凪の中心、奔る噂
カイルとリシェリアが回廊の先を曲がって見えなくなるまで見送りを完了して、私はようやく扉を閉じ、深い息をつくことができた。
聖女たちのお茶会は、途中いくつか冷や汗をかく場面もあったけれど、全体を振り返れば穏やかで和やかに流れ、滞りなく終えることができた。
初めて相対したリシェリアは、平民上がりと言われていなければ、到底気づかれないほどに所作も整っていた。指先や視線の動かし方はまだ硬いところもあったが、要所でカイルがさりげなく助け舟を出しており、それが自然に支えとなっていた。この分なら何の問題もなく任期の公務をこなせるだろう。
それにしても、カイル。
わざわざ「来なくても大丈夫」と手紙に添えたのに、まさか実際に姿を見せるとは思わなかった。普段の彼をよく知る私から見ても、今日のカイルはあまりに明け透けで、リシェリアへの甘さが全く隠せていなかった。
外からしか彼を知らなかったエリシアナや使用人たちにしてみれば、その様子はなおさら印象深く映っただろう。
ましてや――恋敵筆頭となるであろうセランについて、自ら話題を振るなんて。あの男の沈黙を知っている私からすれば、驚きより他にない。
「エリー。今日は……お疲れ様。偉かったわ」
茶会のあと、エリシアナに労いをかけた。彼女は最後まで真摯に応じ、決してカイルに寄りかかりすぎることもなかった。セランの話を掘り下げようともしなかった。それだけでも十分に立派だと思う。エリシアナにしては節度を守ったといえる。
……ただ、意外ではあった。
てっきりもっと、カイルに執拗に食いつくかと予想していたのだ。
けれど――あんなにも隣の女性に恋をしている顔を見せられては、そうもならなかったか。
「アデラ。前はあんなこと言ったけど、やはり公務でのお顔と普段のお顔は違うものだったわ」
エリシアナが切なげにため息をついた。
「カイル様は、リシェリアお姉様にお心を寄せていたわね。……お邪魔になるからやめたわ」
その声音には、大人になろうとする意地が入り混じっていた。
「リシェリアお姉様にだけ気を許していらしたし、セランさんの評価を喜ぶリシェリアお姉様を見て、妬いていらした。うん、間違いないわ」
断言するエリシアナ。その背後で控えていた侍女が、無言で大きく頷き、目を輝かせている。どうやら同じ印象を抱いたらしい。あの場での些細な仕草を、彼女たちなりに拾い上げているのだろう。
私にはそのすべてを捉えきれてはいなかったが、後になって、彼女たちがテーブルクロスの陰での一瞬を目撃していたらしいと耳にすることになる。そうした断片が、やがて形を持つのだろう。
「アデラには言わなかったけど、以前セランさんにも庭でお会いしていてね」
エリシアナがぽつりと理由を続けた。
「カイル様がおっしゃっていたわね。本当に驚かせないで……」
胸が冷える。私の目の届かないところで何か引き起こしていなくてよかった、と心底安堵する。
「セランさんも、リシェリアお姉さまに恋焦がれていらっしゃったの」
そう言うと、彼女は頬に手を添えて、夢見るように瞳を細めた。
「お姉さまが現れた瞬間から。お姉さましか見ていなかったわ。抑えながらも、一歩でも、どうしても近くにいたいという気持ちが滲み出ていて……」
まるで舞台の特等席で歌劇を観劇しているように、楽しげに身振り手振りを交えて語る。だがふっと現実に引き戻されたように表情を改めた。
「それで……リシェリアお姉さまは、そうじゃなかったわ。庭でもお茶会でも。……風が吹いていないといえばいいのかしら」
彼女の言葉に、私は息を呑んだ。確かにリシェリアの佇まいは澄んだ湖面のように穏やかで、カイルの視線を受けてもほとんど揺らがなかった。
「お二人の気持ちに気づいていないのか、気づいていて波を立てないように心を配っているのかも。真摯に近くに控えたお役目就任を第一に考えていらっしゃるのかもしれないわね。それなのに今、私が騒いでは、セランさんやカイル様たちの気持ちを邪魔してしまうだけ」
――驚いた。本当に、よく見ている。
恋物語に憧れるだけの浮ついた令嬢かと思っていたのに、しっかりと人の心を掬い取る眼差しを持っている。
「お姉さまに少しでも気配があれば、ぜひ伺いたかったのだけど……それにまだ私に気を許してくれていないだけかもしれないから。もう少し仲良くなってみようと思って我慢したの」
その声音には控えめな慎重さと、少女らしい期待が同居していた。そして、ぱっと顔を上げると、本来の明るい調子に戻る。
「こんな美しく胸を焦がす物語、そうそう見ることはできませんもの!間近で見守らなくてはもったいないですわ!」
エリシアナは頬を染めて笑い、彼女の侍女たちまでもがうっとりと笑みを交わした。つられて私の侍女までもが頬をほころばせる。
どうして少女たちは、恋物語の前では身分を超えて同じように惹かれるのだろう。
かつては、私もそうだったのかもしれない。だが今は、夫と子を持ち、生活を重ねるその積み重ねの中で、恋や物語というものは、少し距離のある縁遠いもののようになっている。
だからだろうか。
目の前で交わされる言葉の熱に、うまく入り込めない自分に、ふと気づく。
この場にいながら、どこか一歩引いた位置に立っているような感覚だけが、静かに残っていた。




