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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
4章 開戦
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新しい警戒の方法

城内は――やっぱり、窮屈だ。


石壁に囲まれた空間は清潔で暖かく、食事も寝床も申し分ない。それでも胸の奥に残る重さは消えない。理由ははっきりしている。リシェが遠いから。


あてもなく彷徨っていた頃のように、同じ毛皮にくるまって眠ることもできない。触れることも、思うように話すこともできない。

……あの頃に、さっさと番いにしておけばよかった、とは思う。


けど、それは選ばなかった。


俺は、異能や過去に苦しめられているリシェを、そのままにしたくなかった。幸せで笑えるようになったその先で、俺を選んでほしい。俺自身を。


アスティの誘いに乗って城に入ると決めたときも迷った。ここがリシェを閉じ込める新しい檻になるんじゃないかと。

……だが結果は違った。アスティは信頼できる人間で、待遇も悪くない。


森に籠る以外の守り方を、ここで学べている。人の中でしか得られない知識、道具、剣、頭の使い方。獣との戦いとは違う、人間との戦い方。それを知るほど、リシェの力になれる実感がある。


そしてリシェ自身も、この場所で変わっている。あの中に眠る力を扱う術を、少しずつ身につけているらしい。詳しいことは分からないが、吐き出し方があると知れたことは救いだった。


前よりよく眠れるようになって、日ごとに表情から憂いが消えていく。


笑うことが増えた。


それだけで、十分だった。


……だから思う。

あの中に棲む獣みたいなものを、リシェが本当に制御できたなら。


ここを出て、二人で棲み家を探す。そこで今度こそ、番いになって暮らす。


聖女の役目は二年。

その間に、家族として見られている視線を、男に変えていく。


***


夕暮れの庭は、低い光で影が濃くなっていた。


リシェが土を払うように手を動かしながら、楽しげに今日の話をする。俺は傍で枝を整えながら、相槌を打つ。

耳に残るのは、最近、会話の端々に混じりはじめた「あいつ」の名。

 

胸の奥がざわつく。


「……問題とか。ないんだろうな?」


表向きは生活の確認。だが聞きたいのは別のことだ。


「あいつ、リシェに無理ばかりさせてる気がするけど」


喉に引っかかる言葉をそのまま出す。あの男は容赦がない。大掛かりな儀式の日に、リシェが寝込んだとも。そんな夜は悪夢に魘されたとサフィアから聞いて、見舞いに行きたくても今の俺にはそれも許されないのが苦しかった。

 

……なのに最近は、その口から楽しそうにカイルの話が出てくる。


「なんにもないよ? 理不尽なことされないし、カイルはちゃんとしてくれる人」


屈託のない笑顔。

安堵と、ざらつきが同時に広がる。


……考えるな。手を動かそう。


「だめ、直に触っちゃ!」


警告の声が遅かった。

苛立ちのまま乱暴に手を伸ばしていた俺は、リシェの声に驚き手を離してしまった。しなった枝が顔に戻ってくる。


「っ……!」


刺激と痛みが顔を焼く。


「あー、もう。これは辛子。素手じゃ触っちゃだめなんだよ……ふふ、セランのばか」


呆れたような声と、優しい手。瞼に触れた指先から、じんわりと力が熱を吸い取るように触れた。


昔と同じなのに、違う。ずっと滑らかで、無駄がない。


……これも、あいつの教えのおかげかよ。

感心する一方で、胸の奥で苦いものが渦を巻く。


目を細めれば、リシェの手の甲には葉か紙か、小さな切り傷がいくつも刻まれていた。


リシェは自分を癒せない。日々積み重なる細い痛みが、そのまま残っている。医務官や他の異能者から癒してもらえはするが、いつでもリシェに治してもらえる俺の方がよほど無傷なのが、胸を痛くする。


そして、ふと香る。その指先から微かに、他の男――カイルの匂い。

 

「……悪いな、ありがと。リシェも切ってるぞ。おまえ自分は治せないんだからさ、気をつけろよ。……消毒してやる」


指先を捕まえる。乱暴に口に含み、さっき見た傷を舌でなぞった。


「不味い」


「ひどい。ねえ、土触ってるから汚いよ」


くすっと笑う。

嫌がることはなく、呆れ半分に任せてくれている。

その緩んだ雰囲気に安堵が落ちる。


恋を覚えたような匂いはしてない。

だから。まだ、盗まれてない。


……でも。


もう異常な脅威(ダリオみたいなの)はいない。今はリシェの力も余ってない。虫を引き寄せる心配はそうそうないはずだ。

残るのは普通の人間だ。普通に出会って、真っ当に彼女に恋をしてしまう。それで、問題のない相手に……リシェの方が恋をしてしまったら?


それをどう防げばいいか?


答えは一つだ。


縄張りに近寄ってこないように。俺のものだと、はっきり知らしめておく。触れれば面倒だ、手を出せば厄介だ――そう思わせるしかない。

 

庭に立つと、どこかから視線を感じる。だから少しだけ距離を詰める。誰にでも分かる程度に。


それ以上は、まだ。リシェ自身には踏み込まない。

評判は守る必要がある。「聖女候補が男にうつつを抜かしている」なんて言わせたくない。


だから普段は目配せだけ。小さな合図だけ。

それでもリシェは俺に気づいて、笑う。

それでいい。


サフィアがいれば自然に近くにいられる。あの人は俺たちをまとめて扱ってくれる。

紹介の場があれば、その時だけ一歩踏み込む。少し距離を詰める。それで十分な牽制になる。


団内での立場はもうある。試合の件で実力は通っている。


けど、祭祀庁は別だ。あそこには顔が利かない。リシェのいる場所に、手が届かない。


……手を考えなけりゃならない。


そんな時だった。


「エリシアナ」と会ったのは。

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