御披露目の前、公女との夜
明日を聖女のお披露目とする前夜、私はリシェリアの部屋にいた。
祭祀庁の高塔の上、異性禁制の聖女専用私室だ。任期の間、国務を背負う巫女の安らぐ時間を支える為、最低限ながらも生活に必要なものが整えられた室内が広がっている。
シルヴィナスの聖女は、他国で聞く、誓願をたてて清貧に神のために生きる求道者などではない。
家からの調度品や私物の持ち込みも比較的自由だ。
だから、メイスン家が後援するリシェリアの部屋は、私にとって好みのものが並ぶ部屋でもある。
「うんうん。良い部屋になったわね」
登城の日に見たかった、どこに座らせてもリシェリアに相応しい背景が出来ていた。
「そりゃぁ。完全にお嬢様好みで設いたしましたからね」
私の生活と務めを長く支えてきた乳姉妹のサフィアが呆れたように、茶を供しながら私に言った。
「お客様を迎えるわけでもないのに、飾り棚やら寝椅子やら、散財なさって御当主様が何とおっしゃるか……」
「これくらい私財で賄っているわよ。それに私は来るんだから良いじゃない。リシェリアには特に希望がないっていうんだから」
私好み――可憐で緻密で繊細な美しい造形が好きだという嗜好だ。美しいものを見て、心が穏やかに癒されるだけなのだから、……平和な趣味のはずだ。
だから、リシェリアを私の理想的なお姫様として好きに着せ替えることは、本人が許してくれるんだから、後見人の私だけの特権で良いと思う。
「うん。アスティが嬉しくてもっと遊びに来てくれたら、私も嬉しい」
リシェリアが、私の意見に社交辞令だけでない表情で緩く微笑む。それを見てサフィアも仕方なさそうに笑う。
「さ、いただきましょう。明日も早いから」
そうして、私たちは目の前の銀器を取り上げる。
サフィアに私の分の食事も運ばせて、ささやかな私的な夕食会の時間をとったのだ。
重苦しい式典を前にして彼女を少しでも和ませたい、そんな思いから、盃にほんの少し酒を含ませてやる。
淡い香りが漂うだけで、緊張をほぐすには十分だ。
「すごく洗練されたよね。もう姫君みたい。ほんとに見違えた」
そう口にすると、リシェリアは頬をわずかに紅潮させて、はにかみながら礼を言った。
「そう。かな。ありがとう、アスティ」
「サフィアもありがとね」
ちらりと右を見やる。リシェリアにも柔らかな安心感を与えているのを知っているから。
――本当に見違えた。
初めて出会った時のリシェリアは、儚く輪郭すら曖昧な存在だった。
けれど今は違う。人の手が入り、衣食住が満ち足り、日々を重ねたことで細部までもが磨かれ、輝きを放っている。
何より、顔だ。表情がまるで違う。
かつては生きたくないとでも言いたげに沈んでいた瞳が、今は光を宿し、未来を見据えようとしている。
……正直、自信はなかった。
セランが必死に彼女を「生き延びさせて」いたことは理解していた。けれど、それと「生きたい」と思わせることはまるで別物だ。
その足りない部分を補ったのが「聖女」という役割だった。
人には、生きるために配役が必要。舞台の上に立つ理由を持たせてやらなければならない。
それを実現できたのは――衣食住を整え、社会の中に位置を与え、役目を授けた、この私の功績だ。
そう思うと、どうしても口元がにやけてしまう。
「うんうん、特に髪の艶が良くなって嬉しい。私、あなたの髪の色が好きなの。後で寝る前に梳かせてね」
杯を軽く傾けながら、わざとおどけたように言葉を続ける。
「明日はカイルじゃなくてグラントが……この間、面談をしたよね。彼がリシェリアのエスコートになる。いつも怖い顔してるかもしれないけど、あれで別に怒ってないから、心配しないでね。基本的には任せて手を添えていればいいの。何があってもすぐ後ろに私もいるわ。それで、そのずーっと後ろの方にはカイルとかセランも控えてるし。だから気楽にね」
そう告げると、リシェリアはにこにことうなずいて、まるで子供のように素直な笑顔を見せた。
あまりに愛らしくて、気づけば私は彼女の頭に手を伸ばして、そっと撫でてしまう。
「王様への回答も、祝福の祝詞も、暗記できたから大丈夫。……意味は分かってないことも多いけどね」
最後の方は少し不安げに口ごもったが、それでも全体には余裕が見えた。
皿に盛った桃をつまみ、嬉しそうに口に運ぶ仕草が、その証のようだった。
明日は人前で異能も披露する予定だというのに、気負いや緊張らしい影はほとんどない。
その落ち着きは、頼もしくもあり、……違和感もある。
「……あんまり、緊張してなさそうね?」
「ううん、してるけど。でも、祈りとか祝詞の言葉とか……ああいう文字列はちょっと言えなくても、そんな怖い事が起きるわけじゃないから」
さらりと投げ出された一言に、私は思わず盃を止めそうになった。
リシェリアは、社会から離れて生きてきてる。政治や身分社会では、言葉を間違えて無礼打ちという事象が、社会では往々にして起きるということを知らないのだ。もしくは起きても死にはしない、そんな場から逃げおおせた経験が多いのかもしれない。……万が一そんな事が起きれば、リシェリアは良くても後見人の立場の私が、収集しなければいけない。考えただけで胃が痛くなる。
かと言ってわざわざ水を差して明日の大舞台を今から気負わせても仕方がない。……聞かなかったことに、しておこう。
けれど、すぐに彼女は真剣な声色へと切り替えた。
「私にとって怖いことは、……恐ろしいことが起こる予兆を見逃すこと。それを放置してしまうこと。そして、それが引き起こす事態」
彼女は盃を置き、何か苦しいことを思い出すように続けた。
「でも、そういうことも、前よりもわかるようになってきたと思う。霊質の流れや淀み、草花や空の様子。月や星や空気。動物の様子も大切。ここに来て勉強できたこと、とても良かった」
確信めいて言うリシェリアの顔には、笑顔が広がった。
前よりも、憂う顔は減ってる。
「アスティ。私を聖女にしてくれてありがとう」
思いがけない感謝の言葉に、胸がじんわりと温まる。
この子がそう言ってくれるだけで、どれほどの苦労も報われる気がする。
……多少は不安だったけど、カイルに教育係をあてたのは正解だった。
人嫌いで、性格に難があるけれど。知識の探究心と真摯な姿勢は信頼に値するし、貴族教育の基盤も備えている。
こちらが言わずとも必要な事をしてくれる男だ。
……なにより、似たような境遇を持っている。
そういうところも含めて、波長が合うからカイルは担当官にも選ばれたのだと今では思えた。
彼の合理性が彼女を導き、形のない感覚に答えを与えてくれたのなら――私の目論見はひとまず成功しているといえる。




