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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
4章 開戦
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もう一人の聖女との出会い

「おう、リシェ。今日は遅かったな」


いつも通りの調子で口が動いていた。

その日は庭木の手入れに没頭していたせいで、視界の端に映ったお仕着せだけを見て、反射のように声を掛けてしまった。


だが返事がなかった。


「……?」


異変に気づく。今頃風に乗って届いた匂いが、全然違った。緑や果実の瑞々しい香りじゃない。森を歩いた後の土や雨粒の匂いでもない。

それは、リシェが纏っている自然由来の匂いとは真逆のものだった。

草木に親しんでない――人工的な香油と、石造りの室内にこもった空気を染み込ませたような匂い。


視線を上げる。

そこにいたのは暗い髪色の知らない少女だった。


清らかな気品を湛えているのに、どこか落ち着かない浮かされた印象をまとっている。少なくとも全くリシェじゃない。


――まずい!


心臓が跳ね、血が引くのがわかった。

口の端に残った軽率な呼びかけが、刃物みたいに自分を刺す。

相手が誰であれ、この城で不用意な態度をとれば、リシェまで悪く言われかねない。


「大変、失礼致しました」


慌てて背筋を正し、深く頭を垂れた。

言葉を選ぶ余裕もなく、ただ控えることしかできなかった。


リシェの着る衣装と同じものを纏っているのは、この城ではただ一人。

目の前にいるのは――もう一人の聖女。隣の庭の主人。


出入りする庭師のマティアスからは「悪い主人ではない」と聞いていたが、実際に相対するとただの娘ではない。

所謂、貴族の姫。背筋に自然と緊張が走った。


だが、降ってきた言葉は、別に俺を咎めるものでも不快を示すものでもなかった。


「ご機嫌よう、私は当代聖女のエリシアナ。顔を上げて楽にしてもらって構いません」


恐る恐る目を開けると、そこには暗褐色の髪を揺らす少女が立っていた。

リシェよりも少し幼く見える。けれど覗き込む眼差しは、好奇心と品のある余裕を併せ持っていた。


「庭の中でこの服であれば、あなたの聖女と見間違えるのも致し方ないことです。気にしないわ」


にこりと微笑む。

思いのほか柔らかな響きに、胸を撫で下ろす。

冷ややかな叱責を覚悟していただけに、肩の力が抜けていくのを感じた。


「ところで貴方がセラン。セランさんね。リシェリアさんの幼馴染と聞いていますが合っていて?」


「はい。仰る通りです」

返す言葉に余計な含みはない。ただ相手の出方を待つ。


目の前のエリシアナは胸を張って楽しそうに


「実は私、以前から城内でお見かけしておりまして。リシェリアさんと貴方がお近い関係だとは存じていますわ。

ですが、今の気安く親しいお声かけ……やはり、お二人はお付き合いをされているのかしら?」


あまりに真正面から突きつけられた問いに、思わず息が詰まった。


「あ……。え……」


まさかこんな直球で聞かれるとは思っていなかった。

頭の中が一気にかき乱される。


どう答える?


相手は聖女。つまり祭祀庁の上位に立つ人間。下手なことを言えば、リシェの足を引っ張る。もしこの娘がリシェを蹴落としたいと企んでいたら……弱みを握られる可能性もある。


なぜ想定しておかなかったんだ。迂闊すぎる。

悔恨がぐるぐると頭を巡る。


「ええと。その。滅相もないです」

 

喉が渇いて声が掠れる。冷や汗が背を伝う。

 

「その……付き合いが長いだけでまだ」

必死に取り繕う。まだ何かを言い足せば誤魔化せるかと思った。


けれど。


「……まだ!?ということは」


エリシアナが瞳を大きく開いた。

嬉しそうな気配を出したことで、彼女が知りたかった情報を抜かれたことだけはわかった。

 

やばい。これは悪い方向に転がる――

身をすくめる。


「まあ!?まあ、まあ!これが道ならぬ恋……! アルハンドアの小説で読みましたの!実は王の隠し子だった幼馴染が王女として宮廷に攫われて、それを追って騎士になった主人公との密かな恋……そんな話が現実にも……! 素敵だわ」


一人で熱を帯びて語りだすエリシアナ。

俺はただ圧倒され、言葉を失った。


「セランさんは、リシェリアさんを愛していらっしゃるのね! でもお役目が二人を引き裂いた。だけどこの庭でだけ、いつもの二人に戻れる……」


目を瞠る。

……それは、ほとんど正解だった。

だが肯定してはいけない。まだこの娘がどんな人間かも見極められていないのに。


「い、いえ。決して――」


慌てて否定しかけた言葉を、彼女の無邪気な声がかき消す。


「皆まで言わなくて結構、安心していいわ。誰にも言ったりいたしません!

私、貴方を応援いたします。リシェリアさんとの恋が成就なさるよう、大樹様にお祈りしておきます」


本当に秘密にしてくれるのか?

そんな信憑性の薄そうな好奇心に満ちた笑みでにこやかに告げられ、俺はただ立ち尽くすしかなかった。

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