秋の夕暮れ、荒らされる縄張り
昨日はリシェが外出していて、夕方の庭の世話には来なかった。
たった一日ぶりだというのに、庭に彼女がいないと落ち着かない。昨日見かけた調子の悪い枝のことも気になっていた。剪定すべきかどうか、相談したかったのだ。
「セランさん。こちらの資材、来期使いますか? 使うならお渡ししておきますが」
隣の区画から声をかけてきたのはマティアス。エリシアナに仕えている庭師だ。物静かで控えめだが、悪い奴じゃない。庭師としても経験豊富で、俺にとっては結構頼りになる存在だった。
「ああ、助かる。後でリシェに聞いてからもらいに行く」
そう答えて、つい話に身を乗り出す。庭の資材や肥料のことはリシェの好みもあるから、勝手に決めるわけにはいかない。彼女に確認してから――そう思って口にした。
その時だった。
庭に、リシェの気配が差し込んできた。
胸の奥が、ひとつ大きく跳ねる。
……だが、同時にもうひとつの気配もあった。
カイルだ。
リシェと一緒に、こちらへ近づいてくる。
けれど二人はまだ俺たちには気づいていない。マティアスの庭は段差があって、こちらからはよく見えるが、向こうからは死角になっている。
その一瞬の距離感に、胸がざわついた。
リシェが少し前を歩き、カイルは半歩下がって後ろを進んでいた。
その姿を、隠れるようにして俺は見てしまった。
カイルが左右に視線を巡らす。
……きっと、俺がいないことを確かめたんだ。
これ以上は見るべきじゃない。
わかっているのに、目が離せなかった。
リシェを呼び止め、二言三言。草木が遮って唇は読めない。声も届かない。けれど、リシェの表情は見えてしまう。
――笑った。
やめろ。笑うな。
その笑みを向けるのは、俺だけでいい。
リシェの手が自分の頬へと上がる。その手を、カイルが取った。
どう取り繕っても、ただのエスコートではない。あれは違う。
カイル。お前は外でやれるだろう。
なのに、ここで――。
ここだけは俺とリシェの庭なのに。
なのに、ここでさえ俺だけのリシェじゃない。
胸の奥に冷たいものが走り、視線を逸らした。
出て行きたくなかった。出てしまえば、高貴な奴らに跪くしかない。俺は兵士、あいつらは貴人。差は絶対だ。
「あ、リシェリア様がお戻りですよ」
マティアスが声をあげた。俺の内心など知るはずもないが、気を利かせようとしてくれたのが伝わる。
「……私がお声かけしてきますから、少し後からおいでください」
――いいやつだ。本当に。俺の萎縮を察して、時間をくれようとしてくれる。
「大樹の木陰佳き日でした。リシェリア様、カイル様」
マティアスの声に、二人の返答が重なる。
「あ、ああ」
「こんばんは、マティアス。セランを知っています?」
リシェが俺を探す。……呼ぶな。呼ぶなよ。出なければならなくなる。
「はい、いま相談があってこちらに。すぐ参られます」
マティアスが続ける。おかげで覚悟と呼吸を整える時間はもらえた。行くしかない。
資材を小脇に抱え、死角から姿を現す。
まるで今、二人の存在に気がついたふりをして。
二人はもう手を繋いでいなかった。マティアスの前ではさすがに日和ったんだろう。……ふん。
「……荷物がありまして目礼で失礼いたします。こんばんは、カイル様。リシェリア様」
慇懃に頭を下げ、二人の視界から外れるように壁際に立った。
「ああ」
カイルは素っ気なく答えた。――いてほしくなかったのだろう。
「セラン。お疲れ様。それは?」
「こちらはエリシアナ様のお庭の資材です。今後不要となるようで、必要であれば我が庭に下賜くださるとのことです」
言葉が自然に出てきた。前よりも敬語がすらすらと出る。けれど、口にするたびにリシェとの距離を突きつけられるようで、苦い。
「まずはリシェリア様のご意向を確認したくお持ちした次第です」
肥料、殺菌のための溶剤――土を整える資材を足元に並べる。
二人を見ない。顔を上げたくなかった。
俺はただ、視線を落とし、資材だけを見つめ続けた。




