喧騒の後、取り戻した関係
叙任が決まって、支度金が下りた。俺にもリシェにも。それなりの額だった。
俺はもう兵士として給金をもらっていたし、兵舎暮らしで金がかかるわけじゃない。
生活に困ることはなかった。たまに酒を呑みに行っても余るくらいだ。
だから最初は、アスティに返そうかと思った。あの人に世話になった分を、金で少しでも埋められるかと。だが笑って受け取られもしなかった。「そんなつまらない真似はよせ」と一笑にふされた。
結局、俺はその金を手元に残したくなかったのもある。
リシェを国に売った報酬みたいに思えたから。
あのとき――サリーナにリシェを売り渡すのを許した一瞬だけ、金が流れ込み、村が裕福になった錯覚を味わったのが気持ち悪かった。裏で、俺たちの家の中だけは冷たい鉛を詰め込まれたみたいに重かった。
今回も同じだ。心地悪い。
「使わねえからリシェが貰っててくれ」
そう言って、リシェに押し付けようとした。
「え、私もセランに渡しておこうと思ってたのに」
リシェも驚いた顔をして、笑った。
同じようにアスティに返そうとして笑われたらしい。
――それを知ったとき。お互いの目が丸くなった。
「セランも同じなの? あはは」
そう言ってリシェが声を立てて笑う。俺も一緒になって笑った。二人だけの秘密を分け合ったみたいで、気持ちが軽くなった。
それから真面目に話し合った。
一つは、リシェが「俺の両親に仕送りしたい」と言ってくれたから。ありがたく、その言葉を受け取った。俺が一人で考えていたことを、思ってくれていた。だから、いくらかは実家に送ることにした。物でもいい。冬を越す毛皮や菓子、手紙と一緒に届けよう。再会できるときに恥ずかしくないように。
残りは貯金することにした。
聖女の任期が終われば、国はリシェを養ってくれない。祭祀庁で職に就けるか、シルヴィナスで仕事があるか。もっと外に出ていくかはまだわからない。
だがどちらにせよ、備えておいた方がいい。未来のために。そうとおもえば金は急に大事に思えた。
だが、もっと大事なのは――。
リシェの中に、俺と一緒にいる未来があること。
その願いが、冷たい金貨よりもずっと暖かく俺の胸を満たしていた。
***
その後の、披露の喧騒がようやく落ち着いた頃の、少しだけ穏やかなある秋の朝。
俺の半休と、リシェの休暇がたまたま重なった日。アスティに許しを得て開門と同時に待ち合わせて、リシェと初めて二人きりで市街へ出かけた。
リシェはもう銀の髪を晒して歩くことはできない。来季の聖女として知られたからだ。だから今朝は、帽子を深くかぶり、冬の光を映すような髪を隠していた。その下には付け毛を忍ばせて――赤い髪色。
「なんで、そんな色なのお前」
似合わなくはない。むしろ何を身につけても可愛いのはわかっている。だが、その瞳の色にもっと会う色は沢山あるのに。
「え、だって……トルニカの色だもん」
トルニカは確かに村人のほとんどが赤毛だ。
でも。あの村でさえ、リシェに優しくなかったのに。それでも今でも故郷みたいに思ってくれているのか。
胸が詰まった。
「……まあ、その方が二人で目立たないか」
そう言って流したけど、実際は心の奥で少し嬉しかった。俺の村の色を選んでくれることが。
王都の観光なんて、リシェはほとんどしていなかった。登城してからは、街を歩くどころじゃなかったからだ。だから今日は初めてのようなものだった。俺は兵士仲間と酒場に行ったり、街遊びを経験することもあったが、リシェにはそんな機会はなかった。
だからこそ、彼女が初めて見るものばかりにはしゃいで、仕送りの品探しにすぐ戻れないほど目を輝かせているのを、俺はただ楽しく見守って、それで内心すごく後悔した。
俺は馬鹿だ。もっと……アスティに頼んでおけばよかった。
ほんの少しでもいい。普通の時間を、普通の娘として過ごす休みを与えてやれと。
俺たちはずっと異常な時間に縛られてた。アスティに人間の生活をもらったけど、それでもリシェだけは檻の中のままって気が付いていなかった。
リシェには、普通の女の子らしいひとときを味わわせてやりたい。
それでも気を取り直して、俺たちは仕送りの品を探した。
毛織物屋では厚手の布地を触り、革細工の店では頑丈そうな手袋を眺め、毛皮屋の軒先では冬毛の光沢に見とれた。
「親父のなめしのほうが上手だよな」
俺が小声で囁けば、リシェも笑って頷く。二人で値札を覗いては、思わず目を見合わせた。こんな高値で売れるなら、村の仕事はもっと誇れただろうに。良い毛皮に触れると、俺たちはつい生きていた頃の獣の姿を想像して、うっとりしてしまった。
通りすがりの鍛冶屋で小刀を試し、冬用の織物や帽子、手袋などを次々に選んでいった。品物が増えていくほど、背中にじんわりとした満足感が広がる。
市場の人混みは絶えず波のように押し寄せる。はぐれぬように、俺はリシェの指をしっかりと繋いだ。細い指先が手の中に馴染む感覚は、彷徨ってた頃は何度繰り返して握っていたのに、今はなぜか新鮮だ。
この娘が誰にもリシェだと気づかれないよう祈りながら、少しだけ、肩を寄せた。
選んだものをすべて包んでもらうと、誰にも悟られぬように仕送り用の小金を荷の底に沈めた。そこに、昨日までに互いに書いていた手紙を加える。
文字を使うようになった俺たちは、一文字いくらの代筆屋に頼まずに手紙を出せるようになっていた。
だから今回初めてお互い内容を知らぬ手紙を親に出すことになった。
「セラン、それしか書かないの?」
これでもかなり考えて書いたのに。
リシェが俺の封筒を覗いて驚く。
リシェの事が乗ってる新聞やお触れの紙を数枚挟んで厚みを出したくらいだ。余白はたっぷりあったけど、どうしても長くはならなかった。手紙ってのはどうにも、狩よりよっぽど難しい。
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「みんなへ」
父さん、母さん、ソーマ、それにレクス。レノ。ドーラ。マシュ。
他に家族が増えてたら、返事に書いといてくれ。みんな変わりないか?
俺とリシェは元気だ。
リシェは聖女ってのになることになった。すっかりお姫様みたいだ。
すごいだろ?また手紙書く。
セラン
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「お前は何をそんなに書いてるんだよ」
問いかけると、リシェは得意げに胸を張った。
「たくさん書くことあるよ。どれだけ書いてもお金は一緒だもの!」
今まで書けなかったこと、伝えたかったこと、なんでもないことまで。思いのまま綴ったのだという。
親父たちの居場所に宛てて配送を頼み、ようやくひと息ついた。
冷たい飲み物を手に、広場の隅に腰を下ろす。頭上からは紅葉がひらひらと落ちてきて、足元に色づいた葉が積もっていく。
――ああ、こうしてリシェとずっと普通に過ごしたかった。村で。サリーナで。
これからは。頑張れば、きっと。
この日常を続けられるはずだと信じられた。




