もう一人の聖女が望む物語
エリシアナは夢見るような瞳をさらに潤ませ、言葉を続けた。
「心配ですわよね。いつも近くにカイル様みたいな……美しい殿方もいますし」
伏し目がちに頬へ手を添える仕草は、舞台の一幕のように演技じみて見えた。
「お二人並ぶと、確かにお美しいですもの」
その瞬間、ふわりと匂いが変わった。すん、と知っている気配。
女の体温が上がったときに漂う、甘やかで濃い香水の匂い。フェロモンの気配が強まる。
――ああ、なるほど。
この娘は、カイルを獲物として狙ってるってことか。
だから俺とリシェの関係が、道ならぬ密かな恋で、成就する方が都合がいい。
自分も幸せ、リシェは俺の隣にいれば「彼女も幸せだ」と言い聞かせる。そうすれば、誰も傷つかないし自分も汚れた気はしないってことだ。
合点がいった。
それなら問題はないし、むしろ利害は一致する。
好きにしてもらおう。カイルをそばに引き留めておいてくれ。
それにこの調子だ……この娘は、何を言っても自分の思う形に意見を塗り替えてしまうだろう。
否定してもあんまり効果がなさそうだ。ただ濁しておいたら、時間が経てば任期の終わりでいなくなる。夢を語るくらいなら構わない。
「……俺……自分は。何があってもリシェリアを支え続けるだけです」
そう答え、顔だけは彼女が望む『恋する男』になっておく。
心の中でリシェを想像してれば、そうなってるはずだ。
――と、そこへ。
「あら……セランと……エリシアナ様。ご機嫌麗しく」
幻のように思い描いていた声が、現実に耳へ届いた。
振り向けば、そこに立つのは本物のリシェ。
完璧な所作でカーテシーを行う姿は、まるで絵から抜け出したみたいだ。
俺は兵士の礼のまま、ただその姿を見つめる。
……やっぱり俺のリシェは、どんな貴族の姫にも負けてないな。
「どうかされましたか」
「リシェリア様! ご機嫌よう」
エリシアナが弾む声で返す。その屈託のなさに、根が善人であることを改めて思う。
「セランさんに、あなたのお庭を見せていただいてたの。うちのマティアス……庭師がとてもお世話になっていると聞いていましてよ」
「そうでしたか」
リシェリアは柔らかに微笑む。
「セランさんも庭の手入れがとてもお上手だと言っていたわ。樹木の世話は毎日根気よく……一途に尽くすことが大切なのですって」
自分には熱を注げないことを、まるで誇らしげに語るエリシアナ。
「ええ。そういうところがあります。セランをお認めいただけて……嬉しく思います」
リシェが頬を輝かせ、俺の方を見やる。
“よかったね”とでも言うような瞳。
その笑顔に胸がいっぱいになる。照れる。けれど、嬉しくてたまらない。
俺の自然な表情の変化を、エリシアナが横目で見ている気配がした。
いい。見ていればいい。
本当の心を存分に見せてやろう。
どうせ祭祀庁で語られても、彼女は“夢見がちな少女”と評されるで深刻なことにはならなさそうだ。
「リシェリア様。今度お茶会でも致しませんか? 私の担当も乗り気でしたわ。せっかく聖女二人が揃うのですもの」
交友を広げる口実――だが、その裏に恋の話や、カイルに会いたいという心情が透けて見えた。
「お声かけありがとう存じます。もちろん是非色々お教えください」
リシェが微笑んで応じるのを、俺は隣でただ聞いていた。
薄っすらと夜の気配が濃くなるころ、日の傾きを見て、エリシアナがぽつりと「あら、もうこんな時間」と呟いた。
裾を払うように軽やかに姿勢を正すと、にこやかに言葉を継ぐ。
「そろそろお暇しますわね。長々と作業のお手を止めてしまい失礼いたしました。
また近々お会いいたしましょう。それでは、大樹のご加護があらんことを」
リシェは穏やかに目で了解を示し、深々と会釈を返す。
「はい。大樹のご加護があらんことを」
俺も倣って口にする。
「大樹のご加護を」
踵を返し背を向けたエリアナを見送るために俺も立ち上がる。
そのまま隣に立つリシェへと、さりげなく腕を差し出す。
肘でつつき、手を添えるよう促すと、彼女は怪訝そうな顔をしながらも、素直に応じてくれた。
……もっと近く。
左右を見て、去るエリシアナ以外には視線がないことを確認だけして、そのまま腰を抱き寄せる。ぱっと見は、エスコートの範疇のはずだ。
「!」
リシェが驚き、目を見開く。
「セラン? なに?」
小声の戸惑いが伝わってくる。
「いいだろ別に。いまの、偉い貴族なんだろ……緊張したから」
片手で彼女の髪を梳きながら、適当な言い訳を口にする。理由にならない理由で押し切るように。リシェは唇を小さく動かしたが、それ以上は追及しなかった。
見せつけておきたかった。
――エリシアナが、どうせ振り向くだろうからだ。
案の定、遠巻きに振り返った姿が目に入る。
うん、きっと一人で「きゃあ、素敵」とでも思っているに違いない所作。
その姿に、リシェが小さく手を振って見送りながら俺に言った。
リシェの瞳が、こちらを見上げる。
「褒めてくれてたじゃない、大丈夫だよ」
ふっと笑みが零れた。
それは聖女としての作り物ではない。
トルニカの頃と変わらぬ、真っさらな笑顔だった。
胸が締めつけられる。
俺はその瞬間、心から彼女に恋する顔になった。
――さあ、望むものは見れただろ。エリシアナ様。
ちゃんと俺の存在を、祭祀庁でも吹聴してくれよな。




