中、不意にひとつの声が落ちた。
「赤か黒か」
ざわめきの只中で、なぜかその言葉だけが澄んで聞こえた。
一瞬、場の音が止んだ気がした。
「赤と黒……?そんな禍々しい組み合わせに?」
思わず聞き返してしまった。
誰だ、そんなことを言ったのは。
「黒はともかく、リシェリアには赤は合わないだろう」
しかし返事はなく、皆が視線をそらす。
その時、おずおずと声をあげる者があった。
「わ、私も黒がいいと思います。…荘厳ですし、銀糸を少しだけ添えれば、披露目の時の神秘的な雰囲気が出ます」
知らない顔だった。下級祭祀官の若い女性で、隣に控えるアデラの侍女と目配せをしている。
「リシェリア様には黒がお似合いだと思うのです」
場の空気がわずかに変わる。姦しい声の中、その意見には妙な説得力があった。
――黒。
確かに、悪くはない。荘厳で、彼女の持つ静かな強さを際立たせるかもしれない。
「確かに。一考させてもらう」
そう告げると、アデライナが彼女たちを見て、眉を顰めていた。




