アデライナの悩み
公務の帰りに執務室に戻るところだった。
急にエリーが、暗褐色の髪を揺らして私に身を寄せて腕を引いた。
「アデラ。リシェリアさん、最近あの赤毛の方とよくお見かけするわね! 良い方なのかしら」
小鳥のさえずりのように弾む声で囁かれる。視線の先には、回廊の向こう――兵士食堂に近い廊下を歩むリシェリア様と、赤毛の兵士の姿。
私は歩を緩め、さりげなく目をやる。遠巻きに見える二人は、他の兵士や侍女に囲まれて談笑していた。笑みを交わす様子は和やかで、息の合ったやり取りにすら見える。
「彼は確か、リシェリア様の同郷の幼馴染らしいですよ」
小さく答えながら、胸の奥に去来する思いを抑えた。
どうして貴女は知らないの。
赤毛のセラン。彼の存在は、庭の守り手とすら呼ばれるほどに知られているというのに。
聖女に与えられる裏庭――任期で交代制する聖女のため、入れ替えて使えるように二面用意されている――で隣同士なのだから、出入りしているはずのエリーが知らないことの方がおかしいのだけれど。
エリーは庭に足を踏み入れることが少なすぎるのだ。
彼女の実家ヴェルセル家は農業を生業で財をなしており、威信の為か技術のある庭師を雇っている。
箱入りのエリーは、時折植える花の希望を述べるだけで手入れはすべて任せきりになっていた。
それに苦言を呈したこともなくはないが、エリーの侍女頭から報告でもされたのか、ヴェルセル家当主から口出しを咎める文書が届いてしまった。そしていつしか諦めた。
実際、庭の出来は申し分ない。その庭師の働きぶりを私もよく知っている。
彼の報告にも、リシェリア様とセランの話はよく上がっている。『意見を求められ相談に乗った』『リシェリア様も合わせて談笑した』なんてことも。
なぜ私が知ってるかというと……庭師がエリーを訪ねても彼女は留守が多く、代わりに私に庭の収支や出来を伝えてくるからだ。
「そうなの!? 幼馴染の恋人、小説みたいで素敵ね」
エリーがきらきらした瞳で声を弾ませる。
「エリシアナ。想像で軽はずみなことを言ってはいけません」
思わず眉を寄せて窘めた。人前であればなおさら口にすべきではない話題。噂になれば、あっという間に装飾され原型がないほど膨らんでしまう。
「本当のところはどうなのでしょう。今度お茶会に誘ったらリシェリアさん、来てくれるかしら……恋のお話が聞きたいわ」
そう言って笑うエリーは、本当に素直だ。愛されて育った子特有の、眩しいまでの純粋さ。
彼女はリシェリア様の美貌や力を前にしても嫉妬を抱かず、平民の出と侮ることもない。その心の真っ直ぐさは好ましい。
私の子も、彼女のように素直に育って欲しいと願う。けれど同時に、その無邪気さは人を傷つける刃にもなりかねない。危うさを孕んでいる。
それでも、その発想自体は悪くない、と思えた。
……そもそも、二人の聖女が祭祀庁内に並び立つこと自体が異例なのだ。リシェリア様のように着任前に教育期間を与えられることはない。だから通常は代替わりの直前にしか交わらないもの。
だからこそ、交流を深められるならエリーにとって得るものは大きい。特に……庭に対する態度などは見習ってほしい。
お茶会に招くのは悪くないかもしれない。
「……恋の話はともかくとして、お茶会はいいかもしれませんね」
控えめに応じる。
「せっかくだしカイル様にも会いたいわ!お呼びしましょう?」
エリーがぱっと顔を輝かせる。
胸の奥でひやりとしたものが走る。
――あのとき、カイル様と打ち合わせをした際の表情。
明らかにリシェリア様を意識していた。まだ表立っては知られていないのだから仕方がない。けれどもし、エリーが無邪気に、彼の前でリシェリア様とセランの恋話を聞き出そうとでもしたら……その場は凍りつくに違いない。想像するだけで恐ろしい。
「カイル様は、お忙しいのだからお邪魔してはダメですよ」
きっぱりと言い切る。
「断られたら諦めるから! 誘うだけ!」
エリーはけろりとした顔で笑っていた。
アデライナは既婚、小さめの子供をもつ下級の貴族籍です。エリシアナの家は大貴族なのであまり強くは言えません。




