赤と黒の初戦
「だからね、このくらい。肘くらいまでの高さで揃えたいの」
その日の勤行を終えたリシェリアが、夕刻の庭でしゃがみ込みながら草花の背丈を測っていた。
指先で軽く枝を抑え、柔らかい声で指示を飛ばす先には、赤毛を風に揺らすセランの姿がある。
裏庭への入り口に足を踏み入れた時、俺の目に映ったのはその光景だった。
西日が二人の横顔を朱に染めて、まるで絵画の一場面のように静かで温かい。
それを見た瞬間、胸の奥が小さくざわつく。
――気づけば、誘われるように足を止めていた。
彼らは気安い調子で言葉を交わし、互いに笑い合っていた。無防備で、親密で、疎外感を否応なく突きつけられる。俺の入る余地など、そこにはまるでないように思えた。
今日は、帰ろう。
喉にかかった声は出せず、ただ場違いな存在のように感じて踵を返す。その時、布擦れのわずかな音が静かな庭に滲んだ。
すぐに反応したのはセランだった。
いや――きっと偶然ではない。こいつは鼻が利く。音より先に、俺の気配をとっくに察していたのだろう。
気づいていながら、わざと見せていたのかもしれない。
「失礼致しました、祭祀官様」
立ち上がったセランは、すっと腕を揃えて正式な敬礼をした。その仕草は無駄がなく、兵士らしい礼法を心得たもの。以前の彼からは想像もしなかった、身分をわきまえた態度に俺は面食らった。
「カイル。こんばんは」
リシェリアも、こちらを見つけた。
小走りで立ち上がり、裾を軽やかに摘んで略式の礼をしてみせる。
「お庭でお会いするのは不思議な感覚ですね。ふふふ、ようこそ私のお庭へ」
淡く笑んで、今まさにしていた作業を嬉しそうに語ってくれた。その瞳が夕日を反射し、透き通るように輝く。
そして、思い出したように、傍らに立つセランを見上げた。
「あ。お会いするのは初めてでしょうか?こちら、私の……、……セランと申します」
一瞬、適切な語彙が出てこなかったのかのように言葉が途切れた。逡巡したその一拍が、俺には長く重く響いた。
「私の」という言葉の中に圧縮された関係に、胸の奥が鋭く刺された。
まるで、俺がわずかに怯んだのを見逃さないように――セランが一歩前に出て口を開いた。
「ご紹介に預かりました、『聖女リシェリアの』セランと申します。以後お見知りおきください。……どうかリシェリアをお引き立てくださいますようお願いいたします」
訂正も補足も許さない。そう告げるような強調があった。丁寧な口上の裏で、彼の眼差しは真っ直ぐに、あからさまな挑みを宿して俺を射抜いていた。
……出鼻をくじかれた。
胸の奥に返す言葉はあるはずなのに、口は乾き、声が出てこない。かろうじて、名乗りを絞り出す。
「……ああ。こちらはカイル・ラス・アーレンス。聖女リシェリアの担当祭祀官だ」
セランの視線に射抜かれたまま、息だけが重たく喉を通り抜けていった。空隙を埋めるように、今度はリシェリアがこちらに向き直った。
「セラン。こちらは指導にあたっていただいてるカイル様。お役目のことから日常の細やかなことまで大変お世話になってるの。だから」
その言葉は、温かい感謝であると同時に、俺の立場をはっきり示す紹介だった。
どこか慌ただしく――セランに釘を刺すような響きも含んで。
「アスティと同じに……失礼なことしないでね」
小さな笑みを浮かべつつも、言外に強い意志が混じっている。
俺を庇うような響き。けれど、同時に彼女の世界の中心にいるのは自分ではなく、隣の赤毛なのだという感覚が、苦く胸に広がった。
「わかっ……心得てます」
セランは、まだぎこちない敬語で、真面目に返す。
その声音には、俺に負けまいとする若さと、彼なりの誠実さが滲んでいた。
一瞬の間。風が庭を撫で、草の香りが冷たく混じる。
セランは礼をもう一度整えて、低く告げた。
「日が沈むまでやり終えないといけない作業がありますので、この辺で失礼します」
陽が落ちかけた庭に、彼の影がリシェリアの影を飲み込むように長く伸びていた。
せめて――上席としての威厳だけは崩すまいと、己を律した。呼吸を整える。
「ああ、もちろん構わない。……大樹のご加護を。リシェリアも。邪魔したね、また明日」
努めて鷹揚に、軽く頷きながら退出を許した。
声がわずかに震えなかったのは、習い覚えた祭祀官としての口調に助けられただけだ。
セランは深々と礼をとり、言葉を添えることなくそのまま背を向けた。残された気配は、敵意を飲み下した鉄のように重たかった。
「カイル、また明日お会いしましょう。失礼しますね」
リシェリアも静かに一礼し、彼の後を追う。
その細い背は、ためらいもなく赤毛の男を追いかけていく。次の瞬間にはもう、こちらを振り返ることもなく、セランへと歩み寄り――。
夕焼けの中で、何か言葉を交わし。無邪気に微笑みながら彼の頬へ手を伸ばした。
セランはそれを当然のように受け止め、白い手を掌に包み込む。
頬に寄せ、目を閉じてその温もりを味わう仕草。
親しさではなく、所有を確かめるような――俺にはそう見えた。
…そして、開いた瞼の奥。
セランの視線が、ほんの刹那だけこちらへ流れる。
眼球だけを横に滑らせる、不遜な一瞥。
リシェリアの手の下で、優越感に歪んでいるのがわかる。
その目は確かに、俺に勝ち誇るように嘲笑っている。




