聖女たちのお茶会
「本日はお忙しいところ。ようこそいらっしゃいませ。リシェリア様、と……カイル様。」
アデライナがこちらを迎えたときの表情は、意外そうというより、本当に驚きが勝っていた。普段は何があっても冷静に受け止める彼女にしては珍しい顔だ。返事はしていたが、俺が本当に同行することを信じていなかったのだろう。
対照的に、エリシアナは当然とばかりに笑顔を浮かべ、白い指を広げて大げさなほどの歓迎を示した。
「おいでいただき光栄ですわ!」
声も態度も張り切っている。自分がこの場の主であると、誰より確信している姿だ。
場所は祭祀庁の貴賓応接室。重厚な調度と落ち着いた色調の壁飾りが、社交の舞台として相応しい品格を放っている。外交や交歓の場として、当代聖女が用いることを許された部屋だ。何度か経験はしているのだろう、その女主人の座に、まだ若いエリシアナが収まっているのは不思議に見えたが、振舞は慣れたものだった。
彼女の背後には、きちんと仕込まれた使用人たちが控えている。立ち居振る舞いに乱れはない。周到な準備が見える。
俺はエスコートしていたリシェリアの手を、外し前に出させた。リシェリアが主賓の招待客だ。こういう場では彼女一人で立つ必要がある。二人で揃って礼を取る。
「今この時の大樹の導きに感謝を」
リシェリアが形式通りに挨拶を口にして、俺が控えて一緒に頭を下げる。
「お目にかかれて光栄です」
茶が運ばれた。繊細な陶器の縁から立ちのぼる香りは上等なもので、口を湿らせると舌に広がる滑らかさと芳醇さに、思わず唸りそうになった。甘味も添えられている。大貴族の手配だろう、どれも見目も味も申し分なく、来た甲斐があると素直に思わせる。
談笑は当たり障りのない話題で進む。花々の咲き具合、季節の行事、些細な流行のこと。俺はほとんど口を挟まず、専ら隣に座るリシェリアを実技試験を見守る気持ちで観察していた。
彼女の指の動き、背筋の伸び方、言葉の区切り。どれもぎこちなさは残るが、誠実さがにじみ出ている。茶を口に運ぶたび、周囲を気にしながらも努力しているのが伝わった。
エリシアナは胸を張って、やけに大人ぶった声で言った。
「聖女の先輩として、なんでも聞いていただいて頼ってくださいませ」
リシェリアはその言葉に目を輝かせ、素直にいくつか質問を口にする。だが質問自体が感覚的に過ぎるのか、エリシアナも答えに窮する。結局アデライナが苦笑しながら推測で答えを導き出し、補足を加える始末だった。その様子に俺は内心で小さく肩をすくめたが、リシェリアが嬉しそうに笑っているのならそれでいい。
ありていに言えば、思っていたよりお茶会は悪くない。
監督の名目で座しているが、実際は茶会の相手よりもリシェリアを眺めることができる大義名分が楽しかった。
次はどの器に手を伸ばすか予想する。菓子を口にした時のわずかな頬の緩みで「これが好みなのか」と気づく。リシェリアの微細な変化を拾うことがこんなにも愉しいとは。
彼女が所作に迷う素振りを見せたときには、テーブル下で足先をそっと触れさせたり、わざと小さな咳払いで注意を引き、俺の示す動きを見て学ばせた。
……市街に二人で出かけることができたら、もっと自然に教えられるのに。
そんな夢想すら浮かぶ。
微笑ましく思っていた。いや、実際に微笑んでいたのかもしれない。
「カイル様も楽しんでいただけてるようで、私とても嬉しく思いますわ」
無邪気に声をかけてきたのはエリシアナだった。
「……ええ。たまにはこういう息抜きも良いものですね」
それは嘘ではなかった。この二人の前でも、心からの本音を言えた。自然と笑みがこぼれた。
次の瞬間、誰かが小さく息を呑む気配があった。
「まあ……!カイル様はいつもキリッとされていて素敵ですが、今みたいに柔らかなお顔でいられる方が……ずっと素敵だと思いますわ」
エリシアナが、忌憚なく言った。称賛と批判が混じる、子供らしい率直さだった。
シン、と一瞬空気が冷えた。
「エリシアナ、失礼なことを」
アデライナが即座に静止の声をかけた。
……気を許しすぎた。別に、お前たちに見せるために笑ったんではないのに。
俺は返す言葉に詰まり、口角は自然に定位置に戻っていた。
きっとエリシアナの事だ。意味のない社交辞令や揶揄などではなく、ただの感想なのだとは察せられる。それでも、こういう時、どう返すのが場を壊さず穏便に流せるのか、……俺は答えを知らなかった。
