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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
6章 赤か黒か
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公女からの眺め

市井にそんな流行が回るほんの少し前のこと。アスティは、リシェリアのために割り当てられた祭祀庁の上階、双塔の東の塔の一室にいた。


「御披露目からもう一月か……。ようやく私への問い合わせも減ってきたところよ」


「お嬢様のご尽力が実を結びましたね」

 

磨かれた窓からは庭の緑と遠い街並みが見下ろせる。西の塔にはまだエリシアナの部屋があったが、来年には空室になる。そう考えると、巡る季節の早さに少しだけ息を呑む。

高い天井の梁にかかる装飾布が、ほんのわずかな風で揺れるたびに、空気の静けさがいっそう際立つ。私は卓上に置かれた茶器を前にして、サフィアと会話しながら部屋の主であるリシェリアを待っていた。


今日は着任の挨拶という名目であるけれど、本当は様子伺いだ。


リシェリアが正式に聖女として宮廷や各部から承認されたとき、私はようやく肩の荷を下ろすことができた。彼女の成果は、文句のつけようがないほど充分であった。

……あの入城前、大祭祀官やグラントに向かって啖呵を切ったときの自分を思い返す。内心は鼓動が耳の奥で鳴り響くほどだったのに、気丈に振る舞った。だが結果的に異議は一旦収まり、彼女は聖女として確立された。


その確定とともに、私もまた近衛副隊長から副総長の一人へと昇格した。総長の補佐を主務とする立場。母は私が家の存亡をかけていたことを知らず、ただ軍部や祭祀に顔が利くようになったと上機嫌だった。業務は複雑になったが、リシェリアを気にかける機会が増えたのは悪くなかった。

総長であるグラントとも、士官時代からの付き合いがある。彼にとって私は信頼できる補佐であり、リシェリアに近い後見人でもあるのだろう。


もっとも、それは逆に言えば――彼自身が彼女にあまり深入りしたくない、という気持ちの裏返しにも見えた。書面や風聞で流れる悪評が、彼を遠ざけているのかもしれない。だが、実際に近くで触れてみれば、彼女は力を除けば柔らかく小さな存在でしかない。あれほどまでに警戒を招く理由が、私には今ひとつ理解できなかった。


「結局、かなり最後まで公爵閣下の承認が降りなかったとか。かの方にしては珍しくご決断が鈍かったようですね」


「まあ……ダリオはともかく。カイルの変貌も見てしまえば、警戒していたのも無理はないと思えるわね」

 

つい口をついた言葉に、茶を淹れていたサフィアが黙ってうなずいた。


カイル――かつて私が「一目惚れをするな」と軽口で釘を刺した相手は、今では牙城を完全に失っている。リシェリアに向ける目は誰が見ても明らかで、私の前でだけ気まずそうに冷静さを取り戻すが、長くは保てない。まるで顔の筋肉を忘れた人形のようにぎこちない姿になる。


以前、グラントと並んで館内を歩いた折、彼が廊下の向こうにカイルを見つけて二度見した光景を思い出す。旧知の顔を信じられないように眉を寄せていた。確かにあの変貌ぶりを見せられては、いまだに魔性を疑うのも無理はない。


「最近のカイル様は、大分お変わりになられたようですね」

サフィアの言葉には、侍女たちの情報網から得られた確信めいた響きがあった。


ただ外から見る限りは、視線が甘いとか、エスコートが長いとか、そういう範囲でしかない。風紀を乱すと糾弾されるような露骨なものではない。けれど、水面下ではどうだろう。もっとあからさまに触れ、篭絡を図っているのかもしれない。もしそうなら、任期の終わりには婚約の形にまで持ち込むのだろう。だがそれも個人の自由、見えぬ範囲で起こることに目くじらを立てる気はなかった。


「変わりすぎよね……。気色悪いったらないわ。まあ、何か問題があれば必ず報告して」

私はサフィアに念を押す。


「そういえば。カイル様から、晩餐をご一緒にとられたいと日程の打診がございました。市街に出られるとか」

サフィアが報告する。


「そ、そのくらいならいいわ。ただし閉門までには必ず戻るように。――“私から”と強めに伝えて」

 

思わず語尾が強くなる。想像以上に手が早い。腑抜けているように見せながら、抜け目なく動くのを忘れてはいけない。叙任が完全に終わるまでは、無用な憶測を招くことは避けなければならない。


それよりも、私が心配なのはセランのほうだった。兵の規律で縛ってはいるが、かつての密な付き合いよりも制限が増えた。忍耐力がいつ爆ぜるのか。

リシェリアは彼の意見を何よりも重んじる。もし彼の機嫌を損ねれば、城の枠には収まらない。彼が「出る」と言えば、リシェリアも迷わずついていくはずだ。だからこそ待遇には細心の注意を払い、支度金には私の色をつけた。


だが実際の二人は、私たちが警戒するよりずっと幼く、純粋だった。金は返すと言い張り、要らないと突き返し、逆に貯金や仕送りを考えている。セランが望むのはただ、リシェリアにもっと休みと普通の時間を与えること。それだけだ。


「セランやリシェリアは、もっと欲を持ってくれたらいいのに……」

人心を縛るにも、その方がずっと扱いやすい。そう思う自分が打算的で、少しだけ汚らわしく感じられた。


「そうなんですよね。お庭くらいしかお使いになりませんし」

サフィアも同じ思いを抱えているらしい。彼女は近いうちに、友人となったエリシアナや侍女たちが夢中になっている小説を揃えて、リシェリアに娯楽を教えるつもりだと語った。


私は茶碗を指先で転がしながら、窓の外に広がる光を見やった。双塔を抜ける風が白いカーテンを揺らし、その向こうに小さな人影が現れるのを待ち続けていた。

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