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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
6章 赤か黒か
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赤への一票

「わぁ、マティアス。ありがとう存じます。エリシアナ様にも感謝を。そうですね……」


リシェが屈んで資材を選びながら頭を下げる。俺の位置からは、柔らかくまとめられた髪のつむじが見えて、ふっと鼻先をかすめる匂いに心臓が跳ねた。

ほんの少しの土の匂いと、彼女自身の瑞々しい香りが混じる。――目の前の枝や肥料のことよりも、そっちの方が気にかかってしまう。


「こちらは、いいですね。こっちは……合わないかも。新しいお庭はお花咲かせない予定ですから」


「「「えっ」」」


俺とカイルとマティアス、三人の声が重なった。


リシェは気圧されたように慌てて顔を上げ、両手を胸の前で揺らす。


「えぇ、えぇと。確かに、絶対咲かせないわけではありません。まず薬草園を拡張して……」


言葉を選びながら説明を続ける姿は、どこか気まずそうで、それでも真剣だった。


「葉をとる薬草をメインにしますから、茂らせますけど花を咲かせる前に摘むことになります。種を取るためのものだけ咲かせて、分けて育てます。……医療資材は干して備蓄できますし、薬膳といって食事にも使えるそうなの。食堂に下ろしたくて」


その時、ほんのりと頬を染めていた。なぜだろう、理由もなく胸に沁みる。


「成程、失礼いたしました。歴代の聖女様の記録をを見ても、信徒に売りやすい華やかな花を育てられるのが通例でしたから、意外に思いまして……」


マティアスが驚きを含んで言う。まったく予想外だったのだろう。


「花の方がリシェリアには似合うと思うけれど。一緒に行った店でのことを気に入ってくれたのなら……良かった」


カイルも同じく驚きつつ、どこか納得しているようだった。少し嬉しげな声音。


……一緒に行った?店?


……俺はその言葉の意味を脳が理解しないように流した。


「……リシェリア様らしいかと」


それ以上は口には出さなかった。


色気より食い気。――お前らしいよ、と。視線にだけその思いを込めると、リシェがこちらを見た。

青い瞳がまっすぐ射抜く。俺の言葉に苦笑いすらくれなかった。

声はいつも通りなのに、どこか芯を隠すように。


「だから、こちらはご遠慮しましょう。セラン、お返ししてきてね」


肥料を渡すとき、手が自然に触れた。わざとではない。けれど、そこにこぼれる小声は砕けていて優しかった。


「行ったり来たりでごめん、お願いね。また後で」


「承知しました」


その瞬間、リシェがカイルやマティアスに振り返る。頬の筋肉がわずかに震えて、貼り付けるような笑顔を作るのが俺には見えた。


「お待たせしました。カイル、それではご案内しますね。……どの種類に致しましょう。お茶用? お香用? 甘葉という砂糖のような薬草がありますよ」


――なるほど。カイルに頼まれて連れてきたのか。

リシェは彼の横に寄り添うように歩み去る。

カイルは以前の俺のように勝ち誇ったりはしなかった。ただ、リシェだけを見つめて、一緒に消えていった。


残された俺は、マティアスの庭に彼と戻る。

重いものを胸に抱えながら。


リシェの笑顔は、俺だけのものじゃない。

いや――笑顔なんて仮面であり、壁だ。特に笑う必要がない時に浮かべる笑顔は、嘘に近い。


リシェは俺にはそれを向けなかった。俺には偽物の感情をわざわざ見せる必要がない。疲れや負の感情を、隠すことなく晒してくれる。だからこそ笑わなかったのだ。


……後で二人きりになったら、疲れているなら甘やかしてやろう。干し果物でも渡して、少し休ませてやろう。


それでいいじゃないか。そう思うことにした。


「セランさん、ついでに少しこちらの小屋で休憩でもいかがでしょうか。御用があれば声がかかるでしょう」


マティアスがそう言ってくれた。

ああ――やっぱり、わかってるんだろうな。

俺がリシェとどんなふうに付き合っているのか、くだけた関係であることも、隠し立てなんかしていない俺の想いも。

貴人たちに混ざって居心地悪くするより、ここで落ち着いていた方がいいと配慮してくれたのだろう。


マティアス自身がエリシアナをどう想っているかまでは知らない。だが彼もまた主に忠誠を誓っている。

その意味では俺と同じ立場、同輩だ。愛という言葉を使わずとも、仕えると決めた者に心を捧げる点では。


「ああ、助かる。そういえば、さっき……」

どうせならと思い、剪定を迷っていた枝や草木のことを相談する。草木は生き物だ。判断を誤れば根を痛めることもある。知識や経験は多いに越したことはない。

そうして二人で言葉を交わしていたら、時間は思った以上に過ぎていたらしい。


「ねーえ。もう、どうして戻ってこないの……」


声がして振り返れば、入口からリシェがのぞいていた。

頬をぷくりと膨らませている。――そう、これこそが自然な顔だ。誰に取り繕うでもない、素の表情。思わず胸が温かくなる。


「リシェリア様。お疲れ様でございました、セランさんとちょっと休憩しています」

マティアスがきちんと応じる。けれどこの三人の場では、リシェも無理に形式張ることはしない。マティアスにも「私は元平民だから気を遣わなくていい」と伝えてある。エリシアナがいるときだけ、言葉をお嬢様ぶって繕うのだ。


「ごめんなさいマティアス。資材も色々ありがとう。セランはもらっていくね」


そう言って、リシェが俺のところへ歩み寄ってきた。地べたに座っていた俺を立たせようと、両手を差し伸べてくる。

埃だらけの手を握っていいのか、一瞬ためらった。だがその迷いより早く、リシェが勝手に俺の手を掴んで引き上げた。


「はいはい、わかったわかった。……じゃあ、また明日な、マティアス」


心の奥では嬉しくてたまらないのに、顔には出さず、なんとか平静を装う。


リシェはその勢いのまま跳ねるように俺の腕にしがみついてきた。思わず周囲を見回し、誰かに見られはしないかと慌てて引きはがす。けれど、その無邪気な仕草にさっきまでの焦燥は薄れ、胸のもやもやもだいぶ収まっていった。ようやく気持ちが、いつもの調子に戻っていく。


「はい、またお会いしましょう。セランさん。……俺は、断然、赤派です。応援していますからね」


別れ際、マティアスが妙な言葉を添えた。


「……? よくわからないが、ありがとう」


赤派? 赤葉? 何か草木のことかと思ったが、深く追及はしなかった。あとでリシェに聞けばいいだろう、と胸の奥でひとりごちた。

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