すると、テーブルの下で俺の手にそっと触れるものがあった。
リシェリアの指だった。
僅かに存在を知らせるように、まるで「大丈夫」と言ってくれているように感じる。
「いいえ、大丈夫ですよ。アデライナ様、エリシアナ様。……カイルはいつも、私が未熟なので粗相がないように、気を張ってくれているのです。でも、今日はこのような場で寛ぐ機会をいただけて、本来のカイルを見ていただけて、私も嬉しいです」
リシェリアが間をつなぎ、冷えかけた空気を和らげる。
「真面目なだけで、本当はお茶目な方なんです。……実は甘い物が大好きで。本日の菓子、すごく気に入ってるみたいです。ね?」
こちらを振り返り、軽く片手を握るようにして合図するリシェリア。
「あ、ええ。……お恥ずかしいですが。甘いものは思考を助けます。特にこちらは好みです」
たしかに気に入って手が伸びていた、油脂と砂糖が重厚なショートブレッドを指す。気恥しさもあり、俺は目を伏せた。
――それに。嬉しかった。リシェリアがそんなことまで知っていたなんて。
リシェリアの手が離れそうになったのを、思わず握り返す。
「まあ、嬉しい。あなた、お開きの時間までにお持ち帰り用に包んでおいて差し上げて」
エリシアナが嬉しそうに、勢い込んで自分の使用人に命じる。
彼女の張り切る声を横目に、俺は隣のリシェリアの温もりを、そっと握り締めていた。動揺から我を取り戻したついでに、他の事に話しを流させよう。
俺のことは放っておいて、君は新しい男の話に注力してくれ。そうすれば、世の中は滞りなく回る。
「お気遣いありがとうございます。そういえば。ヴェルセル嬢はセランと親しいのだとか?」
「ええ。少しだけお話し致しまして。セランさんはひたむきな方ですし、きっと出世なさるわね」
エリシアナが茶を啜りながら笑顔で言った。
アデライナは黙したままだが、さっきから顔色を悪くしたり困惑したりしている。……お互い苦労するな、と胸の内で同情した。
「彼は、真っ直ぐで強い。あまり腹芸は得意ではなさそうですが、そこは美徳でもあります。将来は必ず剣で身を立てるでしょう」
心にもない、というほどではない。だが飾りをまとわせて推薦しておく。なんならヴェルセル家の騎士に取り立てて持ち帰ってくれ。
「わぁ……カイルもそんなこと思ってくださっていたんですね。ありがとうございます」
隣のリシェリアが目を輝かせて純粋に喜んでしまった。……それは、俺としては少しも嬉しくはない。
カチャ、と背後に人の気配。
焼きたてのスコーンが銀盆に載せられて運ばれてきた。リシェリアが食べづらくなるから、俺はようやく彼女の手を放す。仕方なく、だ。
よし……もういいだろう。俺はまた空気に戻ろう。そう思っていた。
「リシェリアさんを支えるために随伴したというお話しには、私も感動いたしました。私たちのような年頃ですと、物語のように自分に忠誠を誓う騎士がいるというのは憧れでもありますわ」
エリシアナの声音に、少しだけ貴族令嬢の悲哀が滲む。家に縛られた娘だからこそ、夢を見ずにはいられないのだろう。……俺もそこは理解できなくもない。
ここから騒々しい恋の空話が始まるのだろう――そう身構えたが、意外にも彼女の熱は消沈していった。
「リシェリアさん。貴女が任期を終える時、どうなさる予定なのか、本日は色々聞きたくはあったのですが……もう少しだけ、胸に閉まっておきますわ。もっともっと、仲良くなってからの楽しみに致します」
今日は踏み込まないと宣言するその言葉に、アデライナでさえ予想外そうな顔をしている。
「聖女としては、私が先輩ですが、お年も器もリシェリアさんの方がお姉様ですもの。…リシェリアお姉様とお呼びしてもいいかしら」
「エリシアナ様。もちろんです」
リシェリアは、妹を抱きしめる姉のように柔らかく応じた。
「これから、たまにお手紙書いてもよろしいかしら」
エリシアナの瞳は憧れの姉を見る少女そのものだった。
リシェリアは笑みを深め、頷いた。
「ええ……是非。拙く無作法があるかもしれませんが、私もお返事を出させていただきます」
彼女が心から嬉しそうにしているのだから、多分問題はないのだろう。……だが、手紙の中身までは監督できない。少女二人の密やかな交流が、俺の望まぬ方向へ傾かないことを祈るしかない。
茶会は、思いの外、静かで美しい幕引きとなった。




