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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
4章 開戦
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日課の始まり

復帰第一日目の学びを終えて、片付けに取り掛かろうとした時だった。リシェリアがふと立ち止まり、こちらを振り返る。


「あの後。桃、届けてくださってありがとうございました……」


声に、ふわりと笑みが滲んでいた。

本当に嬉しそうで、照明の柔らかな光に青い瞳が揺れる。


「覚えていてくれたんですね。とても嬉しかったです」


その言葉に、俺は内心拳を握る。

……ああ、覚えていた、忘れるわけがない。

だが素知らぬ顔で返そうとした矢先、ふと思いついた。彼女に必要なことを学んでもらうために、この場を使えるのではないかと。


「そう、それは良かった。ところで。何故桃が好きなのか考えてみたことはあるかい」


「はい。甘くて美味しいからです」

澱みなくリシェリアが答える。それ以外ないというふうに。


彼女のことだから。想像できていたけれど、……ひどい。断言する。

「それでは不合格だ」


「え、……え?」



感想に本来合否なんてないけれど、俺は軽く指を立て続ける。俺が言いたい次の流れに振るために。


「リシェリア。君はもっと『伝える力』をつけた方がいいと思う」


「……なるほど?」


あまりにも意外だったのか、多分わかっていない相槌をして、本当にきょとんとした顔でこちらを見た。

目をまん丸にして、驚いた猫みたいだ。


「君みたいに、ありのまま受け入れることも素晴らしいとは思う。……でもわからないものを、わからないままにしておくのは良くない。

これは俺の持論だけど」


窓の外に目をやる。庭の片隅に赤く実る果樹が見えた。


「わからない事って、心の中の場所を取るんだ。

例えば……あの果樹が、理由もなく黒くなって枯れたとしたらどう思う? 『なぜだろう』と、ただ怖いだけだ」


リシェリアはそこで気づいたように表情を引き締め、問答だと理解したらしい。


「そうですね。幹が柔らかいなら根が腐っている……水の上げすぎか、冷害でしょう。逆に土も茎も乾いているなら水切れが一番あります。上の部分に原因が見えないなら、土の中。虫やもぐらの仕業かも」


