赤への一票
「わぁ、マティアス。ありがとう存じます。エリシアナ様にも感謝を。そうですね……」
リシェが屈んで資材を選びながら頭を下げる。俺の位置からは、柔らかくまとめられた髪のつむじが見えて、ふっと鼻先をかすめる匂いに心臓が跳ねた。
ほんの少しの土の匂いと、彼女自身の瑞々しい香りが混じる。――目の前の枝や肥料のことよりも、そっちの方が気にかかってしまう。
「こちらは、いいですね。こっちは……合わないかも。新しいお庭はお花咲かせない予定ですから」
「「「えっ」」」
俺とカイルとマティアス、三人の声が重なった。
リシェは気圧されたように慌てて顔を上げ、両手を胸の前で揺らす。
「えぇ、えぇと。確かに、絶対咲かせないわけではありません。まず薬草園を拡張して……」
言葉を選びながら説明を続ける姿は、どこか気まずそうで、それでも真剣だった。
「葉をとる薬草をメインにしますから、茂らせますけど花を咲かせる前に摘むことになります。種を取るためのものだけ咲かせて、分けて育てます。……医療資材は干して備蓄できますし、薬膳といって食事にも使えるそうなの。食堂に下ろしたくて」
その時、ほんのりと頬を染めていた。なぜだろう、理由もなく胸に沁みる。
「成程、失礼いたしました。歴代の聖女様の記録をを見ても、信徒に売りやすい華やかな花を育てられるのが通例でしたから、意外に思いまして……」
マティアスが驚きを含んで言う。まったく予想外だったのだろう。
「花の方がリシェリアには似合うと思うけれど。一緒に行った店でのことを気に入ってくれたのなら……良かった」
カイルも同じく驚きつつ、どこか納得しているようだった。少し嬉しげな声音。
……一緒に行った?店?
……俺はその言葉の意味を脳が理解しないように流した。
「……リシェリア様らしいかと」
それ以上は口には出さなかった。
色気より食い気。――お前らしいよ、と。視線にだけその思いを込めると、リシェがこちらを見た。
青い瞳がまっすぐ射抜く。俺の言葉に苦笑いすらくれなかった。
声はいつも通りなのに、どこか芯を隠すように。
「だから、こちらはご遠慮しましょう。セラン、お返ししてきてね」
肥料を渡すとき、手が自然に触れた。わざとではない。けれど、そこにこぼれる小声は砕けていて優しかった。
「行ったり来たりでごめん、お願いね。また後で」
「承知しました」
その瞬間、リシェがカイルやマティアスに振り返る。頬の筋肉がわずかに震えて、貼り付けるような笑顔を作るのが俺には見えた。
「お待たせしました。カイル、それではご案内しますね。……どの種類に致しましょう。お茶用? お香用? 甘葉という砂糖のような薬草がありますよ」
――なるほど。カイルに頼まれて連れてきたのか。
リシェは彼の横に寄り添うように歩み去る。
カイルは以前の俺のように勝ち誇ったりはしなかった。ただ、リシェだけを見つめて、一緒に消えていった。
残された俺は、マティアスの庭に彼と戻る。
重いものを胸に抱えながら。
リシェの笑顔は、俺だけのものじゃない。
いや――笑顔なんて仮面であり、壁だ。特に笑う必要がない時に浮かべる笑顔は、嘘に近い。
リシェは俺にはそれを向けなかった。俺には偽物の感情をわざわざ見せる必要がない。疲れや負の感情を、隠すことなく晒してくれる。だからこそ笑わなかったのだ。
……後で二人きりになったら、疲れているなら甘やかしてやろう。干し果物でも渡して、少し休ませてやろう。
それでいいじゃないか。そう思うことにした。
「セランさん、ついでに少しこちらの小屋で休憩でもいかがでしょうか。御用があれば声がかかるでしょう」
マティアスがそう言ってくれた。
ああ――やっぱり、わかってるんだろうな。
俺がリシェとどんなふうに付き合っているのか、くだけた関係であることも、隠し立てなんかしていない俺の想いも。
貴人たちに混ざって居心地悪くするより、ここで落ち着いていた方がいいと配慮してくれたのだろう。
マティアス自身がエリシアナをどう想っているかまでは知らない。だが彼もまた主に忠誠を誓っている。
その意味では俺と同じ立場、同輩だ。愛という言葉を使わずとも、仕えると決めた者に心を捧げる点では。
「ああ、助かる。そういえば、さっき……」
どうせならと思い、剪定を迷っていた枝や草木のことを相談する。草木は生き物だ。判断を誤れば根を痛めることもある。知識や経験は多いに越したことはない。
そうして二人で言葉を交わしていたら、時間は思った以上に過ぎていたらしい。
「ねーえ。もう、どうして戻ってこないの……」
声がして振り返れば、入口からリシェがのぞいていた。
頬をぷくりと膨らませている。――そう、これこそが自然な顔だ。誰に取り繕うでもない、素の表情。思わず胸が温かくなる。
「リシェリア様。お疲れ様でございました、セランさんとちょっと休憩しています」
マティアスがきちんと応じる。けれどこの三人の場では、リシェも無理に形式張ることはしない。マティアスにも「私は元平民だから気を遣わなくていい」と伝えてある。エリシアナがいるときだけ、言葉をお嬢様ぶって繕うのだ。
「ごめんなさいマティアス。資材も色々ありがとう。セランはもらっていくね」
そう言って、リシェが俺のところへ歩み寄ってきた。地べたに座っていた俺を立たせようと、両手を差し伸べてくる。
埃だらけの手を握っていいのか、一瞬ためらった。だがその迷いより早く、リシェが勝手に俺の手を掴んで引き上げた。
「はいはい、わかったわかった。……じゃあ、また明日な、マティアス」
心の奥では嬉しくてたまらないのに、顔には出さず、なんとか平静を装う。
リシェはその勢いのまま跳ねるように俺の腕にしがみついてきた。思わず周囲を見回し、誰かに見られはしないかと慌てて引きはがす。けれど、その無邪気な仕草にさっきまでの焦燥は薄れ、胸のもやもやもだいぶ収まっていった。ようやく気持ちが、いつもの調子に戻っていく。
「はい、またお会いしましょう。セランさん。……俺は、断然、赤派です。応援していますからね」
別れ際、マティアスが妙な言葉を添えた。
「……? よくわからないが、ありがとう」
赤派? 赤葉? 何か草木のことかと思ったが、深く追及はしなかった。あとでリシェに聞けばいいだろう、と胸の奥でひとりごちた。