すらすらと答えていく。

流石だ。観察眼が鋭く、可能性を的確に挙げる。


「なるほどね。じゃあ次はどうする?」


「原因に応じて対応を変えます……。……ああ、カイルの言いたい事がわかる気がします。知っていれば対処できるということですね」


「うん。聡明だね。

……わかれば怖くない。それが究極、完全にわからなくても、『理解しようとする瞬間』から、怖くなくなる」


俺は、こうして問いかけにすぐ応えてくれる“賢い生徒”が好きだ。

いや、リシェリアだからこそ余計に。


「君の力は難解だ。けれどわかりやすいところから固めていけば、やがて掴めるようになる。君は飲み込みが早いから」


そう告げると、リシェリアの顔に、俺がこれまで見たことのない期待の色が浮かんだ。

あの得体の知れない力の只中で、何が正しいのか自問し続けていた彼女に、ようやく一筋の道筋を示せたのだろうか。


「じゃあ、まあ今日はかんたんに桃の話から。教えてみて」


「そうですね!ええと。瑞々しくて甘いからです。色も……素敵。でも他より好きだと思うのは……うーん。何故でしょう?」


「俺なら、水気が少ない方が好きだ」


「そんな」


たわいもない研究のような会話。

けれど雑談は深まり、互いの声が響く空間に、確かな温かさが生まれていた。


「リシェリアの桃が『好き』という感情の正体は、これでわかったね」

そう締めくくりながら、俺は彼女の表情を観察した。


色や形、味わいの甘さだけじゃない。

皮や果肉の柔らかさが与える安心感。

体調を崩したときに養母が食べさせてくれた記憶。

飢えて渇いたときに口にして満たされた実感。

そのすべてが層をなし、彼女の体と心が統合して『好き』という感情を形づくっている。


「こんなに私の中に理由があると思いませんでした」


リシェリアは頬を上気させ、どこか高揚したように言った。

その反応が俺には意外で、同時に胸に刺さった。

……好きな人を喜ばせること。それ自体が、こんなにも嬉しいことなのだと、初めて知った。


けれど浮かれたまま終わらせるわけにはいかない。

俺には本題があった。


「うん。君は力の使い方を本能に委ねすぎている」


声を低め、真剣に続ける。


「前回、君自身が昏倒するまで力を放出したのもそうだ。あの異変大きさに対するには過剰がすぎたよ。……まあ俺を庇ってくれたんだから文句は言わないけど」


苦笑しながら、少しあきれたような顔を見せる。

本当は胸が詰まるほど感謝している。だが同時に、あの使い方ではあまりにも対価が大きすぎる。


「いえ……すみません」


リシェリアは意外そうに目を瞬いた。

力を褒められることはあっても、呆れられることはなかったのだろう。

口先だけの謝罪は、彼女らしくて少し笑えた。


「危ないと思った時、焦った時かな。全開でなんとかなった経験が、君をそうさせたのかもしれない。……でも君が倒れては意味がない」


俺がそう告げると、彼女は小さく前のめりになって、真剣にうんうんと相槌を打った。


「今後の教練で力について掘り下げよう。それと……隙間の時間に、今みたいに君の感情の源泉についても掘り下げていこう」


要は、雑談の誘いだった。

本当はそんな形式を取らなくても、リシェリアは応じてくれるだろう。

けれど日課として織り込むことで、彼女の日常の中に自分を刻みつけたかった。


「わかりました。……為になります。すごく」


リシェリアへの教習は、手順としては単純だ。

彼女はこれまで『癒す』『元に戻す』といった曖昧なイメージを、圧倒的な出力で補ってきた。

だからこそ、その曖昧さに具体性を持たせる。実際の医療や植物学の知識を与え、構造を理解させる。

操作の感覚については布仕事や細工といった、手先を使う課題を通じて身につけさせるのがよい。


だが、雑談の日課のほうは少し勝手が違う。

 

ただの気晴らしでは済まないと感じていた。

そこでは負の感情にも触れねばならなかった。

心を形づくるものは、喜びや憧れだけでなく、嫌悪や恐怖や悲しみもまた強い原動力になるからだ。


「リシェリア。これからの日課では、少し嫌な思いもしてもらわないといけないかもしれない」


そう告げると、彼女はわずかに笑みを引っ込めた。


「それは……何故でしょう」


陰りを帯びた瞳を前に、俺は真摯に言葉を選ぶ。


「我を失うほどの感情に呑まれても、心のどこかで冷静さを残せるのなら、力の暴発を防げる。

そのためには、君が『嫌だ』『怖い』と思うことや、『嫌だな』と思う理由を分解して知る必要があるんだ」


少しでも安心させたくて、意識して口元に笑みを浮かべる。


「もちろん、実験だから、いつでもやめていい。最初は……ほんのわずかで行こう」


実際、彼女に強い恐怖を与えるつもりはなかった。

生死に関わる話は特に苦手そうだし、そこは避けると決めている。


それでも、不安げに眉を寄せる彼女の顔を見ると胸が痛んだ。


「そうだな……」


机の上の本を片付けるふりをして立ち上がる。

音を立てずに背後へ回り込み、リシェリアの死角から声をかけた。


「わっ!」


「きゃ!?」


肩をすくめて振り返ったリシェリアの顔から、不安も物憂げさも吹き飛んでいた。

思わず俺も息を吐く。狙い通りだ。


「驚いたね。このくらいの戯れの予定だから。安心して」


……この程度なら、彼女のいろいろな表情を引き出せる。

恐怖を与えすぎず、対話の中で触れ合える。

それでいて、ほんの少しでいい、こちらを意識してくれれば——そう思ってしまうのも本音だった。


「わ、わかりました。……頑張ります」


気の抜けたような、けれど安堵のにじむ顔でリシェリアは頷いた。


こうして、二人だけの新しい日課が決まった。

